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2022/7/2 20:00

音楽と食とアートの祭典“ラッキーフェス”総合プロデューサー・堀 義人さんに聞く。逆境こそ不可能を可能にするための近道

昨年までコロナ禍のために2年連続で中止に追い込まれた日本最大級の野外音楽フェス「ロック・イン・ジャパン・フェスティバル」(通称「ロッキン」)が、2022年の開催地を茨城県ひたちなか市から千葉県に変更すると発表したのが今年1月。それから約半年が経過し、現在、茨城県では地元ラジオ局のラッキーエフエム(茨城放送)が新たに立ち上げた「ラッキーエフエム グリーンフェスティバル’22」(通称「ラッキーフェス」/国営ひたち海浜公園にて7月23・24日開催)の開催準備が佳境を迎えている。今回は、実現不可能といわれたイベントを実現すべく奔走する総合プロデューサー・堀 義人さんに緊急インタビュー。初めて手がけたフェスへの熱い思いを語ってもらった。

 

(構成・撮影:丸山剛史/執筆:木村光一)

●堀 義人(ほり・よしと)/1962年、茨城県水戸市出身。京都大学工学部卒。ハーバード大学経営大学院修士課程終了(MBA)。実業家。住友商事を経て、1992年、株式会社グロービス設立。2006年、若手起業家育成のためのグロービス経営大学院大学を開学し、学長に就任する。2011年、東日本大震災復興支援プロジェクトKIBOW活動開始。2016年、自身の故郷の地域活性を目的とする「水戸ど真ん中再生プロジェクト」を始動させ、同年、Bリーグ・茨城ロボッツの取締役兼オーナー就任。2019年、茨城県唯一の県域民間放送事業者である茨城放送筆頭株主となり、地方創生のためのメディア戦略を展開している。著書に『創造と変革の技法─イノベーションを生み続ける5つの原則』『新装版 人生の座標軸「起業家」の成功の方程式』(東洋経済新報社)、『創造と変革の志士たちへ』(PHP研究所)他がある。

 

茨城県に根付いたフェス文化の灯を守るには自分がやるしかなかった

──ラッキーエフエムのオーナーである堀さんが自ら「ラッキーフェス」(ラッキーエフエム グリーン フェスティバル’22)開催を決意されるに至った経緯からお聞かせください。

 

 昨年4月、「ロッキンジャパン」(ロック・イン・ジャパン・フェスティバル/以下「ロッキン」と表記)の運営側からラッキーエフエム(茨城放送)に打診があり、共同主催という形でフェスを行うことになったんですが、周知のとおりコロナ禍のため中止になりました。もちろん、それは僕たちにとっても苦渋の選択でした。そしてその4か月後、12月になってロッキンの運営側から「諸事情により会場を千葉に移転する」との連絡があったのですがそれも覆せませんでした。このロッキンの移転は、過去20年間フェス会場として親しまれてきた国営ひたち海浜公園を管理運営するひたちなか市、毎年ロッキンを楽しみにしている県内の音楽ファン、茨城県民全体にとってもかなりショックな出来事だったんです。

 

──2019年に開催されたロッキンには5日間で33万人あまりの観客が訪れたといいますから、その経済的損失も甚大だということですね。

 

 いえ、経済損失もそうですが、僕がもっとも危惧したのはせっかく茨城県に根付いたフェス文化が消えてしまうこと。マインドにおけるマイナス面が心配になったんです。ロッキンはすでに夏の風物詩の一つになってましたから、それがなくなってしまうと茨城の夏にぽっかり穴が空いてしまう。生まれ故郷の茨城県を元気にしようとさまざまなプロジェクトの旗振り役をしている僕にとっても、これは絶対に見過ごすわけにはいかない由々しき事態だったんです。その時点で、選択肢は2つしかありませんでした。つまり、「無念な気持ちのまま黙って何もしない」もしくは「茨の道と承知の上で独自のフェスを立ち上げる」。僕は起業家ですから、迷わず後者を選びました。それで今年の1月5日、ロッキンの千葉移転が正式発表になった2時間後、僕らも「やるっきゃねーべよ」というプレスリリースを行ったわけです。

