市場参入メーカーは40~50社にも至った電卓戦争
――やがて電卓は一般に広まっていきます。
1960年代後半~1970年代初頭のマーケットは、大手電機メーカー、事務機メーカー、計測器メーカーなどが続々と電卓市場に参入するようになりました。
――それだけ多くの企業が参入した理由はなんだったのですか?
一つは電卓の機能、演算素子の進化が挙げられます。それまでの演算素子は、電子回路を1チップに納めたICが主流でしたが、やがてICよりも集積度の高いLSIに移っていったからです。
初のLSI電卓は1969年にシャープさんが発売し、1971年には単3電池で駆動するハンディサイズのLSI電卓をビジコンさんが発売しました。そして、同じ1971年には、アメリカのテキサス・インスツルメンツさんが外販を目的とした電卓用のLSIを開発し、日本に供給し始めます。これによって、電卓の開発実績に乏しい企業でも参入が容易となりました。
これらの経緯で、電卓市場へは一時期40~50社が参入したと言われ、各社入り乱れての熾烈な戦いが強いられました。実際、市場は驚異的なスピードで成長し、生産量は毎年2倍以上のペースで伸び続け、1970年には1000億円市場に。この時代の市場争いは「電卓戦争」とも呼ばれました。
――やがて、その電卓戦争の雌雄を決した製品はナンだったのですか?
1972年、弊社が開発した、世界初のパーソナル電卓、カシオミニでした。当時、電卓の最普及価格帯は4万円程度まで下がっていましたが、これらはあくまでも事務用のものです。
それを「一家に一台」普及を掲げ、それまでの3分の1以下となる1万2800円の価格を実現し、発売後10か月で100万台ものヒットに至りました。
なぜ、カシオミニは3分の1の価格を実現できたのか?
――しかし、何故そこまでの低価格を実現できたのでしょうか?
確かにいくら技術の進展があったとしても、4万円だった商品をいきなり3分の1の価格に落とすことは困難です。しかし、そこで弊社はある決断をしました。
それまでの計算機は事務用ですので、10桁表示が主流でした。当時の技術では、この桁数は回路と表示の複雑さ、つまりコストに非常に影響するものでした。そこで「個人向け」「家庭向け」ということを想定し、表示を6桁に抑え、かけ算の答えについては桁送り方式で12桁まで判る方式を考案しました。つまり、個人用ならば99万9999円まで表示できれば充分だと判断したのです。この6桁仕様のLSIを弊社で独自設計し、用途を伏せてLSIメーカーに大量発注することで大幅なコストダウンを実現させたのです。
――「用途を伏せて」というのがすごいですね。
新世代の電卓用だと判ってしまうと、有望市場向けということで、価格交渉の難易度が高まる可能性がありました。また、LSI発注の段階で半導体業界に知れ渡ってしまうと、電卓他社が追随する要因にもなり得ることから、用途を伏せて発注するのが得策と判断したのです。
これらによってカシオミニは大幅なコストダウンを実現したわけですが、かつて40~50社あった市場参入メーカーは、撤退が相次ぎました。特に「多角化」「品揃え」のうちの一つとして電卓を手掛けていた企業にとっては「全社のリソースを電卓に集中する」という決断は出来なかったのです。
0.1mm単位の薄型化をめぐって続いた電卓戦争・第二幕
――これらのことで電卓市場のメーカーはカシオ計算機、キヤノン、シャープの3社に集約されます。
はい。ただし、この後も、言わば「電卓戦争・第二幕」のような競争が繰り広げられるようになります。まず、1973年にシャープさんが表示に液晶を採用した電卓を、さらに1977年には厚さわずか5mmというボタンレスの手帳サイズ電卓を発売します。
つまり薄型化による差別化が盛んになっていったわけですが、弊社では1978年に厚さ3.9mmの名刺サイズ電卓、LC-78を発売しました。以降、しばらくの間はシャープさんと当社の間で0.1mm単位で競い合う薄型化競争が続くようになります。
そして、1983年にはクレジットカードサイズの電卓、SL-800を発売します。これは厚さわずか0.8mmという極薄のもので、以降は、これよりも薄い電卓は出現していません。結果的に、このSL-800をもって、薄型化競争は収束したと言って良いかもしれません。
深過ぎます、カシオ計算機と電卓の歴史……。ですが、この後もまだまだ続きます。次回は、複合型電卓、そして現在に至るまでのカシオの電卓について、さらにお聞きします。お楽しみに!
撮影/我妻慶一