【上高地線で再発見③】走る電車は元京王井の頭線の3000系
ここで上高地線の電車を紹介しておこう。現在、走る電車は3000形で、元京王井の頭線を走っていた3000系である。
京王3000系は1962年に製造が始まった電車で、鉄道友の会のローレル賞を受賞している。車体は京王初のオールステンレス車体で、井の頭線を走っていたころには、正面上部のカラーが編成ごとに異なり、レインボーカラーの電車として親しまれた。1991年まで製造され、2011年に井の頭線を引退している。京王での晩年はリニューアルされ、正面の運転席の窓が側面まで延びていた。
大手私鉄の車両としては全長18.5mとやや短めで、片側3トビラ、さらに1067mmと国内の在来線と同じ線路幅ということもあり、重宝がられ、井の頭線引退後も、上毛電気鉄道、岳南電車、伊予鉄道といった複数の地方私鉄に引き取られている。京王グループの京王重機による整備、改造を行った上で譲渡されるとあって、人気のある譲渡車両だった。
上高地線に導入されたのは1999(平成11)年と2000(平成12)年のこと。2両編成4本の計8両が譲渡されている。車両は運転席の窓が側面まで延びたリニューアルタイプだ。
導入の際にはワンマン運転できるように改造。車体は白色をベースに紫、ピンク、山吹、緑、赤の斜めのストライプを、正面と側面にいれたアルピコカラーとなっている。乗車すると車内のモニターが付いていることに気がつく。1車両の7か所もモニターが付き、沿線の観光案内や、路線の駅案内などに役立てられている。現在の都市部の新型電車にも小さなモニターが付けられ、沿線ガイドやCMなどが流されているが、上高地線のモニターは手づくり感満点ながら、大きくて見やすく、とても良い試みだと感じた。
ちなみに3000形の前に使われていたのが、元東急電鉄の5000系だった。本家の車両は青ガエルのニックネームで親しまれていた独特の形状を持つ車両で、上高地線でも人気車両だったが、2000年に引退している。2両が新村駅の車庫に保存されていたが、その話題は、後述したい。
【上高地線で再発見④】JRのある線と共用の松本駅7番線ホーム
ここからは上高地線の旅をはじめよう。上高地線の起点はJR篠ノ井線の松本駅だ。ちなみに松本駅はJR東日本と、アルピコ交通の共用駅となっていて、改札も共用となっている。上高地線の切符も券売機で購入できる。
券売機では上高地線「電車わくわく一日フリー乗車券(1420円)」や、上高地、乗鞍高原、白骨温泉への電車+バス乗継ぎ乗車券も購入可能だ。ちなみにJR各路線からそのまま乗り継いでも、下車駅で精算できる。ただし路線内で交通系ICカードの利用や、ICカードの精算はできない。
また無人駅での下車はワンマン運転ということもあって高額紙幣の両替は不可なのでご注意を。
さて、始発駅の松本駅。上高地線の乗り場は7番線にある。位置としては松本駅のアルプス口(西口)側だ。
7番線ホームだが、同じホームの反対側、6番線ホームはJR大糸線の普通列車の着発ホームとなっている。つまり大糸線と共用ホームなのである。大糸線の車両は、連絡口の階段からやや離れ、北側に停車する。上高地線の電車が階段下すぐに停まるのに、JR線の方が階段から距離があるというやや不思議な位置関係だ。
上高地線のホームは行き止まり方式。北側に0キロポストがあり、ここが路線の始まりであることが分かる。松本駅からの発車は1時間に1〜3本と本数にばらつきがある。利用の際は事前に時刻表を確認して調整したほうが賢明だろう。列車はみな新島々駅行き電車だ。新島々駅までは所要時間30分ぐらいなので、路線をゆっくり巡るのに最適な長さと言って良いだろう。
松本駅を発車した上高地線の電車は、ゆるやかに右カーブを描きながら走り始める。この時に、注目したいのは左手。JR東日本の松本車両センターがあり、特急あずさとして走るE353系や大糸線などを走るE127系などの車両が停まっているのが見える。
数年前まではE351系、E257系といったすでに中央本線からは退役した車両が多く停まっていたな、などと思い出に浸りつつ松本車両センターの横を通り過ぎる。そして電車はすぐに西松本駅に到着する。この先で、田川をわたり、さらに右にカーブして、渚駅へ。海なし県なのに駅名が「渚」。それはなぜだろう?
調べてみると古代は松本盆地そのものが大きな湖だったそうだ。そこが渚の語源となっているとされる。その名残は、この地区に田川そして奈良井川(ならいがわ)と川の支流が数多く、流れも緩やかで、曲がりくねる形からもうかがえる。電車は奈良井川を渡り信濃荒井駅へ着いた。