おもしろローカル線の旅101〜〜JR西日本・木次線(島根県・広島県)〜〜
作家・松本清張は小説『砂の器』で木次線の亀嵩駅(かめだけえき)を「島根県の奥の方だ。すごい山の中でね」と表現した。実際のところ亀嵩駅はまだ序の口で、先はさらに山深い。
風光明媚な中国山地を縦断するJR西日本の木次線(きすきせん)。普通列車で味わった約3時間の道中は、赤字路線ならではの厳しい現実も見えてきた。
*2011(平成23)年8月2日、2022(令和4)年10月28日・29日の現地取材でまとめました。一部写真は現在と異なっています。
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【ぶらり木次線①】85年前の12月12日に全通した木次線
木次線は山陰本線と接続する島根県の宍道駅(しんじえき)と、広島県の備後落合駅(びんごおちあいえき)を結ぶ。まずは路線の概要を見ておこう。
路線と距離 | JR西日本・木次線:宍道駅〜備後落合駅間81.9km 全線非電化単線 |
開業 | 1916(大正5)年10月11日、簸上鉄道(ひかみてつどう)により宍道駅〜木次駅間が開業。 1932(昭和7)年12月18日、木次駅〜出雲三成駅(いずもみなりえき)間が開業。 1937(昭和12)年12月12日、備後落合駅まで延伸開業し、木次線が全通。 |
駅数 | 18駅(起終点駅を含む) |
簸上鉄道という民間の鉄道会社によって歴史が始まった木次線。1934(昭和9)年に同鉄道が国有化され、路線が広島県へ延伸された。全通したのは今から85年前のことになる。山間部を走る路線で、木材、木炭などの貨物輸送で当初は活況を見せていたが、これらの需要が減り1980年代に貨物輸送が廃止されている。
国鉄分割民営化により木次線は1987(昭和62)年4月1日から西日本旅客鉄道(JR西日本)に引き継がれた。2018(平成30)年4月1日に三江線(さんこうせん)が廃止されたことにより、木次線は島根県と広島県を結ぶ唯一の鉄道路線となっている。
そんな木次線の存続を危ぶむ声が出始めている。この夏に開かれた国土交通省の有識者会議の提言で、平均乗客数1000人に満たない地方ローカル線は、存続またはバス転換などに向け、鉄道会社と自治体との協議を促すとされたのである。
JR西日本が発表した2021(令和3)年の木次線の1日の平均通過人員を見ると宍道駅〜出雲横田駅間は220人、出雲横田駅〜備後落合駅間に至っては35人しかない。収支率は宍道駅〜出雲横田駅間が6.6%、出雲横田駅〜備後落合駅間は1.3%となる。1.3%という数値は、つまり100円の収入を得るのに約7692円かかるということになる。
この数字は木次線と備後落合駅で接続する、芸備線(げいびせん)の東城駅(とうじょうえき)〜備後落合駅間に次ぐワースト記録となっている。ちなみに東城駅〜備後落合駅間の平均通過人員は13人、収支率は0.4%となっている。備後落合駅へ走る2路線とも利用者が非常に少ないというわけだ。島根県〜広島県の県境部は冬の降雪量も多く、今年の1月13日〜3月25日には木次線の出雲横田駅〜備後落合駅間が長期運休となったほどで、状況は厳しい。
【ぶらり木次線②】観光列車の「奥出雲おろち号」が人気だが……
次に木次線を走る車両を紹介しよう。
◇キハ120形
JR西日本のローカル専用の小型気動車で、全長16.3mとやや小ぶりの車体が特徴だ。木次線を走るキハ120形は、後藤総合車両所出雲支所に配置された0番台と200番台で、全車にトイレが設置されワンマン運転に対応している。
◇DE10形ディーゼル機関車+12系客車
