【富士急行線の不思議⑦】なぜ下吉田駅にブルトレ客車があるの?
だいぶ三つ峠駅〜寿駅間で寄り道をしてしまった。旅を先に進めよう。
寿駅の2つ先は下吉田駅。この駅は造りが重厚で趣がある。さらに2009年には水戸岡鋭治氏のデザインにより、おしゃれな駅にリニューアルされた。
鉄道好きとして下吉田駅で気になるのは、保存される車両群であろう。まずブルートレインテラスと名付けられたスペースには国鉄形14系客車と急行形電車169系の先頭部分が保存展示されている。14系客車には寝台特急「富士」のマークが付けられる。富士つながりで、同駅で保存されることになった。同車両は、富士のマークが掲示されているが、実は上野駅〜金沢駅間を走るブルートレイン寝台「北陸」に使われた14系客車だった。
下吉田駅の駅舎をはさんで逆側には「フジサン特急」として走った2000形(元JR東日本165系)と、富士急行が自社発注し、2019年に引退した5000形、そして古い貨車が複数、保存されていた。さながら富士急行の電車博物館とも言えるような構内だ。
筆者が下吉田駅を下車した日は、まだ訪日外国人が多いころだった。そのせいか下吉田駅の裏手にある新倉富士浅間神社と忠霊塔へ向かう人たちが目立った。いつの間にか忠霊塔は下吉田駅から行く人気の観光スポットになっていた。
【富士急行線の秘密⑧】富士山駅はなぜスイッチバック駅なのか
下吉田駅から2つめ、富士山駅に到着した。この駅、行き止まり式のホームとなっている。ホームは台地上にあり、目の前を遮るものがない。富士山が目の前にそびえ、迫力すら感じられる。そのせいか多くの人が写真撮影を楽しんでいた。眺望がすぐれたホーム上にはイスが置かれ、座り込みゆっくりと眺望に見入る人たちもいた。
さてこの富士山駅は行き止まり式。電車はみなスイッチバックする形で、それぞれの方向へ走る。なぜ途中駅なのにスイッチバックする形になったのだろう。
線路を敷く時に、傾斜の厳しさから、現在のような路線づくりが行われたこともあっただろう。さらに富士山駅までは昭和初期の開業、河口湖駅への路線は太平洋戦争後の開業となる。路線は富士山駅が出来てから、20年後に延びた。当初は、河口湖方面への延伸が計画されていなかったこともあろう。
前身となる馬車鉄道が、駅の東側にある山中湖や、籠坂峠方面へ走っていたことも大きかった。
さまざまな理由が重なり、富士山駅はスイッチバック駅として現在に至るのである。同駅では、改札口を入った2、3番線が主に使われている。改札口を入った左側の3番線ホームが主に大月、東京方面、右側の2番線が河口湖方面で、発車した電車はホームの先でクロスして各方面へ向かう。
【富士急行線の秘密⑨】なぜ富士吉田はうどんが名物なのか?
鉄道から話が逸れるが、富士吉田市は郷土料理「吉田うどん」が良く知られている。このうどん、訪れた時にはぜひとも味わっていただきたい。市内に約60軒もの吉田うどんを商う店があるとされる。筆者も行くたびに好みの味を探そうと市内をめぐる。
なぜ、富士吉田にはうどんが郷土料理として広まったのだろう。まずは冷涼な気候のため稲が栽培できなかったことが大きいとされる。冬に栽培する小麦は、富士吉田の場合に、凍結を防ぐために畝(うね)の間に水を流す「水掛麦」という栽培法が使われた。
江戸期から富士講のために訪れる人も増え、そうした人に向けてふるまった歴史も吉田うどんを広めた一つのきっかけとなった。
もちろん伏流水などの水が豊富でおいしいことも大きい。そうした歴史や食材が豊富だったこともあり、人気となった。安くてボリュームがあり、歯ごたえのある手打ちうどん、やみつきになる味である。
さて吉田うどんで満足した後は、終点の河口湖駅を目指す。富士山駅の次の駅は富士急ハイランド駅だ。駅前に人気アトラクションを揃えたアミューズメントパークが広がる。通常の行楽期であれば、ここで下車する人も多い。ちなみに富士急ハイランドは、6月19日から他県からの来場者も入園が可能となっている。絶叫マシン好きにはようやく、待ちかねた日がやってきたといったところだろう。