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2024/8/5 20:00

カレー研究家 水野仁輔氏が構想11年で送り出した“カレーをシステムで理解する”本の中身とは?

だれが言ったか、「夏はカレー。」太平洋高気圧とともに、日本列島を“カレー熱”が覆い尽くすこの時季を前に、業界の第一人者が『システムカレー学』を上梓しました。帯には「もうレシピは要らない。全てのカレーはイメージ通りにデザインできる。」の一文。なんとも興味深いメッセージです。

 

著者は、1999年から四半世紀にわたって活躍する“カレーの人”、水野仁輔さん。本書をつくるにいたった理由や、同書に込めた思いなどに、ブックセラピストの元木忍さんが迫りました。

 


水野仁輔『システムカレー学』(NHK出版)
カレー界の第一人者として、レシピ本をはじめ多くのカレーバイブルを上梓してきた著者が「もうレシピは要らない」と世に問うた意欲作。四半世紀にわたってカレーを研究してきたからこそたどりついた、あらゆるカレーを思い通りに作るためのロジカルな羅針盤。

 

レシピに頼らずとも
自分好みのカレーは自由に操れる

元木忍さん(以下、元木):今回の新著は、2013年に上梓された『カレーの教科書』(NHK出版)にルーツがあるんですよね?

 

水野仁輔さん(以下、水野):はい。実はそのなかで、「システムカレー学」についても6ページにわたって書いているんです。ただ当時は、その程度しかアウトプットできるものがなくて。そこから約11年間で情報と経験が蓄積され、1冊にできるだけのイメージが固まりました。

 

水野仁輔さん。『カレーの教科書』は、本書でも書かれている独自の「ゴールデンルール」を基に、カレーの成り立ちや調理のハウツーなどが解説されている。

 

元木:「もうレシピは要らない」という一文が印象的です。これは「もうレシピを見なくてよくなるようにしましょうね」という提案ともいえますか?

 

水野:説明が難しいんですけど、レシピに従って作るカレーの発想転換ですね。僕自身が普通と逆といいますか、基本的にプロアマ問わず、カレーはレシピというルールに沿って作るもの。でも僕の場合、自分が作りたいカレーが先にあって、完成後に振り返って記録したものがレシピなんです。

 

元木:面白い考え方ですね!

 

水野:数年前にスパイスカレーの認知が広がったころ、僕と仲がいいシェフが何人もレシピ本を出したんですね。で、彼らは「自分のレパートリーを注ぎ込んだから、1冊で精一杯。水野は何冊も出してるけどよくそんなにレパートリーがあるね」なんて言うわけです。その理由も、僕の考え方にあるのかなって。

 

元木:そういえば、本書のはじめに「二度と同じカレーは作らない」がモットーだと書いてありました。ということは、レパートリー自体は作ったカレーの数だけあるということですね。だから、レシピ本もたくさん出せると。

 

聞き手となった、ブックセラピストの元木忍さん。

 

水野:そうなんです。ただレシピは要らないといいつつ、本書では基本から応用まで細かくグラムなどでレシピをのせていて。でもそれは、最終的にはレシピから脱却するための“型”みたいなものです。

 

元木:型を破るためには、まず型を熟知することで、レシピに頼らずとも自分好みのカレーが自由自在にコントロールできるようになるということですね。本書を出した理由は、もっと自由なカレーの作り方を提案したかったということですか?

 

根幹にあるのは、すべてのカレーに共通するGR(ゴールデンルール)。カレーの構造を理解するための普遍的な手順が1~7のステップで整理されていて、これさえ覚えれば空振りもファウルもなくヒットを打てる。また、各ステップを入れ替えるだけで味のアプローチが変わるとともに、各国カレーの概要設計も理解可能だ。

 

水野:カレーは嗜好品ですから、どうしても好き嫌いが出てくるはずなんです。なのでカレーの正解は、味わった人のなかにある。ですから、100点満点のおいしいカレーレシピを持ってるのは僕じゃなくて、あなたなんですよと。

 

元木:たしかにそうかもしれません。

 

