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2021/4/29 11:30

「成宗電気軌道」の廃線跡を歩くと意外な発見の連続だった

不要不急線を歩く02 〜〜成宗電気軌道(千葉県)〜〜

 

「不要不急」といえば、今ならば「外出を控えて」となる。しかし、太平洋戦争の戦時下では、不要不急の名のもとに、多くの「鉄道路線が休止、廃止」となった。不足する鉄資源を得るため、これらの路線のレールが外されていったのだ。

 

今回は、その「不要不急線」として廃止された成宗電気軌道(せいそうでんききどう)の廃線跡を紹介したい。訪れると予想外に多くの発見があった。

 

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【成宗電気軌道①】廃線歩きは一枚の絵葉書から始まった

筆者の手元に一枚の古い絵葉書がある。そこには「成宗電車宗吾停留場」と印刷されている。さて、成宗電車とは? ほとんど馴染みのない名前の電車だ。どこを走っていたのか調べてみると、現在の千葉県成田市内を走っていた電車であることが分かった。

 

さらに、戦時下の1944(昭和19)年に不要不急線として廃止された路線だった。

↑大正期の成宗電車宗吾停留場の絵葉書。一両の路面電車と屋根付き停留場が写り込んでいた。さて宗吾とはどのような所なのだろう?

 

成宗電気軌道とは、成田と宗吾(そうご)という地区を結ぶ路面電車路線だったとされる。筆者は観光ガイドブックを制作する仕事もしているため、各地のことを少しは知っているつもりだった。ところが、宗吾という地名はお目にかかった記憶がない。宗吾には、果たして電車が結ぶほどの観光名所があったのだろうかと、疑問が膨らんでいった。とにかく歩いてみるべく現地を訪れた。

 

【成宗電気軌道②】成田と宗吾を結んでいた成宗電気軌道

まずは成宗電気軌道の概要を見ておきたい。

会社創立1908(明治41)年11月、成宗電気軌道株式会社が創立
路線成田山門前(後の不動尊)〜宗吾間5.3km
路線の開業1910(明治43)年12月11日、成田駅前(後の本社前)〜成田山門前(後の不動尊)間が開業。1911(明治44)年1月20日、成田駅前〜宗吾間が開業
廃止不要不急線の指定をうけ1944(昭和19)年12月11日に廃止

 

路線の開業後、1916(大正5)年に会社名は成田電気軌道と改称された。1925(大正14)年には京成電気軌道(現・京成電鉄)が買収、傘下企業となっている。そして、1927(昭和2)年に成田鉄道と改称した。会社名の変転はあったものの、地元の人たちには「成宗電車」(以下、この名前で同路線を呼びたい)の名前で親しまれていた。

 

買収当時の京成電気軌道としては、線路を結び、成田山新勝寺の目の前まで電車を走らせる計画があった。成宗電車の軌間幅は1372mm、京成電鉄の軌間幅は今でこそ1435mmだが、当時は成宗電車と同じ軌間幅だった。つまり乗り入れが可能だったのである。

 

ちなみに、1372mmは馬車鉄道が起源だとされる。馬車鉄道を起源とする軌道路線が多かったこともあり、当時は1372mmという軌道幅は珍しくなかった。現在はこの線路幅を使っている鉄道路線はそう多くない。目立つところでは、軌道鉄道を起源とする京王電鉄京王線や都電荒川線、東急世田谷線が今も1372mmの軌間幅を利用している。

 

少し話がそれたが、当時の京成電気軌道が成宗電車への乗り入れを果たせなかった理由は、地元、新勝寺門前町から反対の声が強くあがったためだとされている。乗り入れが出来ていたならば、成宗電車の歴史も変わったのかも知れない。

 

さらに太平洋戦争に突入すると、戦時下に参詣のための路線はふさわしくないとされ、また京成電気軌道がほぼ平行して走ることから、不要不急線に指定。そして1944(昭和19)年に路線廃止となったのだった。戦時下とはいえ、参詣すら問題視されるほど余裕がない時代だったことが窺える。

 

ちなみに、成田鉄道では多古線(たこせん)という、成田駅〜八日市場駅間(30.2km)の路線も所有していた。この多古線も1944(昭和19)年1月11日に運転休止。戦後の1946(昭和21)年10月9日に廃止となっている。この多古線に関しては機会があれば紹介したい。

 

【成宗電気軌道③】京成成田駅を出発点に歩き出す。すると

↑京成電鉄の京成成田駅の参道口。成宗電車の成田駅前停留場が隣接していて乗換えも便利だ

 

成宗電車の廃線歩きは京成成田駅から始めることにした。京成成田駅の参道口に降り立つ。駅の正面には、屋根付のバス乗り場がある。ちょうどこのあたりに成田駅前の停留場があったのだろう。この付近からは成田鉄道多古線の列車も出発していたようだ。

 

さて、古い地図を参考に、線路が敷かれていた北側へ向かう。現在の京成成田駅から、成田空港方面への高架線の左手にある道路に線路が敷かれていた。この道は、現在の市役所通りを交差して、成田山新勝寺方面へ延びている。この先、写真を中心に元線路跡をなぞって歩いてみたい。

↑京成成田駅の北側に延びる車道。京成電鉄の線路に沿って、成田山新勝寺方面へ向かう。この道だが、地図では「電車道」となっている

 

京成成田駅から成田山新勝寺へ向かう人の多くは、現在は新勝寺門前町が連なる「表参道」を歩いて行き来する。お参りに加えて門前町を“そぞろ歩く”ことも楽しみの一つになっている。一方、京成成田駅から成田山新勝寺へ電車が走っていた“道”は、人通りが少ない。「表参道」と比べると、ほとんど歩行者がいないといって良い。駅付近には表示がなかったが、この通りは「電車道」と呼ばれている。

 

この通りの名前こそ、成宗電車が走っていた証というわけだ。さて、市役所通りを横断して電車道を先へ向かう。すると……。

↑京成成田駅から「電車道」を歩いていくと、先に古いトンネルを見えてくる

 

先に古いトンネルが見えてきた。このトンネルを成宗電車がくぐっていたのであろうか。

 

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