インバウンドの増加で、昨今ますます人気が高まるSAKE=日本酒。観光面では蔵元を巡る酒蔵ツーリズムも人気です。
全国に数ある“酒のまち”のなかでもいま注目したいのは、東広島の西条(さいじょう)。理由は、「日本三大酒処」のひとつであるうえ、7つの蔵元が駅から徒歩圏内でアクセス至便だから。そこで、フードアナリストの中山秀明さんに現地に足を運んでいただき、造り手のひとつ「亀齢(きれい)酒造」を訪問して酒都・西条や同蔵が造る酒の特徴などをレポート・解説いただきました。
日本三大酒処の灘、伏見、西条
この地が“銘醸地”と呼ばれる理由
「酒処」とは、良酒の造り手として名高い蔵元が集まる銘醸地や、有名な酒販店や居酒屋が多い地域のこと。そして、銘醸地に関しては兵庫の灘、京都の伏見、広島の西条が日本三大酒処として知られています。各地にはどんな特徴があるかを、まずは解説しましょう。
・山田錦のふるさと、名水が湧き出る「灘」
灘は、神戸市の灘区から西宮市にかけての沿岸地域を指します。そのなかに、西から西郷(にしごう)、御影郷、魚崎郷、西宮郷、今津郷と5つの地区があり、総称として「灘五郷」とも呼ばれます。
銘醸地となった理由はいくつもあり、まず名水百選にも選ばれた六甲山からの「宮水」が湧き出る名水の地であること。加えて、兵庫は“酒米の王者”と称される「山田錦」のふるさとであり、原材料にも恵まれていました。
さらに沿岸部であるため港から米などの物資を運びやすく、酒を江戸に運ぶ樽廻船(たるかいせん)も発着しており、物流や経済面でも有利だったことがこの地の発展を支えました。
・安土桃山時代に酒処の基盤ができた「伏見」
伏見は、京都市南端の伏見区周辺を指し、蔵元は桂川、鴨川、宇治川の間に集まっています。日本の中心地だった京都は酒も古くから造られており、なかでも伏見には名水百選の「伏見の御香水」で知られ、「伏水(ふしみ)」と呼ばれていたほど良質な伏流水に恵まれた地域。
そんな伏見が酒の都になるルーツは安土桃山時代にあります。1594(文禄3)年に豊臣秀吉が伏見城を築いたことで城下町としてにぎわい、内陸の河川には伏見港も誕生。現在の大阪、奈良、滋賀といった都市との水陸交通の要衝となり、日本酒の生産量も消費量も増加する一大拠点となったのです。
明治時代にふたりの偉人が切り拓いた
酒都・西条の奥深い歴史
灘・伏見と並び、日本三大酒処である西条。酒都とも呼ばれる理由は、酒造りに適した環境に加え、美酒を醸造するための製法や技術を発明した歴史があるからです。
東広島は古くから、北部にある龍王山の伏流水が井戸水となって湧き出る名水の地。西条の各酒蔵はいまでもこの地下水を仕込みに使い、その井戸水は市民に開放されているほど親しまれています。
また、気候風土にも恵まれ、西条は標高400~700メートルの山々に囲まれた盆地。寒暖差が大きいので酒米の栽培に向いているうえ、酒を仕込む冬の平均気温が4~5℃と、日本酒造りに理想的な条件がそろっています。
歴史をたどると奈良時代から酒造りが行われてきたといわれますが、より盛んになったのは明治以降。近代国家を目指した新政府は酒株(免許制度)を廃止し、規制緩和で西条にも新たな酒蔵が誕生するように。加えて1894(明治27)年には西条駅が開業したことで、鉄道による酒や物資の運搬が可能となり蔵元も栄えていきました。
しかし西条をはじめ広島で新規参入した酒造家たちは、ある悩みを抱えるようになります。それは、軟らかい水質。灘や伏見の仕込み水はミネラル豊富な硬水や中硬水ですが、広島の多くはミネラルの少ない軟水。軟水は発酵が進みづらく、さらに当時は腐敗することも少なくありませんでした。
この解決に挑んだのが、東広島市の安芸津町三津(あきつちょうみつ)の酒造家・三浦仙三郎氏です。三浦氏は硬度によって酒質が変わることを突き止め、勘に頼る酒造りではなく、科学的な実測値に基づく研究によって新たな酒造理論を確立。ミネラル不足という軟水の弱点を、麹(こうじ)による糖化(※1)発酵の促進で利点に変える「軟水醸造法」を発明しました。
その後三浦氏は、研究成果をまとめ「改醸法実践録」として出版。業界に共有したことで、軟水の地域だった広島県全体の酒質も向上。1907年(明治40)年から始まった全国清酒品評会で広島の酒は、灘・伏見を抑えて最高賞の優等1、2位を獲得することに。また、この切磋琢磨のなかでフルーティーな吟醸造り(※2)が生まれ、後世で三浦氏は“吟醸酒の父”と呼ばれるようになりました。
