今日はバレンタインデー・イヴ。義理チョコ、本命チョコ、家族チョコなど様々なチョコレートが巡ってくる年に一度のイベントがまもなくやってきます。この時期は特に、様々なチョコレートが店頭に並びますが、比較的手に取りやすいおなじみメーカーのものから、海外ブランドの1粒1000円オーバーの高額なものまで様々。
個人的にはどれも美味しく感じてしまうのですが、果たしてこの差はどこにあるのでしょうか。そして、チョコレートそのものの歴史、工程はどういったものなのかも気になります。そこで今回は、「チョコレートロッテ~♪」でお馴染みのロッテ・米岡孝輔さんに、チョコレートの起源、歴史など、様々な疑問にお答えいただきました。
スペインが隠し続けたチョコレートの存在
ーーまず、チョコレートの起源から教えてください。
米岡孝輔さん(以下、米岡) どこからを「チョコレートの起源」と呼ぶかにもよるのですが、一般的なチョコレートの定義は、カカオ豆の種子を発酵・焙煎したカカオマスを元にした固形食品です。
ただし、カカオの食用という意味では紀元前から始まったと言われています。古代メキシコではカカオは「神様の食べ物」といわれ、とても貴重なものでした。その後、カカオの種子を砕いて、香辛料とともに水に溶かし飲用するようになります。これは「ショコラトル」と呼ばれ、滋養強壮の飲み物として、高貴な王様たちに親しまれたそうです。味については現在の基準からすると美味しいとは言い難いものだったと想像されますが。
時代が進み、16世紀になるとスペインがメキシコ(アステカ帝国)に遠征し、多くのカカオ豆を自国に持ち帰ります。そしてカカオ豆にミルクや砂糖などを加え、温かい飲み物を作り、上流階級の人たちの間で広まったようです。今で言うホットチョコレートのようなもので、甘くて美味しい味わいだったようですが、ただここから100年くらい、チョコレートの製造や浸透には空白の期間がありました。
なぜ、この100年くらい空白の期間があったのかと言うと、当時カカオ豆はとても貴重で、スペインの人たちはこの飲み物の存在と作り方を長い間秘密にしていたからです。しかし、イタリア商人がこっそり自国にチョコレートの作り方を持ち帰ったり、スペインの王族の子が嫁ぎ先のフランスにチョコレート専門の料理人を連れて行ったりしたことで、フランスにも味が知れ渡り、世界へと広がっていったそうです。
そして、1800年代に「チョコレート4大発明」が起こります。この頃までは、前述のような液体だったチョコレートですが、この「チョコレート4大発明」は「ココアの誕生」「固形チョコレートの誕生」「ミルクチョコレートの誕生」「コンチング(※)の発明」で、まろやかでなめらかな美味しい固形チョコレートが作られるようになりました。
(※)“コンチング”という名前のかくはん機を使い、チョコレートをさらに滑らかにする作業。
以来、チョコレートは主に固形で親しまれることが多くなり、庶民でも味わうことができるお菓子として、世界中に愛されるようになっていきました。
日本市場にヨーロッパの本格チョコレートが到来!
ーーそのチョコレートがやがて日本にも入ってくるわけですが、ロッテでチョコレートを始めたのは1964年発売のガーナですよね。
米岡 そうです。実は当時の日本には既に国産のチョコレートが販売されており、業界全体がずっと伸びている状態でした。ただこの時のチョコレートは、アメリカなどでよく食べられている砂糖由来の甘さが特徴のもの。弊社としても「この先、チョコレート事業をやらなければ、菓子市場の中で大きな存在にはなれない」と考え、後発ではありながらも本格的な開発に乗り出すことにしたそうです。
世界に目を向けると、チョコレートの本場、ヨーロッパのミルクチョコレートがメインストリームになっていました。このミルク感溢れるチョコレートを日本の皆さんにも召し上がっていただきたいと考えた弊社では、調査隊を作って何度もヨーロッパに出向いて、製造技術を得ようとしたそうです。しかし、当時のヨーロッパ諸国のチョコレートメーカーは、企業秘密のため、なかなか教えてくれず、苦労があったようです。
様々な折衝を重ねた後、ようやく、スイス出身でドイツやオーストリアのメーカーでチョコレート工場長を務めた技師であるマックス・ブラックさんという方に日本にお越しいただくことに成功しました。この方が弊社で、ヨーロッパスタイルの板状のミルクチョコレートを作りました。それがロッテの『ガーナミルクチョコレート』で、弊社のチョコレート事業のスタートとなったわけです。