キーコーヒーの看板商品「トアルコ トラジャ」――喫茶店などで飲んだことがある方も多いのではないでしょうか。このトアルコ トラジャコーヒーは2018年で発売40周年。この長きにわたる年月には、日本人とトラジャの人々が結んだ絆がありました。本記事では、知られざるエピソードを交えながら、同社のコーヒー作りの奥深さについて紹介していきます。
まず、トラジャというのがインドネシアの地名を指すところから紹介していきましょう。トラジャ地方は世界で11番目に大きな島、インドネシア・スラウェシ島の山間地域にあります。島の玄関口となるマカッサル市からは、クルマで10時間という道のり。島国でありながら山々に閉ざされたこの地に住むのは、山の民・トラジャの人々。トンコナンという舟型の家に住み、独特な死生観を持つアニミズムとキリスト教が融合した信仰を持つ民族です。
トラジャコーヒーは、戦前のオランダ統治時代にもたらされました。しかし、戦後にインドネシアが独立する過程で、コーヒー産業は衰退。「幻のコーヒー」と呼ばれるように。
1970年代、世界から忘れられかけていたトラジャコーヒーに目を向けたのが、キーコーヒーでした。
キーコーヒーがインドネシアに現地法人のトアルコ・ジャヤ社を組織し、トラジャ地方にコーヒー農園「パダマラン農園」を開墾したのは1970年代。コーヒーの栽培に適した気候を備えた土地は、トラジャ地方でも標高が高い地点にあるまさに未開の地でした。当時キーコーヒーから派遣された社員の最初の仕事は、現地のトラジャの人々と協力し、道を切り開くことでした。
法人設立から2年、大きな苦労の末、1978年に「トアルコ トラジャ」は発売されました。そして、今年(2018年)はトアルコ トラジャの発売から40周年。かつての「幻のコーヒー」は、伝統あるブランドに成長しています。
トラジャは「キーコーヒーのDNA」
また、キーコーヒーはトラジャ地方の農家や仲買人からもコーヒーを買い付け、トアルコ トラジャを製造しています。その事業は現地との協力関係がなければ決して成り立たないといいます。
「キーコーヒーにとって“トアルコ トラジャ”はDNAだと思う」。そう語るのは、トアルコ・ジャヤ社の前社長の河合啓輔さん。キーコーヒーとトラジャは40年かけて「共存共栄」の関係を作り上げてきましたが、トラジャの人々と学んだことは、キーコーヒーのDNAに刷り込まれるようにして、企業の文化の一部となっているといいます。
キーコーヒーの農園運営は、トラジャ地方の住民と協力して続けられてきました。キーコーヒーから派遣される社員は、トアルコ社の幹部で数名のみ。パダマラン農園や生豆の生産工場の幹部を含めて、ほとんどの従業員はトラジャ地方の住民を雇用しています。
コーヒーの収穫時に必要な数百人の人手も、地元の農家などから確保。多くのトラジャの人々の協力があって初めて成り立つ組織になっています。トアルコ社で生産担当取締役を務めている吉原 聡さんは、「地域社会との共存なくして、パダマラン農園は決してやってこれなかった」と話します。
産地との共存共栄
「共存共栄」を象徴する取り組みの1つに、コーヒー農家への栽培支援があります。「トアルコ トラジャ」の原料のうち、直営パダマラン農園産は20%にすぎません。残りの80%は、地域の農家や仲買人から購入。これらのコーヒー豆の質も、商品のクオリティに大きく影響しています。
コーヒーは苗から木に育ち、収穫できるようになるまで3年程度かかる植物で、それなりの手間がかかります。一方で、トラジャ地方のコーヒー農家は、自給自足で生活する小規模な農家がほとんどで、多くはコーヒーの木の栽培についての十分なノウハウを持ち合わせていません。
キーコーヒーではそうした農家に対して、毎年講習を開催し、コーヒーの木の手入れの方法や、収穫量を多くするための工夫を伝授。品質の高いコーヒーを安定して収穫するための知識を共有してきました。
直営農園で育てた苗を無償で配布する取り組みも続けています。この取り組みはトラジャ地方の行政も一緒になって、1年間で5万本分という大規模な配布につながっています。
さらに、優秀な農家を表彰する「キーコーヒー・アワード」を毎年開催。受賞という名誉を通して、コーヒー生産の質と量の向上を促してきました。
こうした取り組みを通じて地域のコーヒー栽培を支援してきたキーコーヒーですが、一番の支援となるのは毎年一定量のコーヒーを買い付け続けること。トアルコ社のファクトリーアドバイザーを務める藤井宏和さんは「少量だけ高く買って、あとはいりませんというのはダメ。信頼関係を作るためには地道に買い続けていくことが大事です。」と語ります。