1998(平成10)年4月25日から運行を開始した観光用トロッコ列車「奥出雲おろち号」用の車両で、DE10形ディーゼル機関車と12系客車2両の組み合わせで運行されている。塗装は白、青、灰色地の星模様という組み合わせで、客車だけでなく、機関車も含めた揃いのカラーで走る。
12系客車の内訳はスハフ12-801とスハフ13-801で、備後落合駅側に連結されたスハフ13はガラス窓のないトロッコ車両で、運転室が付き同客車を先頭にした運転が可能なように改造されている。
毎年4月から11月下旬にかけて、木次駅(宍道駅発着もあり)〜備後落合駅間を24年、年間150日にわたり走り続けてきた「奥出雲おろち号」だが、古い車両とあって補修部品が手に入らないなどの問題もあり、2023年度での運行終了と発表された。冬期は運行されないこともあり、年度と発表されたものの、実際は来年の11月で運行終了と見てもよさそうだ。
【ぶらり木次線③】備前落合駅へ行くルートがまず大きな難関に
筆者は木次線の旅をするにあたって、どのようなルートをたどるか迷った。木次線を往復するにしても、備後落合駅まで行く列車は1日にわずか3本(奥出雲おろち号を除く)しかない。しかも日中の時間帯に到着する列車は1本である。所要時間は3時間14分もかかる。折返しの列車は2時間56分と、やや短縮されるものの、計6時間の長旅はさすがに飽きそうだ。
そこで、米子駅から伯備線(はくびせん)で備中神代駅(びっちゅうこうじろえき)へ向かい、芸備線に乗り換え、備後落合駅を目指した。このルートならば3時間25分で木次線の終点、備後落合駅へ到着できる。JR西日本の路線の中で、もっとも平均通過人員が少ない芸備線の東城駅〜備後落合駅の状況も気になった。
次に、山陽本線の主要駅から備後落合駅への到達時間を見ておこう。岡山駅からは伯備線、芸備線経由で3時間13分。広島駅からは芸備線の乗り継ぎで3時間16分かかる。いずれも木次線の列車に乗継げる列車で計算したが、便利とは言いかねる所要時間である。
さて、木次線の旅をするにあたって芸備線の起点、備中神代駅へ向かったのだが、この駅に下車して驚いた。乗り換え駅なのだが駅に人が筆者を除き誰一人いない。しかも工事中で、駅舎もなくトイレも閉鎖された状態だった。
備中神代駅で列車を待つこと20分。筆者のみが待つ3番線ホームに新見駅発の芸備線キハ120形1両が入ってきた。芸備線の列車ということで空いているだろうと思ったが、意外に混んでいて座席はほぼ埋まり、立ち客すらいた。
乗車した日は金曜日の昼過ぎで、帰宅する中高生らしき姿が目立った。備中神代駅の2つ手前の新見駅(岡山県)近くの学校に通う中高生なのだろう。だが、その混雑も岡山県内の野馳(のち)という駅までで、中高生はこの駅までに全員が降りてしまった。地元の人たちも県を越えた東城駅までで、その後に車内に残ったのはほぼ観光客のみとなった。東城駅周辺までは繁華な町が広がるのだが、その先は山間部に入る。東城駅から備後落合駅まで、途中に4駅あったが、乗降客はおらず、駅周辺もわずかな民家があるのみと寂しい。
備中神代駅〜東城駅間までは並行して中国自動車道が通り、民家が連なり賑わいを見せるが、東城駅から先は高速道路とも離れ、人口がより少なくなる地域であることが分かる。
やがて、勾配がきつくなり制限時速25kmという低速区間が多くなる。低速で所要時間がかかることも、営業面で厳しくなる要因なのだろう。
【ぶらり木次線④】ほんの一時、賑わいを見せる備後落合駅
備後落合駅は四方を山に囲まれた駅で、列車は3番線ホームへ到着した。対向する2番線ホームにはすでに芸備線の三次駅(みよしえき)行き列車が停まっている。構内踏切を渡った1番線には木次線の列車が入線してきた。この1番線に隣接して駅舎がある。芸備線、木次線の列車が入線するときは観光客で賑わうのだが、乗り換え駅とは思えないほど鄙びている。
