〜〜2020年 鉄道のさまざまな話題を網羅その2〜〜
鉄道の世界でも、なかなか厳しい話題が多かった2020年。【後編】では話題となった新駅誕生、廃線、そして毎年のように起る災害の話題を見ていこう。
【注目!2020年⑥】話題の高輪ゲートウェイ駅が“暫定”開業
2020年は新駅の開業も多く見られた。中でも話題になったのが3月14日に開業した高輪ゲートウェイ駅であろう。東京総合車両センター田町センター内を整備して生まれた土地に造られた新駅で、京浜東北線と山手線の電車が停車する。山手線としては30番目にできた駅で、1971(昭和46)年に誕生した西日暮里駅以来の新しい駅となった。
高輪ゲートウェイ駅という名前も賛否いろいろな意見が出された。それだけ注目が集まったということなのだろう。鉄道ファン的に見れば、むしろ、隣接する東京総合車両センターの様変わりを改めて感じる人も多かったのではなかろうか。10数年前までは早朝に東京駅に到着するブルートレインの多くの客車がしばし休みを取る場所でもあった。今はまったく様相が変わっていて、寝台列車といえば、特急サンライズエクスプレスが停まるのみとなった。
こちらの高輪ゲートウェイ駅の開設は、今年はあくまで暫定開業で、2024(令和6)年度に、駅前に高層ビル群が建設され、本開業を迎える予定だ。
【注目!2020年⑦】新たな可能性を見せた富山の路面電車の例
路面電車の路線網が変貌し、街も大きく変りつつあるのが富山市だ。富山市には、2020年の年初までは富山ライトレールと富山地方鉄道の富山軌道線が走っていた。まずこの2月22日に富山ライトレールが富山地方鉄道に吸収合併された。このことで富山駅の北側を走る富山ライトレール富山港線が、富山地方鉄道富山港線となった。
さらに3月21日に北側を走る富山港線と富山軌道線の線路が、富山駅構内で結ばれた。そして富山港線と富山軌道線の電車が通して走るように改められた。
筆者はこの線路がつながった後に富山駅を訪れてみた。その大きな変化にはびっくりさせられた。前は北と南に別々に停留場があり分かりにくかった。路面電車の停留場は高架化した富山駅の真下にあり、ホームは1〜8番線まで分けられている。1番が南富山駅前方面、3番が環状線、4番が富山大学方面、5番・8番が岩瀬浜方面、それ以外が降車用ホームに分けられている。
初めて富山を訪れた人にはちょっと分かりにくいところもあるが、路面電車網のターミナルとして、非常に効率的に造られている。北陸新幹線や、あいの風とやま鉄道線からの乗り換えも便利だ。路面電車全区間の運賃が210円均一というのも手ごろでうれしい。段差のない低い高さのホームというのも、今の高齢化社会に最適だと感じた。ただ、携帯用の路線図をいただいたのだが、1色刷りペラ1枚の案内を渡されたのがちょっと残念に感じた。
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【注目!2020年⑧】消えていく路線もあり悲しさがつのった
都市部の鉄道に比べて、地方の鉄道は乗車率も劣り、人口の減少、利用者の減少により、経営状態が悪化している路線も多い。将来的な展望が立たないところは切り捨てられていく。残念なことに2020年にも廃止路線が出てしまった。
◆JR北海道札沼線一部区間(2020年5月7日廃止)
札沼線(さっしょうせん)の北海道医療大学駅〜新十津川駅間の47.6km区間が5月7日に廃止された。同区間にあった16の駅も同時に廃駅となっている。路線の廃止は5月7日だったものの、コロナ禍もあり、列車の運行休止は早まり4月17日に上下線の最終運行日となってしまった。本来は5月初頭まで走る予定だったものが、コロナ禍で非常に残念な結果になったのだった。
札沼線の歴史をふりかえっておこう。明治以降に開拓が始まった石狩平野。石狩川東岸地区は、明治期に函館本線が走ったのに対して、対岸の西岸地区の交通網は整備が遅れていた。鉄道の誘致運動が根強く進められ、昭和期に入って北と南から路線の延伸が進められた。函館本線の桑園駅(そうえんえき)と、留萌本線の石狩沼田駅を結ぶ札沼線の全線が開業したのは1935(昭和10)年10月3日のことだった。
全線開業したものの、8年後には早くも不要不急線に指定されて一部区間が休業、太平洋戦争後に復活したが、1972(昭和47)年6月には新十津川駅〜石狩沼田駅間が廃止された。札沼線は名乗るものの、石狩沼田駅はこの時から列車が運行されなくなっていた。
そして2020年の廃止となる。札沼線は、札幌市の郊外線として機能する桑園駅〜北海道医療大学駅間の28.9kmを残すのみとなった。
◆秩父鉄道三ヶ尻線一部区間(2020年12月31日廃止)
貨物専用線も廃線となるところが現れた。貨物専用線は運ぶ荷物があれば、手堅い収益が見込める。一方で輸送量が落ち込めば、すぐに苦境に落ち込む。秩父鉄道の三ヶ尻線もそんな路線の一つとなった。
秩父鉄道の三ヶ尻線は秩父鉄道の武川駅(たけかわえき)と熊谷貨物ターミナル駅間を結ぶ7.6kmの路線。かつて秩父鉄道とJR間を結ぶ貨物列車は、熊谷駅で取り扱いをされていたが、熊谷駅での貨物取扱が廃止されたことから、1979(昭和54)年10月1日に同線が設けられた。路線の一部は現・太平洋セメント熊谷工場への専用線を利用された。
路線の途中駅には三ヶ尻駅がある。最寄りセメント工場があり、秩父鉄道本線の沿線で採掘された石灰石が三ヶ尻線を通して工場へ運ばれる。一方、三ヶ尻駅〜熊谷貨物ターミナル駅間では、主にセメント工場で使われる石炭が運ばれていた。日本で唯一残った石炭輸送が行われていたが、トラック輸送への切替えが進められ、すでに2020年の2月末までで輸送が終了していた。秩父鉄道では3月26日に三ヶ尻駅〜熊谷貨物ターミナル駅間3.9kmの廃線の手続きに入ることを発表。その後も東武鉄道の新車の甲種輸送など、細々と輸送が行われたが、12月31日に正式に廃線となる予定となっている。
ほかに気仙沼線の柳津駅〜気仙沼駅間、大船渡線の気仙沼駅〜盛駅(さかりえき)間も3月いっぱいで鉄道事業の廃止となった。東日本大震災の被害を受け、一部区間が不通となった気仙沼線と大船渡線。一部路線を専用道路に変更し、BRT(バス・ラピッド・トランジットの略)を運行していた。BRTが代行運転されていた区間が、正式に廃線と決まったわけだ。路線名は残ったが、気仙沼までは行かない気仙沼線となってしまったわけだ。天災が原因とはいえ、悲しい廃線の話題となった。
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