水野:でも多くの人は、他人の正解に答えを求めようとしがち。でも僕はそれだと100点にはたどりつかないんじゃないかなと。他人のレシピを参考にするのではなく、自分の好みを知って、そのカレーを作るために何をすればいいのかを習得することが、徐々に90点から95点に近づき、やがて100点になるということを提案したいんです。これまで僕が書いたレシピ本でもスタンスは一緒ですが、その想いをマニアックに伝えているのが『システムカレー学』なのかなと思います。

 

「システムカレー学」をIT用語に例えるなら、プログラミング言語のオープンソース化。基本と応用を組み合わせることによって、イメージするカレーを多彩にデザインできる。本書ではその例として、11タイプのチキンカレーを紹介。

 

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第1章ではゴールデンルールによる基本のカレーを解説し、第2章でクリーミーやドライといった7種のチキンカレーを例にアレンジを紹介。そこに続くのが、カルチャーとサイエンスで、地域ごとに異なる調理法の特徴を解明している第3章。なかには、日本のカレーが世界一といえるほど玉ねぎの脱水にこだわっている……という驚きの事実も!? 水野さんの語りは続きます。

 

「カレー調理のなぜ」を
議論のテーブルにのせたい

元木:第1章ではゴールデンルールによる基本のカレーを解説し、第2章でクリーミーやドライといった7種のチキンカレーを例にアレンジを紹介しています。そのうえで興味深かったのは次の第3章。カルチャーとサイエンスで、地域ごとに異なる調理法の特徴を解明している点が面白いと思いました。

 

トップバッターの北インド編では「インド宮廷料理 マシャール」のフセイン氏、次の南インド編では「ヴェヌス サウス インディアン ダイニング」のヴェヌゴパール氏と、有名シェフのレシピとともに、各カレーの核となる調理法を紐解いている。

 

水野:カレーにはカルチャー(食文化)とサイエンス(食の科学)、2本の柱があります。前者はその地で育まれた伝統的なレシピが紐づき、後者は調理法から導かれる風味のメソッド。どちらも手に入れることで、おいしいカレーの理由にたどりつけると考えました。

 

インドのカレーが他国に比べて圧倒的に油を使う量が多い理由を、気候や風土の側面などを交えつつ考察し科学的にも解説。加えて、フセインシェフのスペシャリテ「カリムチキンカレー」のレシピも写真付きで紹介。

 

元木:日本編では「デリー」の名物、カシミールカレーが登場。玉ねぎの脱水とメイラード反応(加熱により糖とアミノ酸が褐色化する反応。香りやうまみも生成される)について書かれていますが、日本のカレーが世界一といえるほど玉ねぎの脱水にこだわっているとは知りませんでした。

 

水野:なぜそうなるか、というところが面白いんです。僕はこれまで、カレーのカルチャーに触れるたびにサイエンスの視点でも話を聞いてきました。例えば日本人はカレーに玉ねぎの甘みを求めるから、脱水してメイラード反応させて甘みを強めるんですよ。でもこれ、インドだとそこまでやらないんです。

 

元木:玉ねぎ炒めは大事だけど、褐色になるまで炒めるプロセスはないと書かれていましたね。

 

水野:日本で活躍してるインド人シェフに聞いてまわったところ、みなさん日本の玉ねぎは使いたくないって言うんです。なぜなら、甘すぎるから。実は、インド料理では玉ねぎの甘みは邪魔なんです。なので玉ねぎの切り方ひとつとっても、日本とは違うんですよ。

 

元木:そうだったんですね。

 

水野:ただし彼らは、その科学的根拠までは知りません。昔からその切り方が当たり前だったからとか、師匠や母親に教わったから、とか。つまり、カルチャーなんですよね。でもサイエンス視点で考えると、玉ねぎは包丁を入れる回数が増えれば増えるほど、甘みが減るぶん香りは立つ。だからインドでは、みじん切りとかスライスとか、地域によって切り方は多少違えど、香味や風味を立たせる切り方をするんです。

 

元木:そう聞くと、すごく腑に落ちます。ということは、甘みを求める日本のカレーは、玉ネギに包丁を入れる回数が少ないってことですよね?

