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2019/8/25 18:30

【2019夏保存版】乗るなら今のうち! 残り少ない国鉄形車両 〈電車編〉

JR各社に残る国鉄形電車を全チェック! 〜〜103系から713系電車まで〜〜

 

現代の鉄道車両のようにおしゃれではない。角張っていてやや武骨ですらある。しかし、長年にわたり見て乗って、お世話になってきた車両には、おしゃれさに勝る親しみが持てる。国鉄時代に生まれたことから「国鉄形車両」と呼ばれる車両たち。

 

そんな“老兵”たちが、徐々に姿を消しつつある。この秋にも消えて行く予定の車両がある。残る国鉄形車両を網羅、各車両の引退はいつごろになりそうなのか。現状を2回に分けて見ていこう。まず1回目は国鉄形電車から。

 

 

【はじめに】車歴30年以上となりつつある国鉄形車両の現状

JRが国鉄なって早くも30年以上の時がたつ。国鉄を知らない世代も多くなってきた。そこで、まずは国鉄のJR分割化について触れ、さらに国鉄形車両とはどのような車両を指すのか、整理しておこう。

 

国鉄(日本国有鉄道)は国が所有する鉄道を運営した公共企業体。最盛期には全国津々浦々に路線網を張り巡らした。長年の放漫経営など、さまざまな要因が重なり、債務が雪だるま式に増えていく。その打開策として、国鉄分割民営化が進められた。国鉄は解体され、1987(昭和62)年4月1日に6つの旅客鉄道会社と、1つの貨物鉄道会社が発足した。JRグループの誕生である。

 

この1987年3月までに開発・製造された車両を国鉄形車両と呼ぶ。国鉄時代に設計・開発され、製造はJRとなった後まで続けられた車両であっても、開発・製造開始された時期が国鉄時代であれば、本原稿では国鉄形として扱いたい。

 

↑国鉄形特急電車の代表的な存在だった189系電車。晩年は中央本線で臨時特急などに使われた。2019年6月25日に写真のN102編成が除籍され、189系という形式自体が消滅してしまった。こうした形式自体が消滅してしまう国鉄形車両が今後、増えていきそうだ

 

国鉄がJRになって、すでに32年の歳月が経つ。国鉄形車両の大半が30年以上という車歴を持つようになった。JRが生まれた以降に開発・製造されたJR形の車両ですら、すでに引退した車両も出始めている。先輩格の国鉄形車両がいつ消えていっても不思議がないといった現状である。

 

さらに消える時はサヨナラ運転すらなしにひっそり消えていく車両も多い。まだ大丈夫だろう、と思っていたら、いつの間にか消えていた、なんてことも。早めに乗りおさめ、撮りおさめしておいた方が賢明なのかも知れない。

 

なお記事内の現存車両数は2019年4月1日現在のもの。それ以降、車両数が減っている形式もあるので注意していただきたい。

 

【国鉄形①103系】大都市のラッシュ輸送を支えた通勤電車

製造年1964年〜1984年(現存車両数63両)
残る路線JR西日本:奈良線、和田岬線、播但線、加古川線

JR九州:筑肥線・唐津線

 

太平洋戦争後、物資の不足から、大都市圏の路線でさえも、長い間、戦前・戦後すぐ生まれの旧型電車(旧型国電)が多く使われていた。

 

そうした状況のなか、新時代の車両として生まれたのが、国鉄初の標準形電車101系であり、その進化形の103系であった。101系や103系は当時の電車の車両造りに大きな変革をもたらした新性能電車で、103系にいたっては計3447両という大量の車両が造られ、各地で活躍した。

 

↑奈良線を走る103系車両。JR西日本の国鉄形車両の多くは、改造工事が進められ延命が図られた。そんな中で奈良線の103系は、103系のオリジナルの姿を色濃く残す。ウグイス色のその姿を懐かしく感じる人も多いことだろう。間もなく引退となりそうだ

 

長年、走り続けてきた103系だったが、各社から徐々に姿を消していき、今ではJR西日本とJR九州に残るのみとなった。JR九州の車両は、残念ながら正面の形が大きく異なるため、103系とはいうものの、国鉄形らしさは薄れている。

 

今残る103系で注目されるのが、やはりJR西日本の車両だろう。奈良線、和田岬線、播但線、加古川線(103系ながら形は大きく異なる)でその姿を見ることができる。中でも奈良線はこの秋に消えるという情報もあり、注目度が高まっている。また和田岬線も103系のオリジナルな姿に近いこともあり、鉄道ファンの姿を沿線で見かけることが多い。奈良線、和田岬線両線とも、乗るなら今のうちだろう。

 

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