おもしろローカル線の旅62 〜〜東武鉄道 鬼怒川線(栃木県)〜〜
下今市駅と新藤原駅の間を結ぶ東武鉄道鬼怒川線。東武日光線と連絡し、東京の浅草駅・新宿駅から特急列車が直接乗入れる観光路線である。
この鬼怒川線、2017年からSL列車の運行を始めたこともあり、親子連れが目立つようになってきた。列車を撮影しようと鉄道ファンも多く訪れる。ついSL列車に光が当たりがちだが、実は沿線を旅すると、興味深いがエピソードが数多い。今回は気になる路線、鬼怒川線の細部にこだわって旅をしてみた。
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【鬼怒川線の逸話①】鬼怒川線を大きく変えたSLとリバティの導入
鬼怒川線の駅にSL大樹(たいじゅ)のポスターが貼られていた。そこには、
「カニ目よ、照らせ。人は目を、凝らせ。」というキャッチコピー。そして「…濃霧が多い環境の中、機関士がカーブの先までしっかり見渡せるようにと、通常は1灯のところを2灯に。…(中略)…カニ目と人の目で支え合って、今日も旅人たちを、目的地へ安全にお連れする」という解説が付く。
SL大樹を牽引するC11形207号機は、東武鉄道へやって来る前、北海道で活躍していた。207号機の特徴は高い位置に付く2つの前照灯だ。その姿形から、“カニ目”の名で親しまれてきた。どうしてカニ目がどうして必要だったのか、どのように役立てているのかを端的に表現している。しかも説得力がある。さすがに大手私鉄会社のPRポスターだなと感じた。
2017年8月10日に登場したSL大樹は下今市駅と鬼怒川温泉駅との間12.4kmを走る。このSL列車を走らせるために東武鉄道では、複数の車両の導入、転車台の設置、整備施設の建設、運転士の教育など、時間をかけて準備してきた。まさにビックプロジェクトであったが、SL列車の運転は、人気に陰りが見えかけていた観光路線に間違いなくスポットを当てた。
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東武鉄道はSL大樹を導入した同じ年の4月21日には新型特急500系「リバティ」をデビューさせている。500系リバティは東武にとって26年ぶりに新造した特急電車だった。3両単位の編成で、6両に増結できる構造をしている。浅草〜下今市駅は6両で走り、下今市駅で切り離し、3両は鬼怒川線に、3両は東武日光へ、といったフレキシブルな運転を可能にした。
現在、鬼怒川線を走る特急リバティは、野岩鉄道(やがんてつどう)、会津鉄道へ乗入れ、福島県の会津田島駅まで走っている。SL大樹と特急リバティ導入により、鬼怒川線の魅力は確実にアップしたと言って良いだろう。
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【鬼怒川線の逸話②】最初は今市駅からの路線が敷かれた
ここで鬼怒川線の概要を見ておこう。
路線と距離 | 東武鉄道鬼怒川線/下今市駅〜新藤原駅16.2km *全線単線(一部区間のみ複線)・1500V直流電化 |
開業 | 1917(大正6)年1月2日、下野軌道(しもつけきどう)により大谷向今市駅(現・大谷向駅/だいやむこうえき)〜中岩駅(廃駅・大桑駅〜新高徳駅間にあった駅)間が開業。 以降、延伸され1919年(大正8)年に新今市駅(廃駅・現JR今市駅の駅前にあった駅)〜藤原駅(現・新藤原駅)が全通 |
駅数 | 9駅(起終点駅を含む) |
鬼怒川線は下野軌道(しもつけきどう)という会社によって最初の路線がつくられた。当初の線路の幅は762mmで、鬼怒川の水力を利用する発電所建設のため、資材運搬用に設けられた。一部区間が開業した2年後に現在のJR今市駅の駅前まで路線が延ばされた。
