おもしろローカル線の旅~~東急こどもの国線~~
前回のおもしろローカル線の旅では、千葉県を走る流鉄流山線を紹介した。路線距離5.7km、乗車時間が11分の非常に短い路線だったが、今回取り上げる、神奈川県を走る東急こどもの国線は路線距離3.4km、乗車時間7分とさらに短い。そのみじか~い路線に秘められた謎について解き明かしていこう。
東急の路線らしくない!? 東急こどもの国線の謎
東急こどもの国線は、東急田園都市線の長津田駅からこどもの国駅まで3.7kmを結ぶ。
この路線、ちょっと不思議なことがある。東京急行電鉄(以下、東急と略)の純粋な路線とは言い難い事例が、いくつか見られるのだ。
例えば、電車は横浜高速鉄道が所有する車両で、シルバーに黄色と水色という東急のほかの電車とは異なる車体カラーとなっている。駅などの表示は、東急の社章とともに、横浜高速鉄道という会社の社章が掲示されている。さらに長津田駅のホームも、東急の改札口を出た外に設けられている。
なぜ、このように東急の路線を名乗っているのに、ちょっと異なる点が多いのだろうか?
こどもの国行き電車にからむ“大人の事情”
こどもの国線は、東京急行電鉄の路線のなかでは、やや複雑な「立場」となっている。実は路線の所有者は東急ではない。横浜高速鉄道という第三セクターの鉄道事業者が持つ路線なのだ。
横浜高速鉄道は、神奈川県内でみなとみらい線の運営を行う鉄道事業者。みなとみらい線では、自社の車両を走らせ、東急東横線や東京メトロ線などとの相互乗り入れを行っている。このみなとみらい線では横浜高速鉄道が第一種鉄道事業者といわれる立場。第一種鉄道事業者とは、自ら路線を持ち、自らの車両を運行させる鉄道事業者のことだ。
横浜高速鉄道のこどもの国線の立場は、みなとみらい線とは異なり「第三種鉄道事業者」となっている。第三種鉄道事業者とは、鉄道路線を敷設、運営する事業者のこと。別会社である第二種鉄道事業者にその線路での列車運行を任せている。こどもの国線では東急が、この第二種鉄道事業者となっている。
こどもの国線にこのような複雑な事情が絡んだ理由を簡単に触れておこう。
こどもの国は旧日本軍の弾薬庫跡地を利用した施設。もともと、この弾薬庫まで延びていた引込線をこどもの国線として活用した。そしてこどもの国開園の2年後の、1967(昭和42)年に路線が開業した。
路線開業や電車の運行には東急が協力したが、開業時に路線を所有したのは社会福祉法人こどもの国協会だった。当初はこどもの国へ行く専用路線という色合いが濃く、休園日には列車の本数が大幅に削減された。
その後、沿線は徐々に住宅地化していった。通勤路線として使う側にしてみれば、こどもの国の営業にあわせた列車運行が不便でもあった。途中駅がなく、列車の交換が途中でできないなど、増発もかなわなかった。
通勤路線化にあたり路線の所有者が横浜高速鉄道に変わった
そこで通勤路線化が進められたが、こどもの国協会という公益法人が鉄道事業に本格的に関わるのは問題がある、とされた。
そのため1997(平成9年)、こどもの国協会から横浜高速鉄道に路線の譲渡が行われた。ちなみに、みなとみらい線の開業が2004年のことだから、それよりもだいぶ前に横浜高速鉄道の鉄道路線が生まれていたことになる。
子ども向けのこどもの国行き専用線から、通勤路線化するにあたって、第二種、第三種という「大人の事情」がからむ話になっていたのである。
急カーブから路線がスタート。途中に東急の車両工場も
長津田駅から電車が発車すると、すぐに東急田園都市線と分かれるように急カーブが設けられる。このカーブの半径は165m。普通鉄道のカーブとしては、かなりの急カーブだ。
そのため、時速を30km程度に落として走る。実は通勤路線化を図るときに、地元から「騒音がひどくなる」と反対運動が起きた経緯もあり、いまも騒音対策のためにかなり徐行して走っているのだ。
ほどなく、畑地を左右に見て走ると唯一の途中駅、恩田(おんだ)駅へ。
恩田駅の近くには東急の長津田車両工場がある。東急の全車両の大掛かりな検査や整備が行われる重要な車両工場だ。時に留置線には、興味深い車両が停められていることもあり、鉄道ファン必見のポイントでもある。
さらにナシが植えられる果樹園が連なるエリアを過ぎれば、ほどなく終点のこどもの国へ到着する。こどもの国へは駅から徒歩3分の距離だ。
長津田駅から7分と乗車時間は短いものの、注目したい急カーブがあり、車両工場あり、となかなか興味深い路線でもある。
子どものころ、東京都や神奈川県で育った方のなかには、遠足でこどもの国へ行った人も多いのではないだろうか。時には童心に戻ってこどもの国で遊んでみてはいかがだろう。