アウトドア
2023/4/23 20:30

玉川堂、火造りのうちやま、石田製作所ーー燕三条の「ものづくり」を知るツアーでわかったこと

アウトドアメーカーの「スノーピーク」に招待していただき、同社のある燕三条で「ものづくり」にたずさわっている工場を見学してきました。

 

→【画像18枚】燕三条のものつくり工場の施設詳細を写真でも紹介

【関連記事】

「スノーピークの複合型リゾート」に宿泊。キャンプ苦手勢も外遊びの楽しみを味わえる

 

工場見学を産業に

燕三条は新潟県の中央部に位置するエリア。上越新幹線の「燕三条」駅が知られていますが、実は自治体としては「燕市」と「三条市」という2つになっています。共通しているのは、どちらも洋食器などをはじめとする金属加工業が盛んであること。

 

かつてミュージックプレーヤーiPodの背面が鏡面だったころ、その「磨き」を燕市の職人が請け負っていたことは知っている人も多いのではないでしょうか。

 

今回案内していただくのは、この日伺う「玉川堂」の番頭でもある山田 立(りつ)さん。このツアーを企画したきっかけは、2013年から開催されているイベント「燕三条 工場の祭典」。燕三条には、把握できるだけでも2000~3000の工場があるといいます。しかし需要の変化で使われなくなってきた灯具もあり、そのような道具の工場は減少の一途。すでに消滅してしまった業種もあるといいます。

 

しかし長年にわたって培われてきた技術が、需要が少なくなっただけで消滅していいものなのか……。そう考えた燕三条の人々が立ち上げたイベントが「工場の祭典」でした。参加者は地図を片手に工場を巡り、見学することができるのです。

 

参加事業所は徐々に増え、コロナ禍前の2019年には113軒、のべ訪問者数は5万人を超えました。また、燕三条で職人になりたいという若手が訪れるようになったり、同じような問題を抱える自治体や工場主が視察に訪れるなど、イベントは確実な成果をあげるようになったのです。

 

この活動をさらに広げ、「工場の祭典」開催時だけでなく年間を通じて工場を訪れるツアーを開催しようというのが、山田さんたちの狙いです。「工場の祭典」の経験を積んだことで、年間を通じて見学に応じている工場も増えてきていました。このツアーが成功すれば、ものづくりの継続につながるだけでなく、「工場見学」そのものを燕三条の産業の一つにすることができるのではないかと山田さんたちは期待しています。

 

スノーピークの超定番アイテムを制作する「石田製作所」

最初に伺ったのは、金属加工業「石田製作所」さんの本社工場です。

案内してくださるのは、常務の鈴木義篤さん。石田製作所では、スノーピークで定番中の定番アイテムといえる「シェルフコンテナ」をスノーピークと共同で開発し、 製造から梱包までを一括して請け負っています。

 

↑シェルフコンテナを手にする鈴木さん。石田製作所では鈴木さんが中心となってシェルフコンテナの開発に携わりました

 

シェルフコンテナを製造している工場に入りました。10台のプレス機がずらりと並んでいます。

1枚の鋼板を、手前から奥まで順にプレス機にかけていきます

 

↑「ただの板」が、プレス機にかけられるたびに少しずつ加工され、「部品」の形に

 

鋼板のプレスとカットが終わったら、次は折り曲げて立体的な形にしていきます。実はこの作業について、過去に石田製作所は大きな問題を抱えていました。それは空前のキャンプブームにより、需要が急増したことです。しかし、曲げ加工は職人の手作業で行なっていたため、生産がまったく追いつかなくなってしまいました。

 

そこで石田製作所は、この曲げ工程を専用ロボットで自動化するという大きな決断を下したのです。このロボットにより、大幅な増産を実現しました。

 

↑曲げロボット。並べられた部品をカメラで認識し、アームで取り上げて曲げ加工を施します

 

↑曲げられた部品は、アームがきちんと積みあげていきます

 

