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2020/10/10 18:30

信州松本を走る「上高地線」‐‐巡って見つけた10の再発見

おもしろローカル線の旅67 〜〜アルピコ交通上高地線(長野県)〜〜

 

ローカル線は何度たずねても新たな発見があって楽しいもの。長野県の松本市を走る「アルピコ交通上高地線」。山景色が美しい路線を訪ねてみた。改めて乗って、いくつかの駅で下りてみたら……。数年前と異なる再発見が数多く出現! 新鮮で楽しい旅となった。

*取材撮影日:2017年7月8日、2018年7月15日、2020年9月27日ほか

 

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【上高地線で再発見①】開業時は筑摩電鉄。さて筑摩という地名は?

↑新村駅の駅舎に掲げられた創業当時の社名と社章。いま見るとレトロ感満点のなかなか貫録ある社章だった

 

初めに、上高地線の概要を見ておきたい。

路線と距離アルピコ交通上高地線/松本駅〜新島々駅14.4km
*全線単線・1500V直流電化
開業1921(大正10)年10月2日、筑摩鉄道により松本駅〜新村駅間が開業、翌年に島々駅まで延伸
駅数14駅(起終点駅を含む)

 

上高地線は筑摩鉄道という鉄道会社により路線が敷かれた。筑摩という地名は、地元の方には馴染み深いのだろうが、筆者は今回、訪ねるまで知らなかった。路線の新村駅の駅舎の横に案内があり、筑摩電鉄(1922年に筑摩鉄道から筑摩電気鉄道に社名を変更した)の名前とともに社章が案内されていた。駅横の案内としては、やや唐突に思われたが、アルピコ交通の実直さが感じられるような案内だった。

 

それにしても「筑摩」という地名。調べてみると長野県の中信地方、南信地方、岐阜県の飛騨地方を広く「筑摩」と呼ばれた。明治の始めには「筑摩県」があり、さらに長野県には「筑摩郡」という郡が明治10年前後にあった。さらに上高地線が走る松本盆地の梓川が流れる南側を「筑摩野」と呼ばれている。

↑東京日日新聞の1928(昭和3)年発行の「全国鐵道地圖」には「筑摩電気」の名が見られる。すでに浅間温泉まで路線が延びていた

 

筑摩鉄道という鉄道名は、当時としては、ごく当然のように付けられた社名だったようである。この筑摩鉄道→筑摩電気鉄道(筑摩電鉄もしくは筑摩電気)という名前が10年ほど続き、1932(昭和7)年12月に松本電気鉄道に社名が変更された。

 

当時、筑摩電気鉄道は松本駅の東口から浅間温泉駅まで延びる浅間線を1924(大正13)年に開業させている。その後の1932(昭和7)年に松本駅前広場まで路線を延ばした。この路線延長が松本電気鉄道と社名を変更したきっかけとなったようである。ちなみに浅間線は併用軌道区間が多く、車の交通量が増え、路線バスに利用者を奪われたこともあり、1964(昭和39)年3月いっぱいで廃線となっている。

 

【上高地線で再発見②】正式な路線名はアルピコ交通上高地線だが

長い間、松本電気鉄道の路線だった上高地線だが、松本電気鉄道は2011(平成23)年4月に、アルピコ交通となった。

 

しかし、今も「松本電鉄」という呼称が良く聞かれる。JR線内は「松本電鉄上高地線はお乗換えです」等のアナウンスがされている。正式には松本電気鉄道という会社はなくなり、正式な路線名もアルピコ交通上高地線なのだが、長年に親しまれてきた名称が今も生き続けているわけである。

↑新島々駅方面の先頭車にある案内には「アルピコ交通上高地線」の名前の上に「松本電鉄」と添えられている

 

ちなみに松本駅の上高地線のホームへ階段下りると、停まる上高地線の電車の正面の案内板には「アルピコ交通上高地線」という名称とともに「松本電鉄」の名前が上に添えられている。逆側の正面には、この案内板がない。いかに「松本電鉄」の名前が浸透していて、今も案内を必要としているのか、正面の案内板を見ても良くわかる。

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