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2018/12/9 17:30

130年の歴史を持つ伊予鉄道 — オレンジ電車に乗って松山郊外のおもしろ発見を楽しんだ

おもしろローカル線の旅23 〜〜伊予鉄道郊外電車(愛媛県)〜〜

愛媛県の松山市を中心に電車を走らせる伊予鉄道。四国で初めてという鉄道路線を130年前に開業させた老舗の鉄道会社だ。

 

伊予鉄道といえば、路面軌道が走る「市内電車」が良く知られている。今回はおなじみ「市内電車」でなく、松山市内と郊外を結ぶ「郊外電車」の3本の路線を通して伊予鉄道の魅力をお届けしよう。これまで知らなかった意外な発見が続出! 伊予鉄道の旅はかなりおもしろいことを実感したのだった。

↑3000系電車が大手町駅前にある平面交差(ダイヤモンドクロッシング=詳細後述)部分を通り抜ける。2015年以降、伊予鉄道では車両デザインの変更が続く。郊外電車の車両はオレンジ一色にリメイクされつつある

 

 

【伊予鉄道の概略】四国初の鉄道を少し小さめの列車が走った

伊予鉄道(以下「伊予鉄」と略)の歴史と市内電車の路線の概要を簡単に触れておこう。

会社設立と路線開業1887(明治20)年に会社設立、翌年10月28日に松山駅(後の松山市駅)〜三津駅(みつえき)間が開業
路線と距離高浜線(高浜駅〜松山市駅間9.4km)、横河原線(松山市駅〜横河原駅間13.2km)、郡中線(松山市駅〜郡中港駅間11.3km)
軌間・電化1067mm、直流600V(高浜線)、直流750V(横河原線・郡中線)

 

伊予鉄初の路線の開業は1888(明治21)年10月と130年前にさかのぼる。同路線は現在も民営鉄道として営業を続ける路線としては2番目の古さにあたる。さらに同路線は四国で初めて誕生した鉄道でもあった。

 

ちなみに最も古い民営鉄道といえば日本鉄道となる。開業させた東北本線が最古となるが、その後に国有化されている。開業当時から民営鉄道のままと限定すると、最古の路線は、南海電気鉄道の前身、阪堺鉄道が1885(明治18)年に開業させた難波〜大和川間が最古にあたる

 

さらに伊予鉄道のように創業時と会社名が同じで、路線がそのまま残る例はかなり貴重と言うことができるだろう。こうした古い歴史を持つ鉄道路線らしい姿を、沿線各所で確認することができる。

↑開業時から昭和中期にかけてドイツ製の蒸気機関車が伊予鉄の路線を走った。写真は当時の蒸気機関車と客車を復元した「坊っちゃん列車」。市内電車の路線を走り、多くの観光客に親しまれている

 

伊予鉄初の路線は782mmゲージだった。軽便鉄道の線路幅での開業を目指したわけだ。当時、走り出した列車は夏目漱石の小説「坊つちゃん」で「マッチ箱のような汽車」と描かれた。主人公の坊っちゃんが乗ったとされたことから、伊予鉄を走るSL列車は「坊っちゃん列車」の名で親しまれるようになる。

 

その後、伊予鉄は松山地区を走る道後鉄道、南予鉄道(なんよてつどう)、松山電気軌道といった会社を合併していく。線路幅も全路線が1067mmに改められた。その結果、松山を走る民営鉄道の路線は、昭和初期にほとんどが伊予鉄道一社に集約された。

 

太平洋戦争時に、いわば国の手で合併された事例が民営鉄道には多いが、伊予鉄の場合は、それ以前に一つの会社にまとまっていたわけで、早くから将来を見越した会社経営を行っていた。

 

こうした将来を見据えた経営方針は今も一貫している。2015年には「IYOTETSUチャレンジプロジェクト」を発表。新しいロゴマークとともに、車両をオレンジ色へ一新する試みが始められた。郊外電車、路面電車はもちろんグループのバスに至るまでオレンジ色一色に塗り替えが始められた。オレンジ色はもちろん地元、愛媛県の特産品、ミカンの色にちなむ。

 

当初、地元には「派手すぎる」などの声もあがったが、次の時代に向け新しい会社を目指すという意気込みは伝わり、また明るいイメージがすっかり定着しているように感じた。

 

次に走る電車を見ていこう。そこには意外なものが発見された。

 

【伊予鉄の発見1】「KEIO」の刻印が薄っすら残っていた!

伊予鉄の郊外電車の路線には3種類の電車が走る。多くの地方路線と同じように、大都市圏を以前に走っていた車両が伊予鉄にやってきて主力車両となっている。わずかながらオリジナル車両も走っている。

 

◆伊予鉄道610系

↑車両メーカー・アルナ工機が手がけた東武鉄道20000系と同一のステンレス車体を活かし、正面は非貫通とした。2018年にオレンジ色に模様替えされている

 

610系は伊予鉄で希少なオリジナル車両。1995年に2両編成×2本が造られた。高浜線、横河原線を通して走る。車両数が少なく、また日中は1編成が古市の車両基地に停まっていることが多い。走っている姿を見ることができ、また乗ることができたら、かなりラッキーと言えそうだ。

 

◆伊予鉄道700系(元京王5000系)

↑郡中線(ぐんちゅうせん)を走る700系。元は京王線を走った5000系(初代)で、現在は他車両と同じオレンジ色の車体となっている

 

700系は元京王の5000系(初代)。高度経済成長期の1960年代に京王線用に造られた車両だ。京王線の線路幅が1372mmと広いことから、伊予鉄向けに台車などを改造した上で導入された。乗降用の1枚扉が今となっては懐かしい。近年オレンジ一色となって、その姿が一新されつつある。

 

ちなみに伊予鉄を引退した700系2両が銚子電鉄(千葉県)へ引き取られ、第三の人生を送っている。

 

◆伊予鉄道3000系(元京王3000系)

↑2009年から導入された3000系。元京王電鉄井の頭線3000系で、導入当時は井の頭線当時に近いカラーで走っていた。現在は、ほとんどの車両がオレンジ色に変更されている

 

↑井の頭線当時のステンレス地を生かした800系も若干残る(2018年11月初頭に確認)。この車両のみ伊予鉄の社章とともに「KEIO」の刻印が残されていた。他に残るステンレス車両の3000系を確認したが、みな刻印は消されていた。この車両のみなぜ残ったのだろう

 

伊予鉄3000系は、元京王井の頭線を走った3000系。井の頭線で2011年まで走っていた車両だ。京王3000系は、その優秀さと車体の長さが18.5mとやや短く、使い勝手が良いことから群馬県の上毛電気鉄道を始め、多くの地方鉄道に引き取られていった。伊予鉄にやってきた車両は、3000系の中でも後期タイプで正面の窓が側面まで開かれた車両だ。

 

井の頭線では正面の色が多彩で7色の電車が走っていたが、伊予鉄にやってきた3000系はアイボリーに統一された。そんな3000系も多くがオレンジ色に変更されている。

 

筆者が訪れた時に乗った電車は伊予鉄3000系のラストナンバーの3両編成。伊予鉄導入当時のステンレス車体が残された車両だった。そんな車両の側面には伊予鉄の社章と並び「KEIO」の刻印が残っていた。

 

京王電鉄では3000系以外、車体の「KEIO」マークは刻印ではなく、シール貼りされている(京王線・井の頭線の車両を含め)。時代を感じさせる刻印を意外なところで発見! 筆者は井の頭線の3000系を長い間、通勤に使っていたこともあり、久しぶりに愛媛の地で出会え、とても懐かしく感じた。

 

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