【京王御陵線⑧】御陵の造営にあわせ整備された道や橋を歩く
多摩御陵参道を多摩御陵(現・武蔵陵墓地)まで歩き、御陵を参拝した後に道を引き返した。多摩御陵参道は、立派としか形容しようがない素晴らしい道だった。武蔵陵墓地から甲州街道方面へ約1kmの多摩御陵参道が延びる。京王御陵線の御陵前駅の前を通り過ぎ、参道はゆるやかな下りとなり南浅川へ至る。
南浅川を渡る橋は、その名も南浅川橋。御陵造成当初の絵葉書を見ると簡素な橋だったが、1936(昭和11)年に写真のように立派なコンクリートアーチ式の橋に架け替えられている。
太平洋戦争に突入するまでの昭和10年代は、現代人の冷静な目で振り返るとかなり不思議に感じる。多摩御陵が造営された当時、参道の南浅川橋は、簡素な印象の橋だった。ところが、その後に立派な橋に架け替えられた。多摩御陵参道の起点となる甲州街道を渡ると、中央本線の線路が見えてくる。
中央本線のこの付近には東浅川駅が設けられていた。1927(昭和2)2月7日に設けられた駅で、一般の旅客用ではなく、皇族が多摩御陵へ参拝する乗降施設として設けられたのである。
東浅川駅は社殿造の玄関を持つ立派な駅だった。多摩御陵参道、南浅川橋、東浅川駅といった施設は、かなりのお金をかけて造成された。
東浅川駅は1960(昭和35)年に廃止となり、立派な駅舎はすでにない。旧駅舎跡には石碑が立っていて、五輪マークと1964、そして「オリンピック東京大会 自転車競技この地で行わる」とあった。1964(昭和39)年開催の東京五輪の自転車競技のロードレースがここを拠点に開かれ、平和な国として復興したことを内外に知らせる良いきっかけとなった。
昭和から太平洋戦争へ、そして戦後の物不足の時代、1964年の東京五輪と、この京王御陵線の廃線跡をたどるだけでも、世の中が大きく変わったことが良く分かった。