構内には今は使っていない側線が何本か残り、側線の先には転車台跡も確認できた。蒸気機関車が客車や貨車を引いて走った時代には、駅の周辺に国鉄の職員宿舎が建ち並び、民家も多く賑わっていたそうだ。
駅舎の外に出て坂道を下り小鳥原川(ひととばらがわ)に架かる橋を渡ると、国道183号(314号も兼ねる)に突き当たる。この国道沿いも今は民家がまばらに建つぐらいで、往時の賑わいが想像できない。
かなり寂しい備後落合駅だが、1日に1回、賑わうときがある。芸備線の新見、三次両方面からと、木次線の列車が集う時間である。木次線の列車は14時33分着(折り返し14時41分発)、芸備線の新見方面からは14時27分着(折返し14時37分発)、三次方面からは14時21分着(折返し14時43分発)と3列車が集う。
筆者が訪れた日は、駅に降りたほぼ100%が鉄道の旅が好きな観光客のようだった。10分〜20分という短い滞在時間に、写真撮影に興じる人が多い。
駅の入口には記念品を販売するスタッフや、元国鉄機関士という名物ガイドさんが案内にあたっている。とはいえ普通列車利用の停車時間が意外に短いこともあり、のんびりできないのが残念である。なお、週末や観光シーズンに運行する「奥出雲おろち号」の場合には、20分ほどの折返しの休憩時間が設けられているので、ゆっくりできそうだ。
【ぶらり木次線⑤】時速25km制限の徐行区間が続く
ようやく備後落合駅から木次線の列車に乗り込む。14時41分発の宍道駅行き上り列車に乗車したのはわずか8人だった。観光客と、鉄道ファンのみで、地元の人の姿はない。木次線に興味があって乗りにきた人たちなのだろう。
備後落合駅を発車した上り列車は芸備線の線路から分かれて北へ。小鳥原川、国道183号(314号も兼ねる)をまたぎ、第二梶谷トンネルをはじめ何本かのトンネルを越えて、最初の停車駅、油木駅(ゆきえき)に向かう。スピードは時速25km程度と遅い。線路に並走する国道314号を走る車が列車を追い越していく。路線の左右ともに山が続き、線路が通るわずかな平地に田畑が切り開かれている。
油木駅は広島県内最後の駅で、この先の山中で島根県へ入る。県境を越えると景色ががらりと変わり開けた景色が広がるようになる。そして間もなく三井野原駅(みいのはらえき)へ。この駅はJR西日本で最も標高が高い727mにある。戦中戦後に馬鈴薯(ばれいしょ)を植えるため開かれた土地でもある。
冬は降雪が多く、駅近くに三井野原スキー場がオープンする。2021年度からリフト施設が外され、スキーヤーはロープ塔につかまって坂を登るという小規模のスキー場だ。昨冬は木次線が長期にわたり列車が運行できなかったこともあり、同スキー場にとって痛手となったことだろう。
三井野原駅を発車すると、間もなく木次線最大のポイントを迎える。三井野原の高原地帯から徐々に列車は高度を落とし、山の中腹部をゆっくりと下ると、前方に見えるのは国道314号の三井野大橋。赤い鉄橋が列車からもよく見える。さらに眼下には国道が円を描き「奥出雲おろちループ」と名付けられたループ橋があり、下っていく様子が見える。この橋の造りを見ると、いかに三井野原駅と次の出雲坂根駅間で高低差があり険しいのかがよく分かる。
【ぶらり木次線⑥】一度は体験したい出雲坂根3段スイッチバック
三井野原駅の標高は727m、次の駅の出雲坂根駅は標高565mで、一気に162mも下る。鉄道には厳しい標高差である。
そうした標高差をクリアするため、三井野原駅と出雲坂根駅間には3段スイッチバック区間が設けられている。三井野原駅方面から下ってきた列車は、出雲坂根駅の上部に設けられたスイッチバック線に入っていく。そこで折返し、出雲坂根駅へ下っていきホームへ到着する。このホームでさらに降り返ししてまた急坂を下っていくのだ。