下野軌道はその後、下野電気鉄道へ名前を変える。さらに1929(昭和4)年〜1930(昭和5)年に線路の幅を1067mmに改めた。この時に、現在の下今市駅への路線を開通させ、東武日光線との連絡を始めた。以降、東武鉄道との結びつきを強め、太平洋戦争中の1943(昭和18)には東武鉄道が買収し、鬼怒川線となっている。
東武鉄道となり、終戦後の1948(昭和23)年からは首都圏の私鉄として初の特急列車を浅草駅〜鬼怒川温泉駅・東武日光駅間で運行を始めた。
今では東武鉄道を代表する観光路線となり、華やかな路線となった鬼怒川線だが、はじまりは軽便鉄道の路線だった。軽便鉄道が起源だったために今も急カーブ区間が残る。そのために路線の最高速度も75kmに抑えられている。20mの長さを持つ車両が急カーブを、独特のきしみ音を立てて走る姿は鬼怒川線らしい味わいでもあるが、そうした逸話が隠されていたのだ。
【鬼怒川線の逸話③】いろいろな車両が走るのが路線の魅力に
鬼怒川線は走る車両がバラエティに富む。東武鉄道自社の車両だけでなく、JR東日本および会津鉄道の車両も走る。ここで確認しておこう。
◇東武6050系
野岩鉄道の開業に合わせて1985(昭和60)年から造られた。2ドア、座席はセミクロスシートの配置となっている。以前は浅草駅まで運転されたが、現在は、新栃木駅〜東武日光駅間、下今市駅〜会津田島駅間の運用がメインで、鬼怒川線では主に普通列車として走る。野岩鉄道および会津鉄道でも少数ながら、同形式の車両を保有しており、東武鉄道6050系に混じって走っている。
◇東武100系
愛称はスペーシア。東武日光線の主力特急として走ってきた。車体のカラーは当初、オレンジ1色だったが、現在は、オレンジラインの「サニーコーラルオレンジ」、紫ラインの「雅」、水色ラインの「粋」、金色ベースの「日光詣スペーシア」が走る。6両編成で浅草(新宿)側6号車は4人用個室車両となっている。東武線内以外にも、「スペーシアきぬがわ」という特急名でJR線に乗入れ、鬼怒川温泉駅と新宿駅を結んでいる。
◇東武500系リバティ
2017年に登場した特急用車両。全席に電源コンセントを備えるなど、充実した設備を備える。鬼怒川線内だけでなく、新藤原駅から野岩鉄道、会津鉄道への乗入れを行う。なお下今市駅〜会津田島駅間は全駅停車(一部通過する列車もあり)して走り、運賃のみでの乗車が可能となっている。
◇JR東日本253系
新宿駅発、栗橋駅から東武線内へ乗入れる特急「きぬがわ」(鬼怒川温泉駅行)と特急「日光」(東武日光駅行)用に使われる。253系は元成田エクスプレス用の車両で、東武線乗入れ用にリニューアルされ、253系1000番台を名乗る。
◇会津鉄道AIZUマウントエクスプレス
会津鉄道からの乗入れ車両で、車両はAIZUマウントエクスプレス用のAT-700形・AT-750形気動車、もしくはAT-600形・AT-650形が使われる。東武日光駅〜下今市駅〜会津若松駅間を走行する。特定日にはJR磐越西線の喜多方駅まで乗入れる列車も走る。
ほか、SL大樹用のC11形蒸気機関車、12系・14系客車。さらにC11形蒸気機関車とコンビとなって走る車掌車のヨ8000形(東武ATSなどの安全装置を搭載する)、SL列車の補機としてDE10形ディーゼル機関車と、実に多種多様の車両が走っている。鬼怒川線は短めの路線ながら車両天国といっていいだろう。
【鬼怒川線の逸話④】下今市ではやはりSL大樹の動きが気になる
ここからは沿線模様をお届けしよう。まずは下今市駅から。SL列車の始発駅らしく、レトロな趣となっている。さらにホームの北側にはSL用の転車台が設けられる。周囲の広場は転車台広場と名付けられ、SLが方向転換する様子も見学できる。SL展示館もあり、館内にはSL大樹誕生までのさまざまなエピソードなどが紹介されている。
SL列車は走行や検査のために出場している時以外には、この下今市駅に留め置かれる。土日祝日の運転日には、早朝から作業が粛々と進められている。車庫から出ると、SLは転車台に載って方向を調整、転線して客車の前に連結される。