東広島の偉人はもうひとり、日本初の動力式精米機を発明した佐竹利市氏がいます。広島は高低差の大きな河川がなく、水車による精米が困難でした。精米は人力に頼らざるを得なかったところ、佐竹氏が酒造用の精米機開発に挑み、砥石で米を削る「研削式精米機」が完成。当時としては画期的だった精米歩合(せいまいぶあい/後述)60%も実現し、精米の効率化と前述の吟醸酒づくりに貢献したのです。
【日本酒の基礎用語】
・糖化……麹の酵素により、米のデンプンが糖へと分解される現象。(※1)
・吟醸造り……ぎんじょうづくり。国税庁の定義では「よりよく精米した白米を低温でゆっくり発酵させ、かすの割合を高くして、特有な芳香(吟香)を有するように醸造する」こと。(※2)
日本酒の種類は2つを押さえよう
ポイントは精米歩合と醸造アルコールの有無
日本酒は「本醸造酒」「純米酒」「吟醸酒」「純米大吟醸」などに分類されますが、その定義は“「醸造アルコール」の有無”と“精米歩合”が関係しています。
「醸造アルコール」はサトウキビなどを原料にした蒸留酒で、使い方によっては酒質をクリアにしたり、香り高くしたりする効果があります。一方「醸造アルコール」を添加せず、米、米麹、水だけで造るのが純米酒。
お米は外側に近い部分に脂質やアミノ酸などを多く含んでおり、これらは旨みのもととなる反面、雑味の原因となります。そこで澄んだ酒質にするため、お米の外側を削るのが精米です。精米歩合は、精米した後に残った酒米をパーセンテージで表示したもの。
ラベルなどに記載される「精米歩合35%」とは、65%を削って残りの35%を原料にしたという意味です。精米歩合を高くする(削る部分を多くする)と、香り高く洗練された酒質、低くすると濃厚な味わいのお酒を造りやすくなります。
広島のなかでも水に恵まれた西条
やがて名実ともに酒の都へ
こうした2つの発明は、広島を銘醸地へと発展させる原動力に。なかでもとくに西条は広島でも珍しい中硬水が湧く地で、軟水醸造法の酒だけでなく硬水の銘酒も造れるという、奇跡的な地域でした。それゆえ多彩な美酒が生まれ、酒処としての地位を確立したのです。
やがて1929(昭和4)年には県醸造試験場の清酒醸造部門が広島市から西条へ移転。さらに近年でも、1995年には国税庁醸造試験場が東京都北区から東広島に移ってきました。また、1990年からは毎年10月に「酒まつり」が西条酒蔵通りで開催され、国内外から20万人以上も集まる国内屈指の日本酒イベントに成長するなど、名実ともに西条は酒都となっていったのです。
辛口の名手と呼ばれる亀齢
杜氏が語るその極意
では、今回訪れた亀齢酒造はどんな特徴をもった造り手なのでしょうか? とくに知られているのが、“淡麗辛口な酒の名手”であること。西条をはじめとした広島の酒造りは、軟水を生かしたやわらかい甘口が主流ですが、亀齢酒造はキレの鋭い辛口の酒に定評があります。
ただ、辛口に対するこだわりを杜氏(とうじ ※3)の西垣昌弘さんに聞くと、予想外の答えが返ってきました。それは、辛口は強く意図していないというもの。
「目指すのは味の方向性以上に、とにかくおいしい酒であること。ほかの造り手さんもそうだと思います。でも、造り方って環境や杜氏さんの考え方によっても変わるんですよね。私の場合、代々受け継いできた製法や酵母などが亀齢酒造らしい味を生み出していて、それが結果的に辛口の評価をいただいているのだと思います」(西垣さん)
なお、西垣さんは日本四大杜氏(南部、越後、但馬、能登)の一翼を担う、兵庫県の但馬杜氏。毎年寒仕込みの冬場になるとここで蔵人とともに酒造りをし、終わると地元の新温泉町に戻り、地元の特産品「はたがなる大根」を栽培しています。
「よそのことはわかりませんけど、きっとうちならではの造り方があるんだと思います。ぜひ見ていってください」と話す西垣さんの案内で、普段は見学などを行っていない貴重な酒蔵のなかへ。
【日本酒の基礎用語】
・杜氏(とうじ)……蔵元における酒造りの最高責任者のこと。「但馬杜氏」など、酒造りの職人集団という意味でも杜氏と呼びます。(※3)
独自の酵母や低温長期醸造が
亀齢酒造のエスプリ
日本酒は、精米した酒米を洗って蒸して冷まし、用途に応じてもろみ用の掛米、麹用の麹米、酒母(しゅぼ/後述)用の酒母米にわけます。その他、一連の醸造工程をイラストとともに解説しましょう。
とくに重要な工程が、米麹を造るための製麹(せいきく)。亀齢酒造では狙ったクオリティの麹を安定的に造れる機械造りと、少量ずつ緻密なコントロールでより高品質な麹を造る手造りのふたつを採用しています。
