本・書籍
2022/9/5 21:30

世のシングルマザーたちに読んでもらいたいアメリカ文学の傑作『掃除婦のための手引き書』

読むと心地よい疲労感を得られる小説を見つけました。

 

アメリカの女流作家、ルシア・ベルリンの短編集が注目されています。死後18年経った今、なぜ日本で話題になっているのか、独特な作風がなぜ響くのかを考えてみました。そこには壮絶な彼女の人生があったのです。

 

アメリカで2015年にベストセラー

作家ルシア・ベルリンの人生はかなり壮絶です。なにしろ3度の離婚を経験し、シングルマザーとして4人の子どもを看護助手や掃除婦などをしながら育てあげつつ、小説も書いていたのです。2度の離婚と2人の子どもだけでヒイヒイ言っている筆者にはスーパーウーマンのように感じます。

 

彼女の作品の多くが短編だったのは、長編に取り掛かる時間が取れなかったこともあるのかもしれません。彼女の作品を読むと1人の生活に疲れた女性の打ち明け話を聞いているかのような不思議な感じを受けるのです。

 

アメリカでは彼女の死後11年経った2015年に発売された短編集がベストセラーとなり、日本でも2020年に出た『掃除婦のための手引き書』(ルシア・ベルリン・著/講談社・刊)が本屋大賞〔翻訳小説部門〕第2位となり、2022年には文庫化されて駅ビルの書店に平積みされ、それを買い物帰りに通りかかった筆者が見つけたのでした。

 

底に流れる壮大な疲労感

4人の子どもを育てながら小説を書き続けるのは並大抵のことではありません。シングルマザーは、本を読む時間や映画を観る時間が極端に少ないケースも多いのです。それは家事と育児に追われてそのような時間を作ることができないから。おそらくルシア・ベルリンは子どもが寝たわずかな隙に書いていたのではないでしょうか。

 

日常から離れたファンタジーを書く人もいますが、彼女の場合は違いました。コインランドリーや病室など、働き疲れた女性が見る光景をリアルに描いたのです。それは多くの人にとって新鮮でした。そうした立場の女性が書いた小説というものはあまりなかったからなのでしょう。

 

代表作は1ページの短編

彼女の代表作のひとつは、たった1ページの短編である『わたしの騎手(ジョッキー)』。骨折して運び込まれた競馬の騎手の世話をする看護助手の女性の話です。ルシア・ベルリンは看護助手として働いていたので、おそらく彼女の経験も入っている話なのではないでしょうか。

 

他の作品もそうですが、彼女の男性を見る目が、行を追うごとにコロコロと変わるのです。異質の存在のように怖がったり、赤ん坊扱いしたり、面倒臭く感じたり、または恋人のように愛おしく思ったり。怪我人の世話をする僅かな時間の間にたくさんの感情が彼女の中を目まぐるしく行き交うのです。

 

早替えのように変わる心情

『わたしの騎手』は、病室でのワンシーンなのですが、とてもそれが1ページの短編だとは思えないほどに、騎手への感情がどんどん変化していくのです。同じ場面、同じ登場人物なのに、看護助手の気持ちだけが衣装の早替えのように次々変わる、このアンバランスな感覚にはまる人が多いのではないでしょうか。

 

これはシングルマザーだったら、もしかしたら思い当たる節はあるかもしれません。愛していたはずなのに色々ぐちゃぐちゃになって別れることになった、そんな、別れた夫への愛憎が、よその男性の前で渦巻くることがあるのです。あのなんともいえない感覚をルシア・ベルリンは作品に昇華させたのだからお見事です。

 

心地よい疲労感

この超速の感情展開の奥には、シングルマザーとして働きづめである彼女の疲れや孤独も込められているため、読むと疲れることがあります。でも、それはたくさん働いた後の心地良い疲れにも似て、爽快ですらあります。全力疾走している女性に伴走した感じです。

 

ルシア・ベルリンの作品は、おそらくシングルマザーならば「あるある」のオンパレードだと思います。100万人を超える日本のシングルマザー達にも、ぜひこの本を味わっていただきたいものです。

 

【書籍紹介】

 

掃除婦のための手引き書

著者:ルシア・ベルリン
発行:講談社

毎日バスに揺られて他人の家に通いながら、ひたすら死ぬことを思う掃除婦(「掃除婦のための手引き書」)。道路の舗装材を友だちの名前みたいだと感じてしまう、独りぼっちの少女(「マカダム」)。波乱万丈の人生から紡いだ鮮やかな言葉で、本国アメリカで衝撃を与えた奇跡の作家。2020年本屋大賞翻訳小説部門第2位、第10回Twitter文学賞海外編第1位。大反響を呼んだ初の邦訳短編集。

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