本・書籍
2019/10/5 17:30

年1000冊の読書量を誇る作家が薦める「旅」を楽しむ5冊

毎日Twitterで読んだ本の短評をあげ続け、読書量は年間1000冊を超える、新進の歴史小説家・谷津矢車さん。今回はこの季節にぴったりな「旅」をテーマに様々なジャンルから5冊を紹介してもらいました。

 

そろそろ紅葉が美しくなる季節。忙しくて実際に旅立てない人でも、脳内旅行が堪能できる一冊が必ずあるはずです。

 

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何を隠そう、わたしは出不精である。

 

基本的に本読みであるし、昔から家の中でできる趣味ばかり手を出してきた。サラリーマン時代などは休日ともなると家に籠ってプラモづくりや読書、ゲームにネットサーフィン……といった調子で、パーリーピーポー的なあれこれには縁が遠かった。今でこそ知り合いが増え、外に出ることも増えたが、誰からも引きがなければ隠花植物のように家の中でこそこそ生息している今日このごろである。

 

なぜわたしがこんな話をしているのかというと、今回の選書のテーマが「旅」だからである。旅に縁遠いわたしになぜこんな選書がと、泣き言を漏らしてもしょうがない。というわけで、今回の選書テーマは「旅」である。

 

 

ミステリの傑作から西欧世界の旅事情を探る

まずご紹介するのは古典作品から。『ナイルに死す』(アガサ・クリスティ・著/ハヤカワ文庫・刊)である。本書はあのポアロシリーズの有名作品であり、エジプトのナイル川に浮かぶ船上で起こった殺人事件の謎を解くミステリである。ミステリファンの皆様にとっては必読書の一つであろうし、映像化もされている人気作品である。今更この本を紹介するなんて、といぶかしむ向きもあるのも当然である。

 

だが、少し言い訳をさせてほしい。わたしが本書を選書したのは、これが当時の西欧世界の旅事情を強く反映したものだからだ。

 

ナポレオンのエジプト侵攻以降、西欧世界では空前のエジプトブームが巻き起こった。西欧のそれとは全く違う文化、全く異なる気候、そしてミイラづくりや多神教といった宗教的慣習、そして、旧約聖書で語られる伝説の地。これらのイメージが大きなうねりとなって人々の心をつかんだ。このエジプトブームは様々なところに波及効果を及ぼしているのだが、その中の一つに、エジプトの観光地化がある。西欧の上流階級が自国の寒い冬を嫌い、エジプトに滞在するようになったのである。さしずめ、現代日本で一般化したハワイ旅行をモチーフにした本が刊行されたようなものなのだ。ともかく、『ナイルに死す』は、古典ミステリとしてはもちろん、当時の西洋人たちの旅事情の一端を示す小説であるといってもよいのである。

 

危険地域を書籍でバーチャル・トリップ

皆さんはダークツーリズムという言葉をご存じだろうか。原義としては災害地や戦争の跡地といった負の記憶の堆積している地を旅するという旅の形態であるが、最近では、一般の人が好んで立ち入ることをしないスラムなどを旅するという意味でも使われ始めているようだ。

 

そんな後者の意味でのダークツーリズムの様子をうかがえるのがこちら、『世界の危険思想 悪いやつらの頭の中 』(丸山ゴンザレス・著/光文社新書・刊) である。本書は世界のアンダーグラウンドな世界に暮らす人々に著者さんが直接取材をする形式になっているのだが、出てくる人々が独特の光彩を放っている。

 

例えば、スラムに暮らすヒットマン(殺し屋)の取材。わたしたちがヒットマンと聞いて想像するのは、あの例の大人気ご長寿漫画の主人公のように「スイス銀行に〇万ドル振り込んでおけ……」とニヒルに言い放つ屈強なイメージである。だが、本書に登場するヒットマンは、わたしたちの想像を大きく裏切る。どう違うのかは本書をご覧いただこう。

 

そして本書は書名の通り、彼らがなぜわたしたちと違うモラルを奉じているのかの考察が入る。こちらについても本書に譲るが、旅の醍醐味は異文化に触れ、自らの文化の特殊性を意識することにあるだろう。だとすれば、わたしたちと本書の登場人物たちの間に存在する「ズレ」は、旅の醍醐味の極致と言えるのではないだろうか。……わたしとしては、皆様に危険な目に遭っていただきたくないので、本でその醍醐味の一端を味わえるのではないかという提案をしている次第である。

 

江戸時代の「中二病」的ファンタジーを旅する

次にご紹介するのは、風変わりな古典から。

 