 

音楽業界にコネクションはゼロ。専門家に絶対失敗すると断言されて

──即断即決。すごいスピード感です。堀さんは元々ロックフェスのような音楽イベントに興味をお持ちだったんですか。

 

 僕はバブル時代、ディスコに週3、4日通っていたくらい音楽は好きでした。その後もEDM(エレクトロニック・ダンス・ミュージック)系のフェスやロッキンなどにも足を運んでました。でも、まさか自分でやることになるとは夢にも思いませんでした。

 

──大規模なロックフェスは出演アーティストのブッキングや会場設営など、多岐にわたるノウハウを必要とします。実業界で活躍されている堀さんは、それらを可能にするコネクションをあらかじめお持ちだったんでしょうか?

 

 いえ、1月5日に「やります」と公言してはみたものの、その時点で音楽業界にコネクションはゼロ。ということで、いきなり路頭に迷ってしまいました(苦笑)。当然、著名なイベンターやプロモーターにも相談しようとしたんですが、ことごとく断られてしまって。中には話を聞いてくれた方もいたんですが「とにかく時間がなさすぎる。そもそもフェスをやるにはプロでも立ち上げから1年半はかかる。肝心なアーティストのブッキングだって今からでは間に合わない。あなた素人でしょ、やめときなさい。絶対失敗するから」と手厳しく言われました。

 

DJ DRAGONという同志を得て道筋が見えた

──たしかに1月の時点では開催日も決まっていなかったわけですから、不可能と言われても仕方のない状況でしたね。それでもやろうという意志を曲げなかったのはどうしてですか?

 

 不可能と断言されて余計にやるしかないと。僕はやる前から「出来るわけがない」と決めつけるのが大嫌いなんです。そこでとにかく、自分のネットワークの中で、音楽やイベントに通じているであろうと思われる人たちに片っ端からコンタクトしていった。何もわからないと何をしていいかわからない。だから不安になる。それを解消するのに一番いい方法は活動量を増やすことですから、徹底的に人と会いまくったんですよ。そうしているうちに何かわかるだろうと。あとは可能な限りフェスについての事例を調べ、同時に協力してくれそうな方々にもコンタクトを取り続けて賛同者を募っていきました。そのさなかに出会って意気投合したのがDJ DRAGON。ラッキーエフエムを代表する平日午後のワイド番組『ミュージック ステート』金曜パーソナリティも務めている彼が仲間に加わってくれたことで一気に視界が開けたんです。

 

──DJ DRAGONさんといえば日本のDJ界の重鎮(一般社団法人日本DJ協会理事長)。しかも2017年に大人も子どもも楽しめる新感覚フェスと銘打った「SANCTUARY」もプロデュースされていました。まさに最高のパートナーと出会えたんですね。

 

 「SANCTUARY」の運営プロデューサーの矢澤英樹さん(ADN STATE代表)にも引き合わせていただいて、そこでようやく総合プロデューサー=堀、企画プロデューサー=DJ DRAGON、運営プロデューサー=矢澤という3人によるプロデュース体制が固まったんです。当初、僕は音楽業界についてはまったくの素人だから総合プロデューサーは誰かにお任せしようと思っていたんですけど、彼らから「音楽業界にコネクションはなくても、起業家として実績のある堀さんこそ総合プロデューサーに相応しいんですよ」と背中を押されて。「え? 僕が?」と思いましたが、たしかにこのプロジェクトはラッキーエフエムにとってもリスクが大きすぎる案件でしたから、いっそのこと赤字が出た場合には全部僕が個人で被ろうと肚を括って責任者を引き受けることにしたんです。それが2月中旬。そこまでたどり着くのに1か月以上かかりました。そのあとサポートスタッフをグロービスという僕の本業の会社で社内公募し、そこで手を挙げてくれた社員の中から「いちばんフェスに行っている」水村真菜さんにプログラムコーディネーターとして参加してもらうことになり、以降、その4人のメンバーが一丸となってここまで突っ走ってきました。

