ここからは芸能記者&リポーター歴49年の中で、特に印象に残った出来事を5つ挙げてもらった。前忠が目撃したスターたちの素顔とは?
勝新太郎・パンツ大麻事件(90年)
ハワイ・ホノルル空港で、下着の中に大麻を隠し持っていた容疑で逮捕された勝新太郎。緊急会見が開かれたが、そこでは「なぜパンツの中に入っていたかわからない。今後、もうパンツを履かないようにする」と珍コメントをする。
「唖然としたよね。目の前で起きている事態に対し、『こう切り返すか?』という衝撃があった。同時に『こんな無頼派、いまだにいるのか!』とうれしくもなった。昔の芸能人は確実に今よりも豪放磊落タイプが多かったです。本来、芸能人なんてそういう人がなるべきだしね。日本の芸能界というのは決して綺麗でさわやかな世界ではなかったですから。
僕は勝さんも知らない仲じゃなかったし、最期はハワイまで散骨までいったんです。何かあると、中村玉緒さんからも電話がかかってきてね。『ちょっと、あんた!』って例の甲高い声が忘れられません」
ビートたけし・フライデー襲撃事件(87年)
ビートたけしを含むたけし軍団12人が写真週刊誌『FRIDAY』編集部を急襲した事件。もともとは強引な取材を進める記者に問題があり、当時、たけしと親密交際をしていたとされる専門学校生を頸部捻挫、腰部捻傷で全治2週間のケガを負わせたという経緯があった。
「あの問題は世間だけじゃなく、僕らも考えた。自分たちにも非があるなと思った。もちろん『FRIDAY』にも非がありましたしね。マスコミというのは『言論の自由』を盾にするわけですよ。『俺達には報道する自由があるんだ!』って。だけど、たけしにしてみたら『あんたらには言論の自由はあるかもだけど、俺らにだって名誉というものがある』という話になる。
あのときは結局、暴力で解決というか殴り込みで決着したわけだけど、『他にやり方があるなら教えてくれ』ってたけしは開き直っていた。あそこまでの騒ぎになれば、さすがに世論も『ちょっと待てよ?』と立ち止まって考えますよ。たけしはそこまで織り込み済みだったと思う。『マスコミにやられたい放題の芸能人。でも、彼らの権利は一体どうなっているの?』ってね』
中森明菜&近藤真彦・金屏風前謝罪事件(89年)
ジャニーズ史上最大のミステリー。89年7月、中森明菜は交際中の近藤真彦の自宅で自殺未遂を起こす。そして同年12月、明菜は世間を騒がせたことを涙ながらに謝罪。同席した近藤も、交際について尋ねられると「そうしたことは一切ない」と不自然すぎる釈明で逃げ切った。会見が金屏風の前で行われたことから、結婚会見を開くと明菜を騙したとも噂されるが……。
「当時は年末年始のハワイ取材が恒例だったから、僕も向こうに行っていたんです。そうしたら31日に2人が会見をやるという情報が入ってきた。当然、結婚かと思うじゃないですか。ハワイにいたリポーター連中もザワザワしていたんだけど、代わりに誰かをハワイに飛ばすわけにもいかなくて、日本に帰ることはできなかった。だけど虫の知らせがあったのか、井上公造だけは日本に帰ったんだよね。
そうしたら金屏風の前で『別れます』だから……。あれは一説にはメリー喜多川さんが仕掛けたとも言われているけど、真相は僕もいまだにわからない。でも結果的に明菜はあのダメージがいまだに尾を引いていて、立ち直れないわけでね」
素顔の高倉健
銀幕の大スター・高倉健は、14年に惜しまれつつもこの世を去った。代表作は枚挙にいとまがないが、日本生命のCMで発した「不器用ですから」のセリフは本人のイメージを決定づける。
「健さんというのは見た目も含めて、無口で不器用なイメージがついて回りますよね。だけど、実際はそうじゃないんです。すごく器用な人だし、女性も大好きだったらしい。ゲイという噂もあったけど、そういうところまで含めてセクシャルな好奇心が高かったのでしょう。とにかく身近な人から話を聞くと、そういうエピソードがたくさん出てくるんですよ。
一方で役者としては、83歳で亡くなる直前まで自分をストイックに追い込んで頑張っていた。すごい人ですよ。本物のプロフェッショナルだと思います。最期まで高倉健を演じきったんですから」
石原裕次郎のダンディズム
昭和を代表する俳優・歌手であり、司会業やモデルなどもマルチにこなした。漢気に溢れる性格でも知られ、今もなお幅広い層からカリスマ視されている。
「あの人こそ真のスターですよ。放つ光が違っていた。あるとき、裕次郎が慶應義塾大学病院の屋上を歩いているところを撮ろうと思ったんだよね。ところが場所取りに失敗してしまったものだから、勝手に道路を封鎖して、クレーン車の上から狙ってやったの。クレーン車の上に乗った状態のままファインダー越しに見ても、裕ちゃんはめちゃくちゃカッコよかったよ。そのときは四谷警察署からも呼び出しを喰らったし、渋滞を引き起こしたということでプロデューサーは始末書を書いていたけどね。
だけど、話はそれで終わらなかった。後日、本人からも自宅に来るように呼び出されてさ。『バカ野郎!』って、こっぴどく怒られた(苦笑)。クレーン車というのは、かなり揺れるものなんです。もし強風が吹いて僕が下に落ちたら、確実にケガ人が出る。そうしたら、取り返しがつかないくらいの社会問題になるというわけですね。たしかにその通りなんですよ。向こうは映画でアクションをやっているから、クレーン車の使い方も心得ているわけ。だからクソミソに怒鳴られながらも、絶対にクレーン車から落ちないロープの張り方を教えてもらいました。それで大説教大会が終わると、『まぁ飲めや』と、こう来るわけです。どこまでもカッコいいスターだったね」
【プロフィール】
前田忠明(まえだ・ただあき)
1941年北海道生まれ。明治大学文学部中退。「女性自身」の芸能記者として活躍したのち、80年テレビ界に転身した。