「ベルリンを旅するなら、第一次世界大戦から第二次世界大戦とその後までのドイツの歴史をしっかり勉強してから行くべき」この夏、娘とベルリンを旅してきたのだが、フランス、そしてドイツの友人たちは口を揃えてそう言った。そこで、私はナチス・ドイツ関連の本を読み、また有料動画サイトでその時代をテーマにした映画やドキュメンタリーを何本も観てから現地へ向かった。
ベルリンはその他の観光地のように美しい景色や文化を楽しむだけで済ませてはならない街だ。人類史上最大の悲劇ホロコーストを行ったナチスの重要機関がそこにあったからだ。
ナチス政権の本部跡地はベルリンの中心部にあり、現在は「テロのトポグラフィー」と呼ばれ、恐怖政治時代の真実の出来事を後世に残すための記録センターとなっている。時代を追ったたくさんの資料が展示されていたが、思わず目を背けたくなるユダヤ人虐殺の写真も多くあった。ここを訪れた人は誰もが、二度とこの悲劇を繰り返してはいけないと肝に銘ずるのだ。
強制収容所に送られた21歳のユダヤ青年の物語
『アウシュヴィッツの歯科医』(ベンジャミン・ジェイコブス・著、上田祥士・監訳、向井和美・訳/紀伊國屋書店・刊)は数あるホロコースト関連の中でも、小説を読むようにグイグイと引き込まれ、400ページ弱のボリュームにもかかわらず、あっという間に読み終えてしまう一冊だ。
ベンジャミン・ジェイコブスはナチス収容所を生き延びた青年が戦後アメリカに渡ってからの名前で、ポーランドの小さな村のユダヤ人家庭に生まれた彼の本名はブロネク・ヤクボヴィッチ。物語は全編ブロネクの名で進行する。
しかし、アウシュヴィッツ送りになってからは、その名前さえ取り上げられてしまった。
名前を取りあげられることで、私たちは人間性を完全に剥奪された。(中略)番号には顔がない。だから名前よりはるかに扱いやすいのだ。
(『アウシュヴィッツの歯科医』から引用)
腕に入れられた入れ墨の番号「141129」それが彼になったのだ。数字は次から次へとアウシュヴィッツに移送されてくる人の通し番号。ブロネクが入れられた1943年はそのピーク時にあたり、彼が収容されてわずか2週間後には入れ墨は15万番を超えていたそうだ。
歯科治療用の道具箱が命を救った
1941年に連行された時、ブロネクは歯科医になる勉強をはじめてまだ1年目だった。
母は必需品に加えて、歯科治療用の小さな道具箱をどうしても持っていけと言ってきかなかった。その道具箱がのちにわたしの命を救うことになるとは、このときは知るよしもなかった。
(『アウシュヴィッツの歯科医』から引用)
彼はドブラのゲットーからはじまり、シュタイネック労働収容所、グーテンブルン収容所を経て、アウシュヴィッツへと移送されていった。最初にナチ党員から戦争前何をしていたか訊かれたブロネクは「歯科医になる勉強です」と答えた。それぞれの収容所に歯科医がいなかったため、彼は収容されていたユダヤ人ばかりではなく、SS隊員やナチの上官の歯科治療まで行うことになったのだ。いちばん辛かったのは死体から金歯を抜く作業だったという。収容所ではNOとは決して言えないのだ。
死体から歯を抜いてくるとは、胸が悪くなりそうだ。そんなことが自分にできるとは考えられなかった。それでもやるしかない。ほかに選択肢はないのだ。(中略)わたしは、死人に痛みはないのだから、と自分に言い聞かせた。しかし、わたし自身には痛みがあった。
(『アウシュヴィッツの歯科医』から引用)
非ユダヤ人女性との恋
本書が他のホロコースト関連本と異なっているのは、ポーランド女性と恋に落ちた話もさわやかに描かれているからだろう。
出会いはブロネクがシュタイネック労働収容所にいた時だ。森の中の泉に水を汲みに行くという作業を命令され外に出ると、そこで5人の非ユダヤの若いポーランド女性たちに会った。彼女たちはどうしてユダヤ人というだけで頭髪を剃られ収容所に入れられているのか理解できずショックを受けていたという。
ブロネクはその中のひとりゾーシャという娘と相思相愛になる。彼女はこっそり食料を渡したり、ブロネクが家族と連絡をとるための手紙を請け負ったり、やがては家族で彼をかくまうとまで言った。しかし、ユダヤ人をかくまうと死刑になることを知っていた彼はこの申し出を断わり、二人は離れ離れとなる。戦後にブロネクはゾーシャを必死で探したそうだが、どうしても見つけることはできなかったそうだ。
知られざるカップ・アルコナ号の沈没
1945年、奇跡的にアウシュヴィッツから解放されたブロネクにはさらなる試練が待ち受けていた。
強制収容所から移送されてきたブロネクたちユダヤ人6000人はバルト海のリューべック湾に浮かぶ、豪華客船カップ・アルコナ号に乗せられた。これで助かる、自由になれると彼らは希望をもっただろう。
が、しかし、味方であったはずの連合軍、イギリス軍の爆撃機による攻撃を受け、客船はタイタニックさながら沈没。海に飛び込んで生還した収容者はごく僅かしかいなかった。ブロネクは、海に浮かぶ小さな木片を見つけ、裸になってこれにつかまり九死に一生を得た。
1975年の機密解除により、イギリス空軍が船を沈没させたことは明らかになったが、その理由は今もまだ謎のままだという。
カップ・アルコナ号沈没は、海洋史上三番目という大惨事だったにもかかわらず、私も本書を読むまでその詳細を知らなかった。ブロネクはここでも生き証人としてその体験を克明に書き残したのだ。
本書を読み終え、思ったことがある。私はまだポーランドを旅したことがない。が、いつかは負の遺産・アウシュヴィッツも見ておくべきだろう、と。
【書籍紹介】
アウシュヴィッツの歯科医
著者:ベンジャミン・ジェイコブス
発行:紀伊國屋書店
1941年、ポーランドの小さな村のユダヤ人家庭で暮らしていた21歳の青年がナチス・ドイツの強制収容所へ送られる。歯科医の勉強を始めて1年目の彼に、母は歯の治療用具箱を持っていくよう強く勧めた。その箱が、のちのち自分と家族の命を救うことになるとは、そのときは思いもしなかった。