農家にとっては買い手がいるから安心して生産できる。そして安定した供給があることが「トアルコ トラジャ」のクオリティ向上につながっています。
コーヒー半減時代を見据えて
さて、「コーヒーの2050年問題」をご存知でしょうか。地球温暖化が進んだ近い将来、コーヒー栽培に適した土地が減少し、アラビカ種の栽培に適した土地が半減してしまうと予測されています。
この問題は、キーコーヒーも危機感を抱いています。トアルコ トラジャの産地、トラジャ地方はもともと雨季と乾季に分かれている土地。しかし、近年では乾季にも雨の降る日が多くなったことで、収穫に悪影響が表れているといいます。
このままではコーヒーが飲めなくなる未来が訪れる。そうした事態に備え、世界的な取り組みが進んでいます。非営利の研究機関「World Coffee Research(WCR)」が行っている試験もその1つ。目的は、病虫害や気候変動に強いコーヒーを探すことです。
WCRは、厳選したアラビカ種のコーヒー苗数十種類を、世界各地で栽培。共通の数十品種を気温や雨量などが違う地域で栽培することで、品種ごとの特性を見極めようとしています。
キーコーヒーもこの試験に参加し、パダマラン農園の一部を試験栽培エリアとして提供しています。その試験から得た成果は、WCRを通して、世界各国の生産地で活用されるほか、トアルコ・ジャヤ社を通して、トラジャ地方の農家と共有される見込みです。トラジャ地方に根差して、農家と生き残っていくための取り組みの1つと言えるでしょう。
生産国から消費国へ、変化するインドネシア
トアルコ トラジャの産地、インドネシアはここ数年で急激な変化を遂げています。首都ジャカルタは急速に発展。街には高層ビルが次々と伸び、自動車とバイクの大行列は、急激な経済成長を強く物語っています。
経済成長は、コーヒーの飲み方へも影響を及ぼしています。もともとイスラム教徒が多いインドネシアでは、お酒が飲めない文化であることからコーヒーは愛飲されてきました。人口の増加もあって、世界第4位のコーヒー生産国であるこの国は、コーヒーの消費大国にもなりつつあります。
現地で主流となっている飲み方は「トブロック」。これは、深煎りのコーヒーを細かく挽き、大量の砂糖をまぜてお湯を注ぐというもの。質の悪い豆でもほどほどにおいしく飲めますが、豆本来の味わいには欠ける飲み方です。
一方で、都市部ではスペシャルティコーヒーのショップがオープンし、ちょっとしたブームになっているといいます。ジャカルタ市内に店を構える「アロマ・ヌサンタラ」もその1つ。
「アロマ・ヌサンタラ」という店名は、「すべてのアロマ」という意味。インドネシア全土のコーヒーを扱うカフェを作りたいという、オーナーのヘリさんの願いがこめられています。
インドネシア中のコーヒーを知り尽くすヘリさんにとっても、「トアルコ トラジャ」は格別お気に入りなコーヒーだといいます。その一番の理由は「常に一定のクオリティを保っている」こと。変わらないおいしさを維持しているので、同店のハウスブレンドの中心となっているのもトアルコ トラジャだそうです。
日本のおいしさをインドネシアにも
そしてトアルコ社では、輸出用のコーヒーの産地としてだけでなく、インドネシア国内の家庭にもおいしいコーヒーを広めようと活動しています。トアルコ社の社長職を引き継いだ石井 亮新社長のミッションの1つは、インドネシア国内でのトアルコ トラジャの販売拡大です。
トラジャ地方のあるスラウェシ島で一番の都市、マカッサルには、トアルコ社が運営するコーヒーショップがあります。その名も「トアルコ トラジャ コーヒー」。
トアルコ社がこのコーヒーショップを開設した目的は、おいしい飲み方をインドネシアに広めること。トアルコ トラジャの各産地の豆を、さまざまな抽出方法で楽しめるお店です。抽出方法のおすすめは、日本で主流のハンドドリップだそうです。
現在はスラウェシ島を中心に販売されているトアルコ トラジャのコーヒー。今後は首都ジャカルタのあるジャワ島などへの拡大も視野にあるといいます。日本で飲めるおいしさを原産地の人々に。トアルコ トラジャの新展開です。
直営パダマラン農園を開拓し、「トアルコ トラジャ」が発売されて40年。かつては「幻のコーヒー」と言われていたそのコーヒーの産地は、大きな変化を迎えつつあります。変わらないおいしさを届けるためのキーコーヒーの挑戦は、インドネシアの人々と協力して続いていくことでしょう。