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2021/11/21 6:00

金沢市と郊外を結ぶ「北陸鉄道」2路線−−10の謎解きの旅

【北陸謎解きの旅④】JR北陸本線にも野々市駅という駅がある

だいぶ寄り道してしまったが、石川線の旅を始めよう。北陸鉄道の旅をする時には事前に「鉄道線全線1日フリー乗車券(1100円)」を購入するとおトクだ。野町駅、鶴来駅、北鉄金沢駅、内灘駅、北鉄駅前センター(金沢駅東口バスターミナル1番のりば近く)で販売されている。

 

石川線の起点は野町駅。金沢市内にある駅だが、駅前はひっそりしている。路線バスが到着しても、バスから電車へ乗り換える人の姿は見かけない。筆者が訪れた時にも駅前は閑散としていた。同駅で「鉄道線全線1日フリー乗車券」を購入して電車に乗り込んだ。

↑石川線の起点となる野町駅。路線バスが駅舎に横付けするように停まる。同駅から金沢の繁華街、香林坊へはバスを使えば10分弱の距離

 

野町駅では到着した電車がそのまま折り返す形で出発する。列車の本数は朝夕が30分おき、日中は1時間おきと少なめだ。乗車の際にはダイヤを良く調べて乗車したい。

 

さて、野町駅を発車してしばらくは金沢の市街地だ。西泉駅、新西金沢駅と駅間の距離はそれぞれ約1.0kmで、駅を発車すると間もなく次の駅に到着する。

 

2つめの新西金沢駅で乗客がずいぶんと増えてきた。この新西金沢駅は、すぐ目の前にJR西金沢駅があり、同駅がJR北陸本線との接続駅になっていて、JR線からの乗り換え客が目立つ。野町駅から乗車する人よりも、この新西金沢駅から先の区間を利用する人が圧倒的に多いことが分かった。

↑新西金沢駅に入線する野町駅発、鶴来駅行きの7000系7200形。左上は同駅の入口で、乗降客が多いものの質素なつくりだ

 

ちなみに、新西金沢駅とJR北陸本線の西金沢駅の間には屋根付きの通路が設けられている。そのため雨の日でもぬれることなく乗り換えが可能となっている。

 

この新西金沢駅と、西金沢駅、また野々市駅という駅名の推移が興味深い。実は、JRにも石川線にも野々市駅があるのだ。北陸本線では西金沢駅の隣の駅、石川線では新西金沢駅から2つめの駅だ。両駅は直線距離でも2.5kmほど離れている。なぜ、2つの野々市駅がこんなに離れた場所にあるのだろう。他所から訪れる人は間違いそうだが、野々市駅が2つあるのには複雑な理由がある。

 

最初に野々市駅を名乗った駅は現在のJR西金沢駅で、1912(大正元)年8月1日のことである。その後、1925(大正14)年10月1日に現在の駅名、西金沢駅と改名した。西金沢駅は金沢市内にある駅なのに、当初は隣の市の名称である「野々市」を名乗っていたことになる。この改名と入れ替わるかのように金沢電気軌道(現・北陸鉄道)が、1925(大正14)年10月1日に上野々市駅の駅名を野々市駅に変更した。

↑北陸鉄道石川線との乗り換え客が多いJR西金沢駅。開業時の駅名は野々市駅だった

 

では、JR野々市駅はいつ開設されたのだろう。こちらは1968(昭和43)年3月25日と、ぐっと新しくなる。地元からの要望があり請願駅として駅が開設された。

 

北陸鉄道の野々市駅も、JR野々市駅も同じ野々市市内にあるが、規模はJR野々市駅の方が大きい。2面2線のホームと北口・南口がある。路線バスも野々市駅南口を通る本数が多い。

 

一方の北陸鉄道の野々市駅は、1面1線でホーム上に小さな待合施設があるだけで、規模は圧倒的に小さい。1日の乗降客もJRの野々市駅2000人に対して北陸鉄道の野々市駅は104人(それぞれ2019年の場合)と少ない。バスも通らない。こうした差もあり、地元では単に野々市駅といえば、JR北陸本線の駅を指すようになっているようだ。

 

そんな野々市駅まではひたすら市街地を電車が走る。次の野々市工大前駅付近からは徐々に水田も点在するようになる。

 

【北陸謎解きの旅⑤】雪にいだかれた背景に見える山は?

