おもしろローカル線の旅63 〜〜土佐くろしお鉄道・阿佐線(高知県)〜〜
高知県内を走る土佐くろしお鉄道・阿佐線。ごめん・なはり線という愛称で呼ばれている。その名称のとおり後免駅と奈半利駅の間を結ぶ路線である。
列車からは土佐湾の美しい海景色が楽しめる。そして高知出身の漫画家やなせたかしさんが描いたキャラクターが駅で出迎える。沿線に人気プロ野球球団のキャンプ地もある。今回はごめん・なはり線で、心ときめく旅を楽しんだ。
【関連記事】
日本一美しい四万十川を眺めつつ走る「予土線」の気になる12の秘密
【ごめん・なはり線の秘密①】四国縦貫鉄道が路線計画の始まり
初めに、ごめん・なはり線の概要を見ておきたい。
路線と距離 | 土佐くろしお鉄道・阿佐線/後免駅〜奈半利駅42.7km *全線単線・非電化 |
開業 | 2002(平成14)年7月1日、後免駅〜奈半利駅間が開業 |
駅数 | 20駅(起終点駅を含む) |
土佐くろしお鉄道は第三セクター方式で路線を運営する高知県の鉄道事業者だ。高知県の南東部を走るごめん・なはり線のほか、南西部を走る、中村線(43.0km)と宿毛線(すくもせん/23.6km)の路線を運営し、列車を走らせている。
ごめん・なはり線が開通したのは今から18年前と比較的新しい。だが、開業まで困難な歴史を秘めていた。次に路線誕生の経緯を見ていこう。
路線が計画されたのは、今から100年近く前の1922(大正11)年4月こと。「四国縦貫鉄道構想」という計画が始まりだった。この時に阿佐線の計画が持ち上がった。高知から徳島まで海に沿って鉄道線を通す壮大な計画だった。
【ごめん・なはり線の秘密②】四半世紀に渡り鉄道空白地帯だった
「四国縦貫鉄道構想」が発表されたすぐあとに、後免駅と安芸駅との間を結ぶ高知鉄道安芸線(あきせん/26.8km)が開業した。全線の開業日は1930(昭和5)年4月1日のことだった。
その後、路線は土佐電気鉄道(現・とさでん交通)安芸線となる。同路線は当時の国鉄在来線と同じ軌間幅(1067mm)で後免駅から高知駅への列車の乗り入れもしていた。
太平洋戦争後には全線電化された。ところが、1974(昭和49)年春に廃止されてしまう。廃止の理由は赤字増大のためだった。ちょうど1965(昭和40)年の春から国鉄阿佐線の建設が本格的に進められていた。もともと利用者が少ない地域に複数の鉄道路線はいらない。土佐電気鉄道では早めに見切りをつけて用地を売却、赤字の解消を目指したというわけである。
ところが、1981(昭和56)年暮れに国鉄阿佐線の工事が凍結されてしまう。当時の国鉄は赤字が増大し、経営再建を模索していた。黒字化が難しい新線造りは避けたいところだった。すでに18.9km(全区間の約44%)の工事が完了していたのにである。
その後、国鉄民営化と同時期の1986(昭和61)年に土佐くろしお鉄道株式会社が創立された。この会社発足とともに、ようやく阿佐線の新線造りが見直されることになった。1987(昭和62)年春から工事が再開された。そして2002(平成14)年に後免駅〜奈半利駅間の路線が開業したのである。
安芸線が廃止されてからすでに28年の時ががたっていた。高知県南東部の鉄道空白地帯に四半世紀の時を経てようやく鉄道路線が復活したのである。