平田篤胤(1776-1843)という国学者がいる。本居宣長没後の弟子を自称し、復古神道を大成した人物として知られているのだが、実はこの人物、現代で言うオカルト的なものに対しても興味を持っており、幽界の研究にも余念がなかったと言われる。

 

というわけで、お次に紹介するのは『天狗にさらわれた少年 抄訳仙境異聞』(平田篤胤・著、 今井秀和・翻訳, 解説/角川ソフィア文庫・刊)である。本書は天狗にさらわれ人間界と仙人界を行き来できると称した少年寅吉の聞き書き集である『仙境異聞』という古典作品の抄訳作品である。

 

この寅吉少年の証言は極めて怪しい。平田篤胤をはじめとした当時の国学者や一部の神道家、学者にとって都合のいい発言が多々含まれているからである。もしかすると、この少年は大人たちの欲しがるような証言をしていたのではないか。そうやって眉に唾をつけたうえで読んでいただくべきだが――。

 

いや、これはこれで読み物として妙に面白いのである。妙にディティールが細かいし、男の子心をくすぐる呪符やら風の力で作動する鉄炮が登場したりと、ゲームの設定資料集を読んでいるような気持になる。

 

やや不穏当なたとえになってしまうが、中二病ノートを見ているような気持ち、という感じだろうか。非現実の世界を旅したいあなたに。

 

「異世界転生」モノの異端

次にご紹介するのは現代の異世界もの、『空手バカ異世界』(輝井永澄・著/富士見ファンタジア文庫・刊)ある。

 

現在、ライトノベルの世界では現実世界にいる主人公がトラックに轢かれるなどしてゲーム風異世界に転生し、そこで人生をやり直すという『異世界転生』という物語類型が定着している。本書もまたその一作なのだが、その“王道”フォーマットから大いなる逸脱を見せている。

 

主人公は四トントラックとの立ち合いの結果異世界にやってきたという経歴の空手家で、この手の作品のお約束である女神様からのチート能力(異世界で衆を圧倒できる特殊技能・能力のこととご了解いただければよい)付与をも断り、体一つ、空手の業前だけで異世界に乗り出し、魔物や異種族に伝わる秘武術と手合わせしていくのである……。

 

ここまであらすじを読んでくださった皆さんの中にも、あるいはぴんと来られる方がいるかもしれない。本作、いわゆる武芸者の武者修行ものなのである。武芸の達人が己の強さに磨きをかけるために旅をして、その旅先で出会った格闘術の遣い手と異種格闘戦を繰り広げ、最強を目指すのが武者修行もののフォーマットだが、その旅先を異世界に変えることによって従来の武者修行ものの枠組みを超える敵が登場、ダイナミック味が増しているのである。異世界を旅する空手バカの彷徨に、今後も目が離せない。

 

「内と外」二つの旅を一度の味わう

最後は小説から。『クラウド・コレクター』(クラフト・エヴィング商會・著/ちくま文庫・刊) である。本書は戦争の時代を生きた祖父の鞄の底から出てきた手帖に記される、不思議の国アゾットの見聞録を巡るお話なのだが、実にユニークである。

 

というのも、その見聞録が劇中劇として披露され、この見聞録を描いた祖父の孫が、執筆当時の祖父のことを忖度しながら絵解きをするパートが差し挟まれる構造になっているのである。この孫パートが存在することで、不思議の国アゾットを(想像の中で)巡る祖父、そして現実の苦しい時代を生きる祖父、二つの祖父の旅が立ち上がってくる仕組みになっている。

 

人生は旅である。そして、物語を紡ぐことも己の内面を巡る旅である。そんな二つの旅を一度に味わえる、ぜひとも手元に置いていただきたい傑作である。

 

 

冒頭でわたしは出不精だと書いたが、実は旅そのものは嫌いではない。

 

旅先で書店に入り、何となく目についた本を買い、移動時間、時折窓の外の景色の移り変わりに目を細めつつ、活字を追うあの瞬間が好きである。

 

行楽の秋、ぜひとも皆様も本を片手によき旅の時間を過ごしてほしい。

 

原稿に追われ、いっそのこと旅に出たいわたしの代わりに……。

 

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【プロフィール】

谷津矢車(やつ・やぐるま)

1986年東京都生まれ。2012年「蒲生の記」で歴史群像大賞優秀賞受賞。2013年『洛中洛外画狂伝狩野永徳』でデビュー。2018年『おもちゃ絵芳藤』にて歴史時代作家クラブ賞作品賞受賞。最新作「廉太郎ノオト」(中央公論新社)が9月9日発売!。