鉄道、バス、タクシー、飛行機……。私たちの生活は、さまざまな移動手段によって支えられています。2010年頃からは「カーシェア」や「自転車シェア(シェアサイクル)」といった新しいサービスも登場し、さらに移動が便利になりました。
そんな中、新たな移動の概念として昨今注目を集めているのが「MaaS(マース)」という考え方です。聞いたことがあるけれど、結局どういうものなのかわからないという人も多いのではないでしょうか。今回は、モビリティジャーナリストの楠田悦子さんに、そもそもMaaSとは何か、日本と海外の事例を交えながら解説していただきました。
「MaaS」って一体なに?
「MaaS」とは、Mobility as a Service(モビリティ・アズ・ア・サービス) の頭文字をとった略語のこと。「サービスとしての移動」と訳されることが多く、自動車業界を中心に話題を呼んでいるキーワードです。では実際に「MaaS」とはどういったものなのか、楠田さんに解説していただきました。
「MaaSとは、デジタル技術でいろいろな移動サービスを組み合わせ、一人ひとりのニーズに合った移動サービスを提案しようとする概念のことを言います。
移動をする際、これまではさまざまな交通手段を個別に検索し、予約や決済をしていたと思います。しかし、デジタル技術の発展とともに、バラバラだった移動サービスを一括で検索・予約・決済できるようになったり、サブスクリプションのような料金設定が実現したりと、今まで以上に個人に寄り添うサービスが誕生しているのです」(モビリティジャーナリスト・楠田悦子さん、以下同)
SDGsにも密接に関係している!? MaaSが目指すものとは
ところが、このMaaSという概念はとても抽象的で、国や地域によっても定義が異なっているのだそう。共通しているのは、「自分で車を運転できなくても、文化的で持続可能な暮らしと社会を実現することがMaaSの目指すもの」だと楠田さんは話します。
「そもそもMaaSは、環境問題への意識が高いヨーロッパ発祥の概念です。車利用の増加による都市部の渋滞や環境汚染などが深刻化する中で、車を所有するライフスタイルから、鉄道や自転車といった環境に優しい移動サービスを利用するライフスタイルに転換していこう、という考え方に基づいています。
日本でも、高齢化の加速により高齢者ドライバーが増え、事故や免許返納などにより移動手段を失ってしまった高齢者が多く見受けられます。
MaaSは、そういった渋滞や環境汚染、高齢化社会による移動困難者の増加など、さまざまな社会課題を解決する手段として期待されているのです。そう考えると、持続可能な暮らしを目指すSDGsとも密接に関わっている、とも言えるのではないでしょうか」
柔軟な料金設定が魅力! 海外のMaaSアプリ
実際に、海外で普及が進むMaaSの事例を見ていきましょう。
・「MaaS」の代表格、フィンランド生まれのMaaSアプリ「Whim」
「MaaS」が提唱されたのは、北欧の国フィンランド。その中心人物とされているのが、MaaSの生みの親とも呼ばれているMaaS Global社のCEO、サンポ・ヒエタネン氏です。同社は2017年に、世界初の本格的なMaaSプラットフォームである「Whim(ウィム)」というアプリの提供を開始。今ではフィンランドだけでなく、複数の国と都市で利用されています。
「『Whim』は、MaaSを語る上では欠かせないアプリのひとつ。日本では、トヨタグループが同社に出資をしたことにより一躍有名になりました。鉄道、バス、トラム、自転車シェアやカーシェアなどのさまざまな移動手段が一括で検索できるのはもちろん、定額制の乗り放題プランを用意していることが特徴です。
4つの料金プランがありますが、象徴的なのは月額499ユーロ『Whim Unlimited』というプランです。月6万円ほどで、指定エリア内の公共交通、自転車シェアやカーシェアが回数無制限、タクシーは最大5kmまでの距離を80回無料で利用できます。移動が便利になるだけでなく、環境に優しい暮らしを目指したサービスとして支持されています」
2020年には、不動産大手の三井不動産と連携して、日本でも実証実験が開始されました。この実験は、マンションの住民向けに、バスやタクシーといった交通機関の定額サービスを提供するというもの。通勤や通学など、住まいとモビリティは切っても切れない存在です。MaaSは、不動産、ひいては街づくりの観点からも注目を浴びていることがわかります。
・自分の通勤通学に最適な乗り放題プランを! 高雄市の「Men go」
ヨーロッパを中心に広がりを見せているMaaSですが、アジア圏でも続々とサービスが導入されています。中でも、台湾南部の高雄市のMaaSアプリ「Men go(メンゴー)」は、少しユニークな料金設定なのだそう。
「『Men go』には、高雄メトロ・高雄ライトレール・バス・公共レンタサイクル・タクシーが乗り放題のプラン、バスの乗り放題プラン、長距離バスの乗り放題プラン、フェリーの乗り放題プランの4つの料金プランが用意されています。
実は、日本のように定期券があって会社が通勤手当を出してくれる国って、すごく少ないんです。その為、自分が通勤・通学時に利用する主な交通手段のプランを選ぶことができるのが、人気の理由かもしれません。利用に逆に言えば、定期券は“日本的なMaaS”と言っても過言ではないかもしれませんね」
「日本のMaaSは遅れている」は間違い!
海外の事例を見ていると、「日本のMaaSは遅れているのではないか?」と感じる人もいるかもしれません。しかし、これは間違いだと楠田さんは話します。
「MaaSには、スウェーデンの研究者が提唱したレベル定義があります。この基準に照らし合わせてみると、確かに日本のMaaSは遅れているという印象をうけるかもしれません。しかし、このMaaSレベルはあくまでも欧州の基準。日本とは移動に関するサービスや環境も異なりますので、必ずしも日本が遅れているということではありません。
例えば、私たちが日常的に使っている『Suica』や『PASMO』といった交通系ICカードも、日本的なMaaSです。移動だけでなく、お店での買い物ができますし、クレジットカード機能が付いたり、モバイルに対応したりと、いろいろなサービスとつながっています。海外からも評価が高く、日本独自に進化したサービスの形とも言えるでしょう。
つまり、日本は日本の実情に合わせてサービス水準を高めていくことが大切だと感じています」
実はこれもMaaS!? 日本の優秀なMaaSアプリ
特別なサービスのように感じるMaaSですが、実は以前から私たちが使っている経路検索サービスも、MaaSの一部。私たちは、気づかないうちに少しずつMaaSに触れていたのだと、楠田さんは話します。
「MaaSという言葉が生まれる前から、経路検索サービスでバスや電車など、移動手段の情報をまとめてみることができていました。MaaSとは、デジタルの力で移動が便利になっていくこと。つまり、経路検索サービスも立派な日本のMaaSであると言っても過言ではