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2020/8/30 18:30

今も各地を走り続ける東急「譲渡車両」9選〈東海・中部・西日本版〉

〜〜首都圏を走った私鉄電車のその後<4>〜〜

 

引き続き元東急の譲渡車両の話題。中部・西日本で目を向けてみると予想以上に多くの元東急電車が走っていた。

 

東日本では、ステンレス車体の地色をそのまま活かしている鉄道会社が多かったが、中部・西日本では、なかなか個性的でカラフルな色にラッピングした車両が目立つ。第二・第三の職場で働く元東急電車の活躍ぶりに注目してみよう。

 

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【注目の譲渡車両①】大井川鐵道が3社目という元東急7200系

◆静岡県 大井川鐵道7200系(元東急7200系)

↑大井川鐵道の7200系。前後で正面の形が大きく異なっている。この電車は大井川鐵道が3社目の“職場”となった

 

静岡県の金谷駅と千頭駅を結ぶ大井川鐵道大井川本線。SL列車が名物の鉄道路線である。この鉄道の普通列車用の電車はすべてが譲渡車両でまとめられている。南海電気鉄道、近畿日本鉄道といった関西の電車が大半を占める中で、唯一、東日本生まれの電車が7200系2両だ。この大井川鐵道の7200系は興味深い経歴を持つ。まずは誕生した経緯から見ていくことにしよう。

 

東急の7200系は1967(昭和42)年に運用が開始された。1972(昭和47)年までに53両が造られている。東急の電車にしては製造車両数が少ない。すでに東急では7000系というオールステンレス製の車体の電車が登場し、使われていた。この7000系は高性能な電車だったが、全車が電動車で高価だった。全車が電動車という編成を必要としない路線もあり、7000系の廉価版として生まれたのが7200系である。7000系と比べると、正面に特徴があり、中央部が出っ張った「く」の字状の形をしていて、「ダイヤモンドカット」とも呼ばれた。

 

この7200系は東急の田園都市線、東横線、目蒲線、池上線を長年にわたり走り続けた。池上線・東急多摩川線での運用を最後に2000(平成12)年、引退している。さて現在、大井川鐵道を走る7200系はどのような経歴をその後にたどったのだろうか。

 

↑青森県の十和田観光電鉄を走る7200系。この電車が後に大井川へやってくることに。円内は元十和田観光電鉄の主力車両だった7700系

 

筆者は大井川鐵道へやってくる前、青森県の十和田観光電鉄でこの7200系に出会っていた。当時は正面が平面で不思議な形の電車だなと思った程度だったのだが。

 

東急から十和田観光電鉄へは2002(平成14)年に7200系2両が譲渡されている。1両でも運転できるように、両運転台に改造されていた。そのために、7200系の特徴である「く」の字形の正面の反対側は平面な顔つきとなっていた。十和田観光電鉄は、東北本線の三沢駅〜十和田市駅を結ぶ14.7kmの路線を運行していた。歴史は古く1922(大正11)年に開業している。

 

通学・通勤の足として活かされていたが、長年の債務に加えて2011年3月に起きた東日本大震災の影響を受けて経営が悪化。地元自治体に支援を求めたが、願いは実らず、2012年3月いっぱいで廃止となった。

 

十和田観光電鉄には東急の7700系と7200系が走っていたが、2014年に7200系のみ大井川鐵道に譲渡された。大井川鐵道では2015年2月から運用が開始されている。この電車を譲り受けるにあたっての金額が公になっているが、車両費が1000万円、輸送費が900万円、改造にかかった費用が6100万円。合計が8000万円と、鉄道車両がたとえ譲渡であっても、非常にお金がかかることが良く分かる。

 

ちなみに両運転台の構造だが、大井川鐵道では主に2両での運用が行われていた。ところが、新型感染症の流行により旅客数が減少したことから1両での運行も見られるようになっている。“特別仕様”の7200系が持つ機能がようやく生かせたわけである。

 

【注目の譲渡車両②】名鉄電車と入れ替わって豊橋鉄道を走る

◆愛知県 豊橋鉄道1800系(元東急7200系)

↑豊橋鉄道渥美線を走る1800系。青色の電車1804号は「ひまわり号」、菜の花号と菊号が黄色ということで、こちらは青色とされた

 

愛知県内の新豊橋駅と三河田原駅(みかわたはらえき)を結ぶ豊橋鉄道渥美線。この路線を走る電車はすべてが1800系、元東急7200系だ。太平洋を臨む渥美半島を走る鉄道路線らしく、3両×10編成がカラフルな姿で走る。

 

名付けて「渥美半島カラフルトレイン」。1801号がばら、1802号がはまぼう、1803号がつつじ、といった具合で、渥美半島に咲く花々がそれぞれデザインされた色違いの10色電車だ。

↑正面がホワイトで窓部分がブラック。そして各編成で花にちなんだ色付けを行う。写真は左が「菖蒲号」、右が「菊号」

 

豊橋鉄道の親会社は名古屋鉄道である。名古屋鉄道から電車の譲渡はなかったのだろうか。調べると1800系の前に名鉄7300系が1500V昇圧に合わせて1997(平成9)年に28両が転籍していた。ところが、加速性能があまり良くなかった。加えて片側2扉で乗り降りに時間がかかった。1500V昇圧にあわせて車両を揃え、ダイヤ変更したのにもかかわらず、遅延が頻発してしまう事態となった。そのため入線して5年で全車が引退となる。

 

7300系に入れ替わるように2000年から導入が始まったのが1800系だった。1800系の18は、18m車という意味を持つ。ちなみに元名鉄7300系は1971(昭和46)年から新製された車両だった。一方の東急の7200系は1967(昭和42)年から走り始めている。そして豊橋鉄道に導入されてすでに20年、元東急7200系は今も第一線で活躍し、引退の声は聞こえてこない。やはり東急の電車は性能や造りが優秀だったということなのだろう。

 

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【注目の譲渡車両③】養老鉄道では最新電車として屋台骨を支える

◆三重県・岐阜県 養老鉄道7700系(元東急7700系)

↑養老鉄道を走る元東急7700系。池上線でおなじみだった赤歌舞伎塗装以外に、養老線では緑歌舞伎と呼ばれる塗装の電車も走る

 

元東急の7700系といえば、2018年11月まで東急池上線・東急多摩川線の主力電車として活躍していた。その電車が、東急テクノシステムの手で整備・改造され、2019年4月から養老鉄道を走り始めている。

 

東急7700系の生い立ちに触れておこう。7700系は1987(昭和62)年に運用が始まった。まったくの新製というわけではなく、1962(昭和37)年に誕生した7000系を改造した車両だった。7000系の誕生は前回の原稿を参考にしていただくとして、時代の先端を行く車両であったことは確かで、今も一部の地方私鉄を走り続けている。

 

7000系は高性能な電車だったが、冷房がついておらず、利用者向けサービスという面では時代から遅れつつあった。7700系は、7000系の改造という形をとったが、流用したのは車体の骨組みとステンレスの外板だけで、ほかはすべての機器を載せ変え、さらに冷房装置を取り付けている。

↑養老山地を背景に走る7700系赤帯車。こうした山景色をバックに走る姿も新鮮で楽しい

 

養老鉄道へやってきた7700系は、7000系の時代までたどるとすでに約60年という時間を経ているが、ステンレスの車体は劣化が少なく、整備さえすればまだまだ走れるということから導入に至った。

 

ちなみに、それまで養老鉄道では近鉄600系・620系が主力として走ってきた。養老鉄道養老線が近鉄の元路線だったことと、養老鉄道に運営が移管されたのちも、近鉄グループホールディングスの傘下の会社でもあるためである。今も一部の600系・620系が残るが、7700系が大挙15両、導入されたことから、次第に一線を立ち退く形になっている。

 

ちなみに600系・620系は養老線用に近鉄の複数の路線を走る従来形式を改造した車両で、経歴はそれぞれさまざま。1960年前後の生まれの電車が目立つ。それこそ古参車両だったわけである。

 

導入された7700系は、養老鉄道ではまだ若手とあって、これから数10年にわたり走り続ける予定である。車体色は、東急池上線当時に人気だった赤歌舞伎に加えて、緑歌舞伎なる車両塗装も走り、注目を集めている。

 

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【注目の譲渡車両④】伊賀鉄道を走る名物+忍者列車でござる!

◆三重県 伊賀鉄道200系(元東急1000系)

↑伊賀鉄道の200系。元東急の1000系ながら、ここまで塗装が変ると元の東急電車のイメージは薄れている

 

三重県内、JR関西本線の伊賀上野駅と、近鉄大阪線と接続する伊賀神戸駅(いがかんべえき)間を結ぶ伊賀鉄道伊賀線。伊賀鉄道は近鉄グループホールディングス傘下の会社である。2007年までは近鉄伊賀線だった。

 

近鉄との縁が深い会社ながら、現在走るのが200系。元東急の1000系である。2009(平成21)年に導入され、2両×5編成が走っている。おもしろいのはラッピングされた姿だ。路線が走る伊賀が忍者の里ということもあり、1編成(東急当時の赤帯)を除き、みな忍者姿で走っている。正面に大きな忍者の目が入る3編成のデザインはかなり目立つ。

 

この200系が導入される前は、近鉄の860系が走っていた。860系の導入は1984(昭和59)年のこと。ベースは1960年代に誕生した820系で、改造の際に台車を1435mmから1067mmの狭軌用にはきかえている。伊賀線は近鉄大阪線に接続しているものの、線路の幅が異なる。近鉄から分離されたのは、利用者の減少という要因があったものの、この線路幅が異なることも一つの要因であったのだろう。

↑最も忍者の「目」が多く描かれる青色の忍者列車。元東急1000系の改造車両で、正面の貫通扉の位置など編成で異なっている

 

さて忍者の姿走る200系。「忍者列車」という愛称が付く。伊賀鉄道のホームページには「名物+忍者列車でござる!」(※「+」は手裏剣の形)というコーナーがあり、青色、ピンク色、緑色の忍者列車の紹介がある。「忍者が見え隠れする扉」、「手裏剣柄のカーテン」、「手裏剣柄の車内灯」、「忍者のマネキン人形」と忍者にちなむデザインや人形が車内に隠されている。これはぜひとも乗ってみたいと思わせる工夫の数々。子どもたちにも人気の忍者列車なのである。

 

【注目の譲渡車両⑤】北陸・富山地方鉄道にも元東急電車が走る

◆富山県 富山地方鉄道17480形(元東急8590系)

↑富山地方鉄道の17480形電車。形は元東急8590系のままだが、「宇奈月温泉」という表示。すでにこの地に馴染んだ印象がある

 

富山県内に約100kmにも及ぶ路線網を持つ富山地方鉄道。地方中小私鉄の中ではトップクラスの路線距離を誇る。路線距離が長いだけに走る電車もバラエティに富む。

 

主力の14760形をはじめに、京阪電気鉄道、西武鉄道の元車両が走る。車両数が多い14760形は1979(昭和54)年に新造した電車で、同社初の冷房車でもあった。性能的にも優れていたため、鉄道友の会ローレル賞を受賞している。

 

とはいえ製造してからすでに40年となる。新車を製造する余力もないことから、導入されたのが元東急8590系だった。2013年から導入がはじまり、すでに2両×4編成を購入、17480形として使われている。富山地方鉄道に移ったのちは、正面が赤と黄色のグラデーション模様が入り、側面は赤帯を巻く姿で富山平野を走る。

 

ちなみに元東急8590系は1988(昭和63)年生まれ。富山地方鉄道が製造した14760形よりやや車歴が浅い。とはいえ同じ昭和生まれの電車が、電鉄の将来を託されているというのも、なかなか興味深い。

 

【注目の譲渡車両⑥】北陸鉄道では石川線のみ元東急電車が走る

◆石川県 北陸鉄道7000系(元東急7000系)

↑北陸鉄道石川線の7000系。写真の7001編成は非冷房車で東急当時の姿を色濃く残す。雪が多い北陸の電車らしく正面下の排雪器が物々しい

 

北陸鉄道は石川県金沢市を中心に路線を持つ。かつては県内に多くの路線網が広がっていたが、今残るのは石川線と浅野川線の2路線のみとなる。

 

このうち金沢市の野町駅と白山市の鶴来駅(つるぎえき)の間を走るのが石川線だ。石川線を走るのは7000系と7700系。7000系は元東急7000系、7700系は元京王井の頭線の3000系を譲り受けた車両だ。

 

東急7000系は、国内初のオールステンレス車両であり、その後のステンレス車両造りのパイオニアとなった車両である。北陸鉄道では1990(平成2)年から走り始めている。石川線は600V直流電化のため(東急は1500V直流電化)、電装品が乗せ換えられている。またワンマン化に向けて改造も行われた。

 

北陸鉄道の7000系は2両×5編成が走る。形や搭載機器が異なる3形式が在籍している。内訳を見るとまずは7000形の1編成。この電車のみ冷房がない非冷房車だ。屋根上の機器の形状など元東急7000系に最も近いタイプと言えるだろう。非冷房車ということもあって夏期はほぼ走らない。次に7100形の2編成で、北陸鉄道へ入るにあたり冷房改造が行われた。さらに7200形2編成が走る。こちらは中間車を改造した冷房車両で正面中央に貫通扉がない。

 

こうした同じ7000系の違いを見つけることも、北陸鉄道石川線の旅を楽しむ時のポイントとなりそうだ。

 

【注目の譲渡車両⑦】関西で唯一の東急ユーザーの水間鉄道

◆大阪府 水間鉄道1000形(元東急7000系)

↑水間鉄道1000形1003編成。元は東急の7000系だが冷房装置を付けるなど改造が行われた。家族の写真入りヘッドマークを付けて走る

 

大阪府内を走る水間鉄道と聞いてすぐに思い浮かべることができる方は、かなりの鉄道通と言って良いのかも知れない。水間鉄道は地元の人以外、あまり良く知らないというのが現実でないだろうか。さらに東証一部に上場する外食チェーンの子会社という不思議な鉄道会社でもある。

 

水間鉄道水間線は貝塚駅〜水間観音駅の5.5kmを走る短い鉄道路線。歴史は古く1925(大正14)年の創業である。終点の水間観音駅の近くにある水間寺への参詣用の路線として造られた。走る地元、貝塚市は紡績で栄えた街で開業当時、かなりの財力に余裕があった。地元有志の寄付で鉄道会社が設立されたほどだった。起点となる貝塚駅は南海電気鉄道南海本線の貝塚駅と隣接している。

 

南海の貝塚駅と接続しているものの、経営上の関係はなく、車両のみ、以前は南海の譲渡車両を使用していたぐらいの関係である。そして現在は元東急の7000系を利用している。1990(平成2)年に導入した当時は7000系という形式名だった。2006年から改造が始めて、現在は1000形を名乗っている。

 

1000型には2タイプの形あり、元東急7000系のイメージを残す貫通扉付の電車と、中間車を改造した貫通扉の無い電車が走る。そしてみなワンマン運転できるように改造されている。

↑青帯だけでなく、赤帯、オレンジ帯の1000形も走る。写真のように中間車を改造した貫通扉がない電車も。U字形の排障器がユニークだ

 

おもしろいのは電車に家族写真のヘッドマークが付けた電車が走ること。これは10日間1万円でオリジナルヘッドマークが付けて走るサービスなのだそうだ。貝塚市内のみを走る小さな鉄道会社だからこそできるサービスであろう。

 

車内に交通系ICカードで清算できるバス型精算機を搭載するなど、積極的な営業戦略を進めている。小さな鉄道ながら侮れない奮闘ぶりである。

 