石川線の7000系は懐かしい乗り心地だ。台車はだいぶ上下動し、スピードアップするとその動きが体に感じられるようになる。

 

石川線の郊外の趣が強まるのは四十万駅(しじまえき)付近からだ。陽羽里駅(ひばりえき)、曽谷駅(そだにえき)と読み方が難しい駅名が続く。このあたりになると駅前近くには民家、周辺に田園風景が広がるようになる。そして小柳駅(おやなぎえき)へ。この駅の周囲は水田のみで、車窓からは遠くに山景色が楽しめた。

 

空気の澄んだ季節ともなると標高の低い山の向こうに、白い雪に抱かれた白山(はくさん)が見えるようになってくる。〝たおやかで気高い〟と称される白山は、地元の人たちに長年、親しまれてきた。小柳駅付近は同線で最も景色が楽しめる区間と言って良いだろう。ちなみに陽羽里駅からは白山市に入る。白山がより近くに見えることもうなずけるわけだ。

↑小柳駅から次の日御子駅(ひのみこえき)方面を望む。雪が降り積もった白山の姿が遠望できた

 

小柳駅を過ぎれば、次は日御子駅(ひのみこえき)。この日御子とは駅近くの日御子神社の名前に由来する。ちなみに日御子とは旧白山の中心部にあった、火御子峰の神に由来する名称で、白山に縁の深い地にある神社らしい。日御子駅の次は終点、鶴来駅だ。駅到着の手前、進行方向右手に石川線の車庫がある。

 

【北陸謎解きの旅⑥】終点鶴来駅の先にある線路はどこへ?

終点の鶴来駅は玄関口があるしょうしゃな駅舎で、石川線の駅の中でもっと風格のある駅といっていいだろう。1915(大正4)年に開業、現在の駅舎は1927(昭和2)年築と古い。駅舎内には石川線の歴史を紹介するコーナーや、同社関連の古い資料や備品なども陳列されていて、さながら北陸鉄道の博物館のような駅だ。

↑石川線の終点駅・鶴来駅。大正ロマンの趣を持つ駅舎では古い鉄道資料(左上)などの展示もされ、鉄道ファンには必見の駅だ

 

鶴来という駅名、「つるぎ」と読ませるだけに、この駅名にも何か白山に縁があるのか調べてみると、やはりそうだった。駅の近くに金劔宮(きんけんぐう)という神社があり、ここは白山七社の1つにあたる。この神社の門前町の地名が劔(つるぎ)でこの劔が鶴来と書かれるようになったのだそうだ。

↑鶴来駅から発車する野町駅行き電車。同駅構内には1、2番線のほか側線もあり構内は広い。駅舎はこの左手にある

 

鶴来駅で気になるのは駅舎内の古い資料だけではない。ホームの野町駅側だけでなく、南側のかなり先まで線路が延びているのである。同駅で終点なはずだが、なぜ線路があるのか、この線路はどこまで延びているのだろうか。

 

実はこの先、過去には2つの路線が設けられていた。駅から線路は右にカーブして伸びている。たどると鶴来の街中を南北に通り抜ける県道45号までは線路が敷かれ、県道の手前に車止めがあった。ここまでは鶴来駅にある検修庫用の線路からホームや本線へ入るために折り返し線として使われている。さらに県道をわたるように線路は残るが、先はすでに使われていない。緑が覆う廃線跡には入れないように柵が設けられていた。

 

調べるとこの先、実はいくつかの路線があった。まずは石川線が2.1km先の加賀一の宮駅まで延びていた。この加賀一の宮駅は今も旧木造駅舎が残り、登録有形文化財に指定されている。加賀一の宮駅の先からは金名線(きんめいせん)という路線が16.8km先の白山下駅まで延びていた。

↑鶴来駅の先に延びるレール。県道の先には旧線の架線柱と線路がまだ残っている区間(右上)が続いている

 

さらに、延びた線路の先に違う路線がもう1本あり、県道45号線のすぐ先に本鶴来駅(ほんつるぎえき)という駅があった。本鶴来駅は能美線(のみせん)という北陸鉄道の路線の駅で、この先はJR北陸本線の寺井駅(現・能美根上駅/のみねあがりえき)に接続する新寺井駅まで16.7kmの路線があった。

 

金名線は1987(昭和62)年4月29日に、能美線は1980(昭和55)年9月14日に正式に廃止されている。1980年代に入ってからの廃線とはいえ、調べるとすでに両線とも1970(昭和45)年には昼の運行を休止していたようで、なんとも寂しい終わり方だったようだ。

 

ひと昔前には、鶴来駅はターミナル駅として賑わっていたのだろう。その先に列車が走っていた時代に訪ねてみたかったと強く思った。

 

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