【佐野線の疑問⑩】いま廃線の跡はどうなっているのだろう……
さて葛生駅近くで見つけた廃線跡。この先はどうなっているのだろうか。数年前までは柵でざっと覆われていたものの、途切れた箇所があり、無造作に廃線跡に入れた。しかし現在は廃線跡が柵で覆われていて、立ち入り禁止の立て札こそないものの、進入はできない。興味を持ったこともあり、ぐるりと回ってその先に行ってみた。
会沢線と呼ばれた貨物線であろうか、複線以上の線路が並ぶ路線は葛生の町内をそれて、東側を走っていた。ちょうど県道210号・柏倉葛生線と呼ばれる道までいくと、そこまで架線柱が残されている。
事前にGoogle Earthでこの先も架線柱があることが確認されていたのだが、実際に行ってみると、すでにこの先は架線柱が外されていた。路線が廃線になりすでに20年、こうして廃線跡の遺構も徐々に消えていくことになるのだろう。
この先もかなり先に路線が続いていたのだが、ここで取材は終了、次回に地図を持って、さらに奥まで廃線をたどってみようと心に決めた。
【佐野線の疑問⑪】以前に走っていた貨物用機関車はどこへ?
佐野線レポートの最後。東武鉄道で活躍した電気機関車のその後について触れておきたい。東武鉄道で長年、活躍した電気機関車が実は他所に行って、今も走っている。東武鉄道時代はED5000形、ED5060形、ED5080形と呼ばれた電気機関車は、ともに三重県を走る三岐鉄道に譲渡されていた。
三岐鉄道三岐線を走るこれらの機関車たち。ED5000形は三岐鉄道のED45形のED458号機に。ED5060形はED459号機として今も働いている。さらにED5080形はそのままの形式名のED5081号機、ED5082号機として走り続けている。
誕生した東武鉄道では二度と貨物列車を牽くことはないだろうが、こうして第二の職場で活躍する姿がまだ楽しめることは、鉄道好きとしては無上の喜びでもある。