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2020/11/1 18:30

タヌキとラーメンの町を走る「東武佐野線」11の疑問

おもしろローカル線の旅69 〜〜東武佐野線(群馬県・栃木県)〜〜

 

ローカル線を訪ねてみると、他の路線では見かけないものにしばしば出会う。そこに改めて疑問が湧いてくることも多い。好奇心が刺激され、また乗りに行ってしまう。東武佐野線は再訪したくなる魅力的な路線といって良いだろう。タヌキの町とラーメンの町を結ぶ素朴なローカル線で疑問を解決する旅を楽しんだ。

*取材撮影日:2020年1月13日、2月15日、10月24日

 

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【佐野線の疑問①】なぜ葛生駅まで路線が敷かれたのだろう?

↑佐野線の終点、葛生駅を発車する館林駅行き電車。朝の1本を除き、すべてが館林駅行電車だ

 

初めに、佐野線の概要を見ておきたい。

路線と距離東武鉄道佐野線/館林駅(たてばやしえき)〜葛生駅(くずうえき)22.1km
*全線単線・1500V直流電化
開業1894(明治27)年3月20日、佐野鉄道により佐野駅(開業当時は佐野町駅で、同駅〜越名駅間も同日に開業)〜葛生駅間が開業、1914(大正3)年8月2日、東武鉄道により館林駅〜佐野町駅間を延伸
駅数10駅(起終点駅を含む)

 

佐野線創始の歴史は、意外に古い。歴史には佐野鉄道という会社名が出てくる。その以前に、安蘇馬車鉄道(あそばしゃてつどう)という馬車鉄道により、1889(明治22)年に葛生〜吉水間に路線が敷かれていた。葛生周辺では石灰石が古くから産出され、その石灰石を運ぶために馬車鉄道が設けられたのだった。

 

しかし、馬車でひく鉄道は非力で、石灰石を運ぶのには向かなかった。そこで1893(明治26)年に佐野鉄道が創立された。翌年から蒸気機関車により輸送が始められている。ちなみに安蘇とは、栃木県の郡名で、その名前をつけた馬車鉄道が佐野線のルーツということになっている。

 

それから約20年たった1912(明治45)年に東武鉄道が佐野鉄道を吸収合併、佐野線となった。そして2年後に、現在の館林駅〜葛生駅間が全線開業した。当初、葛生に鉄道が開業したのは、産出する石灰石の輸送のためだった。ところで、東武鉄道はなぜ佐野鉄道を合併したのだろう。

 

東武鉄道は東京と、日光を結ぶ路線の開設を目指していた。そのルートは後に栃木市経由となったが、佐野鉄道の路線を利用する案が検討されたため、佐野鉄道を吸収合併したとされる。

 

【佐野線の疑問②】路線は館林市と佐野市の2市しか走らない?

佐野線は群馬県と栃木県を跨いで走っている。群馬県では館林市の市内、栃木県では佐野市しか走らない。10駅もあり2県に跨ぐ路線ながら、2つの市のみしか走らないというのも、なかなか珍しい路線である。

 

筆者も当初は葛生町があるのかと思ったが、葛生町はすでになく、佐野市葛生なのである。沿線には田沼町、葛生町があったものの、2005年2月に合併したこともあり、その後は2つの市内を走る路線となっている。

 

さて館林市と、佐野市といえば、それぞれに、全国的に知られていれる“名物”がある。こうした多くの人が知る名物がある市もざらにはないだろう。その名物に関しては後述したい。

 

【佐野線の疑問③】6月から走るステンレス車両は何形?

ここでは佐野線を走る電車に関して触れておこう。走るのはまずは8000系。東武鉄道の高度成長期を支えた通勤形電車である。登場は1963(昭和38)年のこと、以降、1983(昭和58)年まで製造が続けられ、合計712両と、私鉄では最大の車両数となった。近年まで幹線で活躍し続けてきたが、東武伊勢崎線の浅草駅〜館林駅間は2009年度末で運用終了、東武東上線では2015年以降、坂戸駅より先のみの運用になるなど、運用区間は年々、狭まってきている。

 

現在、8000系は東武伊勢崎線ならば館林駅以西と、佐野線と小泉線などの運用に限られる。ちなみに8000系をワンマン化、3両編成で走る800系という編成がある。こちらは以前、佐野線での運用が多く見られたが、現在は、伊勢崎線の館林駅〜伊勢崎駅〜太田駅といった区間での運用がメインとなっている。

↑佐野線の主力電車は8000系。2両の短い姿で今も走り続けている

 

↑6月に入線した10000系。もともと2両固定編成の車両で、すでに2編成がワンマン改造され佐野線を走り始めている

 

コロナ禍で訪ねることができず、半年ぶりに訪れた佐野線に“新顔”が入線していた。ステンレス車体の2両編成の車体で、モハ11201とクハ12201編成と、モハ11202とクハ12202という2両×2編成である。ステンレス製のこの車両は何形なのだろう?

 

こちらは10000系で、8000系の後継用に1983(昭和58)年に誕生した車両だった。正面が丸みを帯びた形が10000系で、正面に縁が付いたマイナーチェンジ車10030系、制御機器を変更した10080系も10000系の仲間に含まれる。そして3タイプを合わせて計486両が造られた。いわば8000系とならぶ、東武鉄道の代表車両と言っていいだろう。大量に製造された車両なのであるが。

 

佐野線にやってきた車両は10000系の中では希少車だった。10000系の2両固定編成は、6両や8両の増結用に用意されたのだが、それほど多くの編成が造られず、わずか4編成しか造られていなかった。そんな希少な車両がワンマン化されて6月から走り始めている。

↑佐野線で唯一の優等列車、特急りょうもう。上り列車は葛生駅8時6分発、下り列車は浅草駅20時39分発の1往復のみの運行される

 

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