 

既成概念にとらわれないラッキーフェスの独自戦略

──7月23日(土)・24日(日)という開催日の決定も、そのプロデュース体制が固まったのと同時期だったんですね。

 

 当初は今年のロッキン(8月6・7日/11・12・13日)が終わった後の8月20日と21日に開催しようと考えていたんですが「サマソニ」(サマーソニック2022)や地元の「ひたちなか祭り」とも重なってしまうということで、それならと1か月早めて7月23日(土)・24日(日)にやることにしたんです。「ただでさえ時間がないのに1か月予定を前倒しにするって何を考えてるんですか」と会場の国営公園側からはお叱りを受けましたが、しょうがないわけですよ、他にオプションがないんですからね。

 

──1年延期して、その間にじっくりプランを練り上げるという選択肢もあったのでは?

 

 延期という選択肢については一切考えませんでしたね。それは全くなかった。さっきも話したように、茨城県民はすでに2年間、ひどく寂しい思いで夏を過ごしてきた。もうこれ以上の空白をつくってしまえばロッキンが20年かけて茨城に根付かせてくれたフェス文化の灯が消えてしまうかもしれない。それくらい危機的な状況だったんです。したがって、絶対に延期は考えられませんでした。

 

──とはいえ、日本三大フェス(「フジロックフェスティバル」「サマーソニック」「ロック・イン・ジャパン」)の1つに数えられるロッキンの印象は強烈ですし、その残像を意識した上で新たなフェスを立ち上げるのは並大抵のことではないと思われます。ラッキーフェスは本当に他のフェスとうまく差別化できるのでしょうか?

 

 ロッキンは実績から見て国内ナンバーワンのフェスだと思います。ですから、それと同じことをやっても観客の目には2番煎じにしか映らないし、どんなにうまく真似たところで「しょぼい」と言われるに決まってます。そうならないためには、会場に一歩入った瞬間から「違う」と感じさせなければいけない。僕がラッキーフェスにアートの要素を取り入れたのは、それもロッキンとの差別化に不可欠だと感じたからです。

 

──具体的にはどういうことを行うのでしょう?

 

 たとえば世界的クリエイターのファンタジスタ歌麿さんがデザインした「ラッキー」にちなんだ「Lucky曼荼羅(まんだら)」の旗やオブジェで会場を彩り、それを眺めながら散策するだけでも楽しめる華やかな空間を演出します。また、従来のフェスのターゲットである20代から30代の観客だけでなく、10代の若者や家族連れでも来やすいように小学生以下は入場料無料、中学・高校生も半額にするなど、世代を問わず参加しやすい環境を整えます。あるいは、若いころにフェスがなかったシニア世代のためにも、専用バス送迎、専用ゲート、エアコンを完備したカフェも併設する貴賓席も用意する予定です。もちろん、昨年の苦渋の決断をふまえて医師会と緊密に協力し、安心安全のための対策にも全力を尽くします。

 

初年度の目標は観客動員3万人。3年以内に3大フェスに匹敵する規模を目指す

──今回初の開催となるラッキーフェスの観客動員数はどれくらいに設定されているのでしょうか?

 

 ロッキンは最大7ステージでしたが、今回は感染対策も考慮して3ステージになります。それもあって初年度の動員目標は1日1万5千人、2日間で3万人です。初回から3ステージを設営して3万人を動員したフェスは過去になかったはずですから、ひとまず成功の目安と言っても差し支えない数字ではないでしょうか。ただ、本来、会場の国営ひたち海浜公園は7万人のキャパシティを有しているので、来年はコロナも完全に落ち着いているでしょうから、次はそこを目指すつもりです。そして3年目には10万人。僕はやるからにはラッキーフェスを3年以内に3大フェスに匹敵する規模にしたいと本気で考えていて、10万人という観客動員数がその一つの証明になると考えています。ロッキンが20年の歳月をかけて成し遂げた偉業に自分たちがどれだけ近づけるか? どれだけ短期間で達成できるかにチャレンジしたいんです。

 