普通列車では、折返し区間で運転士が先頭から車内を通り抜けて後ろの運転席へ。進行方向を変えて駅へ降りていく。駅に着いたら、再び運転士は前へ移動して発車となる。普通列車の場合には、駅の停車時間は3分程度だが、「奥出雲おろち号」の場合には下り列車が5分停車。上り列車は18分停車と駅で下車できるようダイヤを組んでいる。「奥出雲おろち号」が運転される日は出雲坂根駅構内に売店なども開かれ賑わいを見せている。
出雲坂根駅は国道314号沿いにあり、観光名所にもなっている。車で訪れた人たちが列車の動きを写真に収めようとする姿も。駅構内には「延命水(えんめいすい)」と名付けられた名水が涌き出している。国道の向かい側にも湧水の蛇口が設けられ、この水を汲む観光客も多い。
列車は出雲坂根駅からさらに下っていく。次の八川駅(やかえき)付近からは山間部ながら、だいぶ開けてきて田畑も広がるようになる。
【ぶらり木次線⑦】出雲らしい古風な駅舎の出雲横田駅
八川駅を発車し、次の出雲横田駅が近づくにつれ平野部が広がるようになり、列車も徐々にスピードを上げていく。
出雲横田駅の駅舎は入母屋造(いりもやづくり)、壁は校倉造(あぜくらづくり)という神社を模した荘厳な建物で、1934(昭和9)年に木次線開業時の駅舎がそのまま残っている。なぜこうした造りにしたのかは理由があって、駅から徒歩20分ほどのところに稲田神社があるからだという。
同神社はヤマタノオロチ退治に登場するスサノオノミコトの妻、稲田姫(イナタヒメ)生誕の地。稲田姫は奇稲田姫(クシナダヒメ)とも呼ばれ、神社の主祭神として祀られている。
出雲横田駅より先は列車の本数も増える。中高生、地元の人たちも何人か乗り込んできた。
【ぶらり木次線⑧】小説の舞台「亀嵩駅」は山の中
出雲横田駅を発車した列車は、宍道湖へ流れ込む斐伊川(ひいがわ)沿いを走り、山を越えて小説の舞台となった亀嵩駅へ向かう。再び松本清張の小説『砂の器』の一節を引用してみよう。
「道は絶えず線路に沿っている。両方から谷が迫って、ほとんど田畑というものはなかった」。
この表現どおりの山中の風景が続く。亀嵩駅の目の前には国道432号が走り、道沿いに数軒の家が建つものの、中心となる集落は駅からやや離れている。小説『砂の器』にも登場する名産品「亀嵩算盤」の工場も駅から離れた集落内にある。
亀嵩駅の駅舎には1973(昭和48)年創業のそば屋が営業している。国産そば粉を使い、石臼でそば粉をひき、奥出雲の天然水を利用した手打ちそばで、立ち寄る観光客も多い。
乗車した備後落合駅から亀嵩駅までは約1時間20分かかったが、まだ先は長い。松本清張が書いたように「すごい山の中でね」を実感する。亀嵩駅と出雲三成駅(いずもみなりえき)の間で、上り列車の進行方向左手に黄緑色と白色の貨車らしき構造物が見える。今から10年以上前に現地を訪れたときに撮影したのが下記の写真だ。その正体は、ワキ10000形という形式の有蓋貨車で、貨物列車の運行速度を向上させるべく開発された車両だった。
この車両は1965(昭和40)年に試作された後に191両が導入され、主に東海道・山陽本線の貨物列車として利用された。その後、コンテナ貨車が増えるにしたがって車両数が減少し、2007(平成19)年に形式が消滅している。以前に訪れたときは、周囲に何もなく無造作に置かれたままだったが、その後、リサイクル企業によりこの地が整備されたことで、今は木次線からは車両の全景が見えなくなっている。その点が少々残念だ。