さらに出発が近づくと軽く汽笛を鳴らしてバック。駅の東側にある踏切をまたいで折り返し、発車する2番線ホームへ入っていく。多くの電車が行き交う下今市駅だが、SL列車導入後は、やはりこの蒸気機関車が主役になっているように感じた。
ここからは路線の旅を楽しんでみたい。下今市駅発の普通列車に乗り込んだ。同駅発の普通列車の大半は6050系。セミクロスシートの2両もしくは4両編成で走る。乗車した日は、冬期ということもありハイキング客が少なめで車内は空いていた。4人ボックス席にのんびりと座る。
新藤原駅行の普通列車が下今市駅を発車した。発車してすぐ、右へ大きくカーブを切る。この区間、下野電気鉄道時代に設けられたアクセス線だ。そして間もなく、大谷川(だいやがわ)橋梁を渡る。橋の上からは、進行方向左手に日光連山の峰々がダイナミックに望める。
橋を渡ってすぐに次の駅、大谷向駅(だいやむこうえき)がある。駅周辺には今市市街が連なる。川をはさむものの、下今市駅と大谷向駅の間はわずか0.8kmと近い。ところが、次の大桑駅までは4.0kmと駅間の距離が開く。その距離を示すかのように大谷向駅より先は急に人家が少なくなる。
ちなみに鬼怒川線の西側に平行して通る国道121号線には杉並木が連なる。各所に残る杉並木が見事だ。国道121号の旧道は、会津西街道と呼ばれる古道で、日光市内の日光街道、例幣使街道(れいへいしかいどう)を合わせると杉並木は全長37kmにもなるそうだ。杉はなんと約1万2350本にも及ぶ。
鬼怒川線沿いの会津西街道は、東北諸藩の参勤交代路にも使われた道である。幕末には会津藩(幕府軍)と、新政府軍との争いの舞台にもなっている。古道をおおう杉並木。歴史に思いを馳せながら歩いてみてはいかがだろう。
【鬼怒川線の逸話⑤】沿線に7件の国の登録有形文化財が残る
ちょっと寄り道してしまったが鬼怒川線の旅に戻ろう。大谷向駅を発車すると車窓には左右に広々した水田が広がる。うっそうと繁る林を抜けると大桑駅に到着する。この駅からは再び人家も増え、そして国道121号がぴったりと並走して走るようになる。
しばらく走ると川を越える。この川は鬼怒川の支流で、砥川(とかわ)もしくは板穴川と呼ばれる流れで、上に鬼怒川線の砥川橋梁がかかる。この橋梁、歴史的な橋でもある。橋上の三角形の組み合わせ・トラス部分が、1897(明治30)年に設けられた日本鉄道磐城線(現・JR常磐線)の阿武隈橋梁だったものだ。移設してこの橋の架橋に使われた。明治期の貴重な構造物で2017年に国の登録有形文化財となっている。鬼怒川線では同じ年に7件の建造物が有形文化財として登録された。ここでその7件を確認しておこう。
(1)砥川橋梁:大桑駅〜新高徳駅間、本文を参照
(2)下今市駅旧跨線橋:駅の西側にある跨線橋で、内部は鬼怒川線の登録有形文化財を紹介するギャラリーとして活用される。
(3)(4)大谷向駅上下線プラットホーム:上下ホームを2件として別々に登録
(5)大桑駅プラットホーム:玉石積盛土式と呼ばれる方法で築造
(6)新高徳駅プラットホームおよび上家:ホーム上の上家は古レールを用いた鉄骨づくり
(7)小佐越駅プラットホーム:こちらの駅も玉石積盛土式のホーム
鬼怒川線にある9つの駅の中で、5駅も国の有形文化財に登録された建築物があるというのもすごい。それだけ大規模な変更や、改築が行われず、ここまで使われてきたということなのだろう。
【鬼怒川線の逸話⑥】あれ〜っ? 岩に刻まれた顔は何だろう?
筆者は鬼怒川線に何度か訪れているが、最近まで気付かないことがあった。登録文化財の砥川橋梁で撮影していたときのこと。夏期に出向いた時は木々が繁りで見えなかったのだが、橋の向こうに大きな顔を刻んだ岩が見える。この不思議な岩は何だろう?