 

水野:一概にはいえませんが、大きく切ったほうが日本人好みの甘み豊かなカレーを作りやすいです。また、香りに関しては、同じスパイスでも調理の途中と後半とでは香り方が変わるんですよね。これはどちらが正しいではなくそれぞれに意味があり、それを読者さんの好みや狙いによって選んでほしい。考えてほしいんです。正解は、各人のなかにあるんですから。

 

味と香りに関する言及はほかにも随所に。例えば写真のページでは、香りを生み出すスパイスの投入タイミングと加熱の関係性などについて解説。

 

元木:先ほどのお話にもつながりますね。

 

水野:まあでも、僕は科学者ではないですし、いまだに答えが出切っているわけじゃないんです。もしかしたら、10年、50年後には間違いだったという可能性もありますし。でもそれはそれで、カレーの作り方がそれだけ進化したってことですよね。とにかく僕は、そうやって一つひとつ「カレー調理のなぜ」を議論のテーブルにのせたいんです。

 

意思やビジョンをもったほうが
カレー作りもきっと上達する

元木:それだけ、まだ解明されてないナゾがあるってことですよね。でもこうしてお話を聞くと、目的をもってカレーを作ってほしいという思いをいっそう感じます。

 

ゴールのイメージに向かって調理を設計する際は、何をすべきか。ここでは、7つのゴールデンルール各ステップでどんなエッセンスを盛り込むか、どんな調理法を採用するかの特徴とポイントが書かれている。

 

水野:意思やビジョンをもっているほうが、カレーの調理技術もきっと上達すると思うんです。もちろん、手っ取り早く正解を知りたいという気持ちもわかるんですけどね。だれだって失敗したくはないですし。

 

元木:“コスパ”や“タイパ”が求められる世の中ですもんね。

 

水野:僕だって別の本では失敗しないコツとか、簡単本格スパイスカレーみたいなテーマでも書いています。でも、突き詰めて考えてみませんか? ってことも発信したいんですよ。それに僕自身、味の好みとは別に、作り手の意図が伝わるカレーが好きなんです。

 

元木:そういえば、水野さんが運営されている「AIR SPICE」にも小冊子が入ってますよね。70冊以上も本を出していて、noteもやられてるじゃないですか。やっぱり、カレーを作る以外にも発信することが好きなんですか?

 

「AIR SPICE」には『LOVE SPICE』という十数ページのミニマガジンが付いてくる。例えば写真の回は、北海道「スープカレー SOUL STORE」の清水元太シェフとの対談。

 

水野:発信も好きですし、それ以上に本をつくるのが大好きなんです。ウェブのほうが便利な側面もありますけど、僕は紙媒体で細かいところまで作り込むのが好きなんですよね。とにかく出版のご相談をいただくと前のめりになって、何冊も出しちゃってるから常連の読者の方には申し訳ないという思いもありますけど。

 

元木:いえいえ、素晴らしいバイタリティじゃないですか! こうしてお会いして、水野さんの熱い思いがすごくわかりましたし、私自身も本書を熟読のうえビジョンをもってカレーを作りたいと思います。今日はありがとうございました。

 

Profile


カレー研究家 / 水野仁輔

カレーの人。1999年に出張料理集団「東京カリ~番長」を結成し、全国各地で活動を開始。『カレーの教科書』をはじめ、これまでに著書は70冊以上におよぶほか、「カレーの学校」を主宰したり、レシピ付きスパイスセットの定期頒布サービス「AIR SPICE」を運営したりもしている。
note
「AIR SPICE」Instagram

 

ブックセラピスト / 元木 忍
学研ホールディングスからキャリアをスタート、常に出版流通の分野から本と向き合ってきたが、東日本大震災を契機に一念発起、退社。LIBRERIA(リブレリア)代表となり、企業コンサルティングやブックセラピストとしてのほか、食やマインドに関するアドバイスなども届けている。