「えっ、ものづくりの街なのにロボット?」と思うかもしれません。しかし、シェルフコンテナの複雑な曲げ加工を全自動で行えるロボットの開発自体が、容易なことではありませんでした。そしてロボットの設定やプログラミングは、それまでの職人の経験を生かして石田製作所内で行われています。

 

そしてロボットの導入により、生産数だけでなく製品のクオリティも向上したとのことでした。ロボットの導入自体が、渾身の「ものづくり」の結果だとも言えるでしょう。

 

製品の完成後、最後に行なわれるのが最終検品。実はどの工程でもそれぞれの職人さんが検品を行なっており、「全工程が検品作業」がモットーとのことでした。

 

そして最終検品でも、非常に厳しい基準でチェックが行なわれています。筆者は基準以下として除外された製品をいくつか見ましたが、自分が購入してもこれは文句を言わない、どころか、言われるまでは気づかないような部分もありました。どうしてそこまでするのか。それはやはり、「ものづくりをする者としての誇りがあるから」だと鈴木常務は話してくれました。

 

伝統建築に欠かせない和釘専門の鍛冶屋「火造りのうちやま」

次に向かったのが、「火造りのうちやま」さん。

現在、釘といえば明治時代に西洋から伝わった「洋釘」のこと。それに対して、日本で古来から使われていた釘を「和釘」といいます。丸い軸と平たい頭を持つ洋釘に対して、和釘は軸が角ばっており、頭の形状も用途に応じてさまざま。日本の伝統的な木造建築を数百年にわたって維持するには、和釘が必須とされています。

 

「火造りのうちやま」は、この和釘専門の鍛冶屋なのです。機械で大量生産できる洋釘に対して、和釘は職人が1本1本手打ちしなければなりません。工場を訪れると、ふいごの前でもくもくと釘を鍛えている職人の姿がありました。代表の内山立哉さんです。

↑内山さん。1979年に父である師匠に弟子入りして以来、和釘専門の鍛冶職人一筋で活動してきました

 

↑材料の鉄をコークスの火床で真っ赤に熱し、金床に乗せて槌で叩いていきます

 

内山さんは淡々と作業し、次々に釘を完成させています。しかし作業体験で見学者が同じ作業をするのを見ていると、打つタイミングや場所、角度といった精度と速さの両方が要求される作業であり、熟練の技が必要であることがわかりました。打つときに左手で自在に釘を返せるようにするため、修行に入ってからは左手でご飯を食べるようにしていたそうです。

 

内山さんの悩みは、他の多くの工場が抱えている問題でもある後継者不足。いま和釘を作ることのできる工場は、日本全国でもごくわずか。しかし神社仏閣などの修繕には大量の和釘を必要とします。たとえば伊勢神宮で20年に一度すべての社殿や道具を造り替える「式年遷宮」では、何十万本もの和釘が必要です。

 

実は直近の式年遷宮である2013年(第62回)では、全ての和釘を三条市の職人が制作・納入しました。もちろん内山さんもその一人です。そのため、現在は数年をかけて造りためているとのことでした。

 

確かに現在、一般建築で和釘が使われることはほとんどなく、需要は激減しています。しかしだからといって和釘造りの技術が絶えてしまえば、伝統的な建築物や道具を維持することはできなくなってしまうのです。なくしてはならない技術といえるでしょう。

 

お土産に、内山さんが1本1本打ち伸ばして作った耳かきをいただきました。頭の部分が和釘の「巻頭」になっているという遊び心に満ちた形状。「もし曲がり具合が気に入らない場合はこちらに送ってきてください。お好みに曲げ直してお返ししますよ」と内山さん。たとえ1本の耳かきでも、道具はベストの状態で使ってほしい、という職人の心意気を感じました。

 

銅板を槌で打って立体的な道具に仕上げる「玉川堂」

最後に訪れたのは、今回の案内人でもある山田 立さんが番頭を務める「玉川堂」さん。銅板を金槌で打ち、さまざまな形の道具を作り出す「槌打銅器」の製造元です。

 