この顔が刻まれた岩は、かつてウェスタン村というテーマパークがあったその跡に残る。ウェスタン村は西部開拓当時のアメリカ西部を再現して設けられた。このウェスタン村のシンボルが岩に刻まれた顔で、元になったのはアメリカのラシュモア山に刻まれた4人のアメリカ大統領の彫像だった。同ウェスタン村は2006年に長期休園となり、以降は整備されることもなく廃虚となっている。
創設者が西部開拓史の興味をいだき造ったとされる同村。今となってはなぜ巨額の費用を投じてラシュモア山を、コピーしなければいけなかったか理解に苦しむ。観光業という業種には、栄枯盛衰があることを私たちに示すかのようである。
【鬼怒川線の逸話⑦】新高徳駅の異様に広い駅前広場の謎
砥川橋梁を渡り、深い渓谷を刻む鬼怒川橋梁を越えると、間もなく新高徳駅に到着する。同駅、昨年にリニューアルされたばかりで、駅舎や跨線橋、トイレなどが非常にきれいになった。そして駅員もレトロな服装で出迎える。SL大樹の運行により、鬼怒川線は、こうして大きく変りつつあることが実感できる。
一方、変らないこともある。有形文化財に登録されたホームとホームの上家、そして駅前の広さは以前のままである。この新高徳駅、迂闊なことに、この駅前の広さに理由があったことを、最近まで気付かなかった。
なぜ、新高徳駅の駅前広場が不釣り合いなほどに広いのだろう。実はかつて、この駅から異なる路線が分岐していたのである。
かつて東武矢板線という路線が新高徳駅と、現在のJR矢板駅の間を走っていた。東武鉄道に吸収される前の下野電気鉄道時代に造られた全長23.5kmの路線で、1929(昭和4)年に全通している。沿線の木材などの輸送に使われのち、1959(昭和34)年に廃止された。
旧矢板線の路線は新高徳駅の南側から東に向けてカーブし、鬼怒川にほぼ沿って走った。かつての線路跡は、今も新高徳駅前の広場として残り、また矢板方面へ続く路線の跡は県道77号線、途中からは国道461号に沿って直線的に伸び、その多くの区間が今も地方道として活かされている。
【鬼怒川線の逸話⑧】撮影地として人気の新高徳駅〜小佐越駅間
新高徳駅から次の小佐越駅(こさごええき)にかけて、進行方向右手に国道352号が走り、左手に鬼怒川が流れる。鬼怒川の流れはこのあたり、緑に包まれているために車窓から見えない。国道側から見ると、線路の背景に緑が多いということもあり、SL大樹を撮影に訪れる人も多い。
下記の写真は新高徳駅〜小佐越駅間で撮影したもの。午前中に走る下り列車の場合に、正面は影になりがちだが、右サイドに光があたる写真が撮影できる。
前述した以外の撮影スポットにも触れておこう。他に人気があるのは、大桑駅〜新高徳駅間の「国道121号の栗原交差点付近」、「砥川橋梁」、そして東武ワールドスクウェア駅〜鬼怒川温泉駅間にある「鬼怒立岩信号場(きぬたていわしんごうじょう)付近」が複線区間に撮影者が多く集まる。
鬼怒川線の沿線は単線ながら線路の両側に架線柱が立つ箇所が多い。そのため電信柱が写真に入りやすい難点がある。鬼怒立岩信号場〜鬼怒川温泉駅間の複線区間ならば架線柱を入れずに撮ることができる貴重な撮影スポットでもある。
各スポットとも最寄り駅から徒歩20分以内。沿線には駐車場が少ないこともあり、鬼怒川線を利用しての撮影をおすすめしたい。
ちなみに筆者は本稿の「おもしろローカル線の旅」を執筆+撮影するにあたり、列車と徒歩でほとんどの路線を巡っている。乗り鉄+ウォーキングは美味しい空気や地元の味(飲酒できることも魅力です!)が楽しめるとともに、身体にも良いように感じている。
【鬼怒川線の逸話⑨】鬼怒川温泉駅の駅前名物といえば?
さて、そうした撮影地を巡るために途中下車し、また列車を乗継ぎつつ、SL大樹の終着駅である鬼怒川温泉駅に到着した。同駅は鬼怒川温泉の玄関口である。そのため沿線で最も賑わっている。2017年には駅前に転車台が設けられた。駅に到着したSL列車から蒸気機関車が切り離され、この転車台まで走ってきて、ぐるりと方向転換作業を行う。
この鬼怒川温泉駅では、駅前広場に転車台が設けられたところが“味噌”である。転車台が動く時には観光客が回りをとりかこみ、作業を見守るっている。まさしくその光景は鬼怒川駅の名物となりつつあり、娯楽となっている。
石炭の香り、ボイラーの熱が間近に感じられる。汽笛の音をごく身近で聞くことができり、白煙を巻き上げつつ走るシーンを目撃できる。ある年齢以上の人たちにはとても懐かしく、若い世代や子どもたちには新鮮に見える。鬼怒川温泉駅前では蒸気機関車が主役、転車台がその舞台であるかのようである。