実際に見せてもらったのは、手造りによる製麹。これを行う麹室(こうじむろ)は冬でも温かく、麹菌を繁殖させるために35℃前後、湿度25%前後という環境。麹米に種麹(たねこうじ。「もやし」ともいいます)という黄麹菌(※4)の胞子をふりかけ、混ぜ込んで積み上げ、布を掛けて保温し寝かせる工程を行います。
次に案内してもらったのは酒母育成室。水と麹と蒸米に酵母を加えて酒母を仕込み、さらに14日間ほどかけて造り上げていきます。
「麹は酒質に大きく影響しますから、非常に重要。また、酵母も大切ですね。うちでは一般流通している『きょうかい酵母(※5)』を使うこともありますが、歴代の杜氏が受け継いできた独自の酵母を使う銘柄もあるんです。とくに昔からの定番にはよく使いますね。なので、亀齢酒造の味は伝統的な酵母や、蔵に浮遊している『蔵付き酵母』などが個性のひとつになっているんだと思います」(西垣さん)
次は、巨大なタンクが並ぶ醪(もろみ)発酵室へ。ここでも、亀齢酒造ならではの伝統製法が徹底されていました。
「うちのもろみは、低温長期醸造が鉄則。最初は一般的な三段仕込み(※6)でもろみを造っていきますが、その後の発酵は温度を慎重に管理しながら低い温度でゆっくり発酵させていきます。こうすることによって、荒々しさがないクリアな味わいになるんですよ」(西垣さん)
亀齢酒造では、低温長期仕込みによる吟醸造りがベース。その理論を重んじつつ、歴代の杜氏によって培われてきた独自の酵母やロジックで、ほかにない西条の酒を醸しているのです。
【日本酒の基礎用語】
・黄麹菌……きこうじきん。ニホンコウジカビとも呼ばれ、日本酒や味噌、醤油などを造る際に用いられます。なお、焼酎では白麹菌や黒麹菌を使うこともよくあります。(※4)
・きょうかい酵母……公益財団法人日本醸造協会が頒布している、日本酒、焼酎、ワインの酵母菌のこと。近年の日本酒では、秋田・新政酒造の「きょうかい6号」や、比較的新種の「1801酵母」などが有名です。(※5)
・三段仕込み……もろみを仕込む際、原料をタンクへ一度に投入するのではなく、3回に分けて行う手法のこと。四段、五段……十段といった仕込み方もありますが、三段仕込みが最も一般的です。(※6)
・火入れ……日本酒を腐敗から防いだり、品質を保ったりするために行われる加熱処理のこと。処理せず生の状態で出荷される日本酒のことを「生酒」と呼びます。(※7)
直近の西条品評会で優勝した
亀齢の味を飲み比べ
一連の流れを見学したあとは、利き酒も体験させてもらいました。こちらは西垣さんの後継者、東 健太郎さんと一緒に。
飲み比べたのは、機械で搾るのではなく酒袋に吊るして滴り落ちる雫を集めた希少な限定酒「亀齢 大吟醸 斗瓶採り(とびんとり)」の生酒と、火入れ後の2種類。
味わいは、どちらも大吟醸ならではの果実味が際立ち、ラムネを思わせるジューシー感が印象的。繊細でクリアな口当たりですが旨みの芯もあり、余韻はキリッとして上品なおいしさです。そのうえで、生酒のほうがやや酸を感じるフレッシュな味わい。火入れのほうは落ち着いたなめらかさがあり、濃い味付けの料理にはこちらのほうが合いそうだと感じました。
2023年開催の「西条清酒品評会」で、西垣さん率いる亀齢酒造は3度目の優勝を果たしました。「蔵人たちの輪を重視し、よりおいしい酒を造っていきたいです」と笑顔で抱負を語ります。
なお、亀齢酒造では蔵の一般見学はできないものの、万年亀舎(まねきや)という直売所が併設されています。ここだけでしか買えない限定酒もあるので、西条に来た際は足を運んでみてください。
亀齢酒造
住所=広島県東広島市西条本町8-18
TEL=082-422-2171
万年亀舎営業時間:平日9:00~16:00(昼休憩あり)、土日祝10:30~16:00
定休日=不定休
駅周辺に7つの老舗蔵が点在し、各蔵元の酒を飲み比べられるお店や、その酒を使った料理やスイーツを扱うお店があるなど、まち歩き以外にもさまざまな楽しみ方がある西条。ぜひ、次の休みに訪れてみてはいかがでしょうか。
Profile
フードアナリスト / 中山秀明
フードアナリスト・ライター。内食・外食のトレンドに精通した、食情報の専門家。現場取材をモットーとし、全国各地へ赴いて、大手メーカーや大手小売りから小規模事業者まで、幅広く取材している。酒類に関する知識量も豊富で、日本酒にも詳しい。