──発表されている豪華な参加アーティストの顔ぶれを見る限り夢ではない気がします。それにしてもラッキーフェスは音楽的に見ても幅広くて懐の深さを感じます。

 

 ラッキーフェスは観客の世代も音楽のジャンルも限定しません。同時に徹底した地域密着型イベントであることも心がけています。そこで早い段階で茨城県出身のアーティストの中から、石井竜也さん、BRAHMANさん、t-ACEさんを招聘しました。さらに従来のフェスとの違いを明確に打ち出すため、あえて初日はロック、2日目はヒップホップと全くカラーの異なるラインナップを組んでいます。両日ともレジェンドから旬の人気アーティスト、独自の音楽性を追求する個性派、未来の音楽シーンを背負って立つ若いアーティストまで、トップクオリティのミュージシャンにどんどん声をかけているうちに素晴らしい顔ぶれが揃ったと自負しています(*参加アーティスト一覧参照)。

 

茨城でしか味わえない食の楽しみは健在。
クライマックスは夏の夜空を彩る1000発の花火と音楽のコラボレーション

──これまでロッキンはフードの充実ぶりも特色になっていました。ラッキーフェスの食にも期待してよろしいでしょうか?

 

 今回は食プロデュースを「肉フェス」「餃子フェス」などを手掛けられた遠藤衆さんにお願いしていますが、25店舗のうちの10店以上が地元茨城からの出店です。人気の「メロンまるごとクリームソーダ」「五浦ハム」「那珂湊市場の魚料理」といった名物も健在ですし、新メニューの開発にも期待してください。

 

──野外の夏フェスならではのスペシャルな演出もあると伺いました。差し支えなければそれもお聞かせください。

 

 2日間とも、夜7時30分から音楽と花火を連動させた「ラッキーミュージック・スターライトショー」を開催します。花火師は日本を代表する野村花火工業株式会社(茨城県水戸市)の野村陽一さん。野村花火オリジナルのイルミネーションや回転リングなどの時差式花火がメインステージの後方にある西池の橋から1000発打ち上げられ、企画プロデューサーのDJ DRAGONによるラッキーフェス・オリジナルのファイヤーワークストラックに合わせて夏の夜空を彩る。これは必見です!

 

──当日はラッキーエフエムでもライブを放送する予定ですか? すでにどのラッキーエフエムの番組でもフェスの話題で盛り上がっていますが。

 

 ほとんどジャックされた状態ですね(笑)。結局、ラジオパーソナリティのみなさんの関心がすごく高いんです。音楽好きが多いし、彼らが日頃番組の中で紹介しているアーティストたちが実際にやって来て目の前でパフォーマンスしてくれるんですから、本当にワクワクしてるんですよ。そういう熱量の高さがすでに電波に乗って拡散しているわけです。それは現場スタッフも同様で、ラッキーエフエムはこの勢いのまま7月23日と24日の2日間、特別編成のプログラムを組んで余すところなくラッキーフェスの模様をお伝えする予定です。

 

──いよいよ開催まで約1か月と迫ってきましたが、現時点での反響と手応えはいかがですか?

 

 おかげさまでチケット販売も好調で、現時点で半分以上が売れています(6月13日現在)。最近では茨城の中高生の話題もラッキーフェスで持ちきりですし、非常に多くの人が関心を持ってくれています。ここにきて東京の音楽業界からも「いったい茨城で何が起こっているのか!?」と俄然注目が集まっているようです(笑)。

 

──ラッキーフェスの当日、どうしても茨城に駆けつけることのできない音楽ファンたちがライブ映像を楽しむ方法はないのでしょうか?

 

 当日のライブ中継ですが、まだメディアや視聴方法については明かせませんが着々と準備は進んでいます。各メディアの広告展開や情報発信もこれからが大詰め。とにかく、ラッキーフェスを成功させるため、考えられることはすべて実行します。思いついたことをすべてやっておけば、あとからあれをやっておけばよかったと後悔しないで済みますからね。泣いても笑ってもあと1か月。でも、まだまだサプライズがあるかもしれないので、みなさん楽しみにしていてください。