1600年代より和釘の製造が盛んだった燕三条では、金槌を使用する技術が発展していました。そして1700年代になり、近隣の弥彦山で銅が発見されたことで、その金槌の技術で銅を打つ産業が広まったのです。

 

工場に入ると、槌で金属を打つ音が盛んに聞こえてきました。

↑玉川堂の工房。職人さんたちが思い思い作業を行なっていました。中央は案内人の山田さん

 

↑形を作るために使用されるのが、「鳥口」と呼ばれる棒状の道具。部位に応じて300種類ほどもある鳥口を使い分けます

 

↑職人さんたちは「上がり盤」と呼ばれる台に鳥口を差し込み、槌を振るって銅を成形していきます

 

↑打っているうちに固くなってしまう銅を火炉で熱し、水で急冷します(焼きなま)。すると銅が柔らかくなり、再び打てるようになります

 

↑形が整ったら、彫金や着色といった装飾を施します。棚にある樽は、着色のための薬品です

 

銅器への着色は、薬品による化学変化で行ないます。写真の見本にもあるように、玉川堂をはじめ燕三条では銅に非常に多彩な着色を施すことができます。そしてそれができるのは世界的にも燕三条だけとのことでした。

 

着色のための薬品は、長年に渡り継ぎ足しながら使われているとのこと。こうして使い続けた薬品は、使いはじめの薬品に比べて色ののりが明らかに違うそうです。玉川堂では、独立していく職人にこの薬品を一部持たせて送り出します。いわば「秘伝のタレを分ける」ようなものでしょうか。それまでの貢献に対し、「使い込まれて味が出せるようになった薬品」を贈るというのが、なんとも職人の世界らしいと感じました。

 

↑玉川堂の製品の1つ、「湯沸 口打出」。本体と注ぎ口を1枚の銅板から打ち出すという驚異の職人技術で、注ぎ口が継ぎ目なく作られています

 

貴重な技術を持つ燕三条の産業は魅力的なコンテンツでもあった

今回は、燕三条の工場を3か所巡りました。そもそも「物が出来上がるまでの工程」を見るのは楽しいものです。しかし今回の見学では、単にそうした工程を眺めるだけでなく

 

  • 燕三条のものづくりがどのような歴史で育ってきたか
  • その歴史が職人たちにどのような心意気をもたらしているか
  • それぞれの工場が持つ技術の高さと希少性

 

などについて、工場を経るたびに理解が深まっていくのを感じました。そして、もっと他の工場にも見学に行きたいと思うようになりました。

 

これは、類まれな高い技術をもつ工場が多数存在する燕三条ならではの強みといえるかもしれません。燕三条はエリア全体が巨大な産業博物館といっても過言ではなく、その中を学芸員に案内してもらいながら見学するというのが、この「ものづくりツアー」なのだと思います。

 

案内人の山田さんが目指す「ビジネスとして成立するツアー」も、燕三条のような土地なら成功するのではないかと思えました。そしてそれは燕三条の技術や工場を維持することにもつながるはずですし、そのノウハウは他の自治体にも拡げていくことができるかもしれません。

 

そして今回このツアーに招いてくれたスノーピークでは、一般に向けてもこのようなツアーを企画しています。

【FIELD SUITE TOURISM 燕三条ものづくり探訪】

https://www.snowpeak.co.jp/fieldsuitespa/hq/tourism/tsubame-sanjo-mono/

(今回紹介した内容とは一部異なるため、詳細はURLから確認してみてください)

 

↑今回宿泊した「Snow Peak FIELD SUITE SPA HEADQUARTERS」。燕三条まで車で40分ほどの場所にあり、本社やキャンプ場に隣接しています

 

筆者がこれまでスノーピークを取材してきて感じるのは、拠点を作った地域とともに発展していこうという精神です。どこかに大きな施設を作って営業するというだけでなく、その地域の魅力を活かしたビジネスを、その地域の自治体や企業をも巻き込んで発展させようとしているように思えます。

 

燕三条のものづくりツアーでも、そのスノーピークの精神を感じたのでした。