こうした希少な貨車の横を走りつつ出雲三成駅へ。この駅で町の姿がちらっと見えたものの、また山間部に入り出雲八代駅(いずもやしろえき)、さらに2241mと木次線で最も長いの下久野(しもくの)トンネルを通過し下久野駅へ。その先も4本のトンネルを通り抜け、ようやく山中の風景が途切れるのが木次駅の一つ手前、日登駅(ひのぼりえき)付近からだった。
【ぶらり木次線⑨】木次駅まで来て、ようやく町の景色が広がる
こうした複雑な地形は木次線の速度にも大きく影響している。駅での停車時間まで含めた平均速度を、平野部が多い宍道駅〜木次駅間と、山間部の木次駅〜備後落合駅間で比べてみた。
・宍道駅〜木次駅間:営業距離21.1kmで所要時間34〜35分→平均時速36.171km
・木次駅〜備後落合駅間:営業距離60.8kmで所要時間2時間21分〜33分→平均時速24.986km
この数字だけ見ても木次線の平均時速は、木次駅〜備後落合駅間が極端に遅いことが分かる。それだけ地形が険しいわけだ。
備後落合駅から木次駅まで2時間以上の道のりだった。木次駅は木次線で唯一のJR西日本の直営駅(民間委託駅ではないという意味)であり、みどりの窓口もこの駅にある。構内には木次線鉄道部があり、「奥出雲おろち号」の客車なども停められていた。
駅前には大型ショッピングモールがあるなど、ようやく都会に出てきた印象がある木次駅だが、そのまま平野部を走るわけではない。南大東駅(みなみだいとうえき)、出雲大東駅(いずもだいとうえき)、幡屋駅(はたやえき)、加茂中駅(かもなかえき)と平野部に設けられた駅が続くが、再びひと山を越えることになるのだ。中国山地の山の深さは想像を超えるものがある。
【ぶらり木次線⑩】最後の急勾配を越えて宍道駅にようやく到着
宍道駅の一つ手前の駅、南宍道駅は駅自体が10パーミルという斜面上にホームがある。駅前に民家が点在するのみで、この駅自体も秘境駅のようだ。南宍道駅の前後には25パーミルの急勾配があり、列車にとって最後の頑張りをする区間でもある。なぜここまで山深い区間に列車を通したのか、簸上鉄道時代の路線計画をひも解かないと分からないが、不思議な路線であることが実感できた。
そして、約3時間という長い時間をかけて宍道駅3番線ホームにようやく列車が到着したのだった。
木次線の旅を終えて実感したことがある。宍道駅〜木次駅、さらに出雲横田駅までは地元の利用者も乗車していたが、それよりも広島県側は、あまりの乗客の少なさに驚いた。利用者が減り列車本数が少なくなる。不便になるからさらに利用者が減っていく。また、線路保守や保線作業などの頻度が減り、制限速度を落として安全を確保せざるを得ない。降雪期は不通になりがちだ。まさに赤字ローカル線の負の連鎖が確認できた。
名物の観光列車「奥出雲おろち号」は来年度で運転終了と発表されている。同列車は途中駅で長時間の停車があり、そうした駅では物品販売もあり人気も高かった。また地元業者にとってはまたとない販売チャンスになっていた。
来年以降は「奥出雲おろち号」に代わって、鳥取駅〜出雲市駅間を走る観光列車・快速「あめつち」の運転区間が延び、出雲横田駅まで運転される予定だ。しかし、出雲横田駅から先の運行はないそうだ。木次線の人気はやはり、出雲坂根駅〜三井野原駅間の3段スイッチバックだと思う。しかし、この区間を走るのは普通列車のみとなってしまうわけだ。来年度以降、木次線はどうなっていくのだろうか。さらに利用者が減ると、おのずと一部区間の廃止論議が高まっていくのだろう。
各地のローカル線は、木次線と同様の問題を抱えている。地方のローカル線が今後、どのような方法で再生を図り、未来に何を活かしていけばよいのか。単に路線バスを変更するだけで本当に良いのか……?我々に問われているように感じた。