ちなみに転車台への「入線時刻」も決まっている。鬼怒川温泉駅の転車台作業は9時55分、13時40分、17時の1日3回。また起点の下今市駅の転車台作業は11時40分、15時10分、18時45分の3回となっている(いずれもSL列車運転日のみ)。
こうした転車台の作業を駅前で見せてしまう試みは、大手私鉄のプロジェクトならではの企画力といってよいだろう。駅前には他に、温泉好きにはうれしい無料足湯「鬼怒太の湯」が設けられる(利用9時〜18時)。時間に余裕あれば利用したい。
筆者は長年、旅行ガイド誌の編集に携わってきたこともあり、温泉やホテル旅館に連絡を取る機会も多かった。鬼怒川温泉といえば、かつて社員旅行、団体旅行、接待旅行などの需要で成長してきた温泉地だった。そのため大型の旅館ホテルが多かった。ところが昨今、そうした利用が激減し、営業を休止せざるをえない宿も増えている。大資本による寡占化も著しい。
営業を続ける温泉宿にしてもインバウンド需要でひと息ついてきた宿も多い。新型コロナウィルスの流行で、海外からの利用者が激減している。温泉の素晴らしさを海外の方に知っていただくためにも、この騒ぎが早々に収まることを祈りたい。
【鬼怒川線の逸話⑩】鬼怒川温泉駅から先、地形の険しさが増す
鬼怒川温泉駅からは、旅館ホテルや鬼怒川を眼下に望みつつ走る。進行方向右手からは山々が迫ってくる。その険しさを感じつつ、次の鬼怒川公園駅に到着する。駅の裏手には温泉保養センター「鬼怒川公園岩風呂」がある。広々した露天風呂が魅力の施設だ。駅から徒歩5分の近さ。公営のため一般510円と手ごろなのがうれしい。
鬼怒川公園駅付近から良く見渡せるようになる鬼怒川。駅を発車すると緑がより濃くなる。眼下の国道121号とぴったり沿って走ること4分で終着駅の新藤原駅へ到着した。起点の下今市駅から通して乗車すれば約30分の距離である。
駅周辺には民家が多く、開けているものの、周囲を取り囲む山々は険しくそびえ、山の中の駅という感が強い。同駅止まりの列車も多いが下車する人は少ない。鬼怒川線では鬼怒川温泉駅の印象が強いが、終着駅はあくまで新藤原駅なのである。この駅から先は野岩鉄道会津鬼怒川線の路線となる。
ちなみに新藤原駅は大手私鉄の駅のうち関東地方最北の駅にあたる。駅の開業は古く下野軌道の藤原駅として1919(大正8)年に開業した。おもしろいことに、鬼怒川温泉駅より北側は、険しい山々が路線にせまるものの、新藤原駅まではトンネルがない。新藤原駅は険しいながらもトンネルを掘らずに鉄道を敷くことができる北の限界だったわけだ。
ここから先の、野岩鉄道の誕生は1986(昭和61)年と比較的、最近になってのことだった。列車は新藤原駅のすぐ北側で藤原トンネルに入る。この先にも野岩鉄道の路線にはトンネル箇所が多い。新藤原駅を境に路線は様相が大きく変わるのである。
【鬼怒川線の逸話⑪】蒸気機関車の増備でSL列車がさらに充実
鉄道好きな方は、すでにご存じかと思うが、東武鉄道では蒸気機関車の増備を進めている。まずはC11 1号機が導入される。これは琵琶湖畔を走っていた江若鉄道(こうじゃくてつどう/現在のJR湖西線の一部に路線が活かされた)が発注した1号機だ。国鉄C11形の1号機という意味ではない。北海道の雄別鉄道(ゆうべつてつどう)、釧路開発埠頭と移りその後、個人所有となっていた。東武鉄道では2018年に購入して、整備を始めている。
さらに真岡鐵道が走らせていたC11形325号機も新たに購入された。真岡鐵道では、C11とC12の2両のSLを所有していたが、財政難のため、検査の予算出せない状態あった。そのため、引き受け手を探していたのだった。
鬼怒川線を走る207号機はJR北海道から借りて運行している。東武鉄道の所有車両ではない。また1機体制では、検査や修理の期間中に、運休しなければいけない。現在、下今市駅にあるSL用車庫は増築工事を進めている。この車庫の増築が完了し、また車両の整備の目処が付いた時に、東武鉄道からSL増備のお知らせが発表されるだろう。
どのような運行がその時に行われるのか、2両つなげた重連運転が行われるのか、一部の列車は会津鉄道まで走るのだろうか。
夢が膨らむプロジェクトは、SL大樹の運行が始まった時点で終了したわけではなく、これから大きく発展していきそうである。現在、SLを運行させている地方鉄道は、真岡鐵道の例も含め、厳しい経営状況に陥っている。JR各社や東武鉄道がSL列車を走らせていることは、単に集客のためだけでなく、長年にわたり受け継がれてきた鉄道文化を継承する上で、大きな意味があると思う。
今後も東武鉄道のSLプロジェクトを応援していきたい。
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