【注目の譲渡車両⑧】出雲路を走るのはオレンジ色の元東急電車

◆島根県 一畑電車1000系(元東急1000系)

↑一畑電車1000系のうち2編成は動態保存されるデハニ50形と同じ車体色のオレンジのラッピング塗装されている

 

島根県の一畑電車の歴史は古い。山陰地方で唯一の私鉄で、起源は1912(明治45)年までさかのぼる。現在の路線は電鉄出雲市駅〜松江しんじ湖温泉駅間を結ぶ北松江線と、川跡駅(かわとえき)〜出雲大社前駅間を結ぶ大社線の2本である。

 

走る電車は多彩で、元京王電鉄5000系(初代)を譲り受け改造した2100系と5000系。さらに元東急1000系を改造した1000系。さらに一畑電車では86年ぶりとなる新造車両7000系が走る。

 

ちなみに7000系は前後に運転台を持つ電車で、一両での運行が可能だ。利用者が少ない地方鉄道には向いた電車と言えるだろう。

 

ここでは元東急の1000系の話に戻ろう。一畑電車1000系は老朽化した3000系(元南海電気鉄道21000系)の置き換え用として2014年度から導入された。現在2両×3編成が走る。東急1000系の中間車を改造した電車のため、元東急1000系のオリジナルの姿とは異なる。

 

同タイプは福島交通(福島県)、上田電鉄(長野県)も走っており、いわば、中小私鉄用に東急のグループ会社である東急テクノシステムが用意した“標準タイプ”と言うこともできる。

 

ユニークなのは車体色。一畑電車ではオレンジに細い白い帯が入る。ステンレス車体を全面ラッピングでおおったものだが、この車体色は、かつての一畑電車の車体色のリバイバル塗装「デハニカラー」だ。2編成はこのオレンジ色、また3編成目は県のキャラクター「しまねっこ」のイラスト入りのピンク色のラッピング電車で、「ご縁電車しまねっこ号Ⅱ」と名付けられている。いずれも華やかないでたちで、一畑電車のイメージアップに一役かっている。

 

【注目の譲渡車両⑨】現役は引退したが今も“くまでん”の名物電車

◆熊本県 熊本電気鉄道5000形(元東急5000系/初代)

↑現役当時の熊本電気鉄道の5000形。運転台を前後に付けていたため、右のように1両で運行ができた。左が動態保存される5001A号車

 

最後は熊本電気鉄道(くまでん)の5000形を紹介しよう。この電車のみ現役車両ではない。だが、東急の記念碑的な電車であり、触れておきたい。熊本電気鉄道5000形は、元東急の5000系(初代)で、2016年まで現役として走っていた。

 

元東急5000系はその姿がユニーク。すそが広がる姿が特徴で“青ガエル”という愛称が付けられていた。つい最近まで東京の渋谷駅の駅前、忠犬ハチ公像の前に設置されていたからご存知の方も多いことだろう。

 

この5000系、生まれは1954(昭和29)年とかなり古い。だが、日本のその後の電車造りに大きな影響を及ぼした車両だ。モノコック構造で軽量、さらに日本初の直角カルダン駆動方式を採用した。それまで吊り駆け駆動が一般的だった電車の構造を大きく変えた電車でもある。

 

この電車を造った東急車輌製造(現在はJR東日本の子会社、総合車両製作所に引き継がれている)は、その後もオールステンレス車両をはじめ、画期的な電車造りを行っていて、日本の電車製造技術を高めた功績は大きい。

 

熊本電気鉄道には1981(昭和56)年から計4両が譲渡された。両運転台に改造され、長年走り続けた。ちなみに5000系は、各地の私鉄で使われていたが、熊本が現役最後の場所となった。

 

今も北熊本駅構内の車庫で動態保存されている。車庫の公開日には間近で見ることも可能だ。東急の記念碑的な電車だけに、機会があればぜひとも訪れたい(同社Facebookでも最近の様子を見ることが可能)。

 

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