ワールド
2021/9/10 19:30

欧州選手権で現れた「多様性」の壁。サッカーが映す「揺れる英国社会」

2021年7月のサッカー欧州選手権では、イングランドが初めて決勝進出を果たし、英国は熱狂の渦に包まれました。しかし、決勝戦でペナルティーキック(PK)を外したイングランドの黒人選手3人が、試合終了後にSNS上で人種差別を受ける事件が起こり、大問題に発展。どうしてこのようなことが起きるのでしょうか? 現地在住のライターがサッカーを通して、英国における人種差別や多様性について説明します。

 

【関連記事】母国を愛しているからーーオリンピックを駆け抜けた南スーダン陸上選手・アブラハムが走る理由 特別マンガ連載「Running for peace and love」第4回

 

↑人種差別問題は英国サッカーの負の面(写真はウェンブリー・スタジアム)

 

新型コロナウイルスのワクチン接種が進み、イギリス人は以前のように活動的になっています。サッカーなどの国際スポーツ大会や国内のリーグ戦などが再開し、国民も盛り上がっている様子。コロナ前のように友人や家族と久しぶりにパブに集まり、マスクも外してグラスを傾けつつ、おしゃべりやスポーツ観戦を楽しむ人たちの姿もよく目にするようになりました。

 

中でもサッカー欧州選手権ではイングランドが決勝進出を果たし、「55年ぶりの優勝か?」とファンの期待も最高潮に達しました。イングランド代表は地元で開催された1966年のW杯で優勝したのを最後に、主要国際大会のタイトルから遠ざかっていたのですが、結局、PK戦の末に決勝戦を制したのはイタリア。しかし、重要な問題はその後に起こりました。

 

決勝戦でPKを外したイングランド代表の黒人選手3人が、国内外からSNS上で人種差別的な誹謗中傷を受けたのです。フットボール協会(FA)は事件後ただちに人種差別を厳しく非難する会見を行い、英国政府や英王室をはじめ各界の要人たちも人種差別を非難するコメントを次々に発表しました。

 

英国サッカーにおいて黒人選手に対する人種差別が起きたのは、これが初めてではありませんが、今回は、黒人への暴力と差別の撤廃を訴える「ブラック・ライブズ・マター」(BLM)運動が高まっている中で起きました。2020年に米国でジョージ・フロイド氏が白人警官によって殺害されたことをきっかけに、黒人に対する暴力と差別の撤廃を訴えるBLM運動が世界的に広まりました。奴隷制度の歴史があり移民を広く受け入れてきた多民族国家の英国にも、この影響は及んでいます。同国のサッカー・プレミアリーグでは、試合のキックオフ前に選手や審判が片膝をつくポーズをとり、人種差別の撤廃を訴えています。

 

この「片膝ポーズ」は、2016年に米国でアメリカン・フットボールのコリン・キャパニック選手が取った行動から来ています。「有色人種への差別がまかり通る国に敬意は払えない」と、試合前の国歌斉唱の場で起立を拒否し、片膝をついて抗議の意を示して以来、人種差別反対のポーズとして知られるようになりました。

↑片膝ポーズは人種差別反対の意思

 

しかし、選手たちのこの行為は一部のファンや政界に複雑な影響を及ぼしている模様。スタジアムでは、一部の観客から「スポーツに政治を持ち込むな 」とブーイングが起こることもあります。英国のプリティ・パテル内務大臣は、プレミアリーグの試合で選手たちが行う片膝ポーズに対して、これまでは「政治的ジェスチャーだ」と批判的な姿勢をとっていましたが、イングランド代表選手が欧州選手権の決勝戦後に人種差別を受けたとたんに「人種差別は許されない」とコメント。この手のひらを返したような態度に多くの国民が「あまりに偽善的」と怒り、「なぜ政府は人種差別を容認し続けるのか?」と大きな波紋が広がっています。

 

人種差別はスポーツ界に限らず、英国で多くの人々が職場や学校で日々接している問題です。普段は穏やかな社会に見えても、英国では生活への不安や社会への不満をきっかけに、人種差別問題が表面化することがあります。2005年のロンドン同時爆破テロ事件では、イスラム系市民への差別が強くなりました。最近では、新型コロナウイルスの発生源が中国であるという説を受けて、東洋系住民に対するヘイトクライムが起こるなど、人種に関する差別や偏見は枚挙にいとまがありません。

 

現在の英国人は、幼い頃から「人種差別は決して許されない行為」であることを学校で叩き込まれて育ちますが、特定の人々への偏見や差別、暴力が存在するのが現実です。過去と比べると状況は改善しているとはいえ、今回のようにスポーツの主要国際大会で自国が負けた腹いせに人種差別的な発言が聞こえてくることも少なくありません。SNSは、極端な意見や偏った情報を広げやすいため、このような状況を悪化させている側面もあります。

 

最近よく耳にするようになった「多様性」という言葉は、人種、宗教、性的指向、年齢、障害の有無など、個人の特徴の違いを認めようという概念を持っています。英国のような多民族国家では、多様性を認めて内包(インクルージョン)していくことにより、それぞれの個性が共存共栄して、ダイナミックな社会が形成されるという考え方が主流ですが、多様性を認めることができない人たちも存在し、見方によっては社会が分断しているとも言えるでしょう。

 

若者よ、立ち上がれ

↑欧州選手権の決勝戦でPKを外し、人種差別の被害に遭ったイングランド代表のマーカス・ラッシュフォード選手の壁画には、たくさんの励ましのメッセージが貼り付けられた

 

BLM運動や今回の事件を機に、英国では「もうこんな悲しい出来事や差別は本当に終わりにしよう」という気運が高まっています。英語では「woke」(ウォーク)という言葉があり、意識が高い人や政治的な発言を積極的にする人を指します。こういう人は揶揄されることもありますが、最近では若い世代の間で、批判されることを恐れず、傍観者であることをやめて、積極的に発言しようとする人が増えています。

 

スポーツには今回の事件のような暴力的な側面がある一方、人種や民族の違いを超えて人々を融和する力があります。今回、英国で起こった人種差別事件は日本にとっても対岸の火事ではありませんが、多様性のある社会を実現するためには、偏見にとらわれることのない知性と器量が重要でしょう。それらを涵養するうえで、スポーツが果たす役割は大きいと思います。

 

【関連記事】母国を愛しているからーーオリンピックを駆け抜けた南スーダン陸上選手・アブラハムが走る理由 特別マンガ連載「Running for peace and love」第4回

 

執筆者/ネモ・ロバーツ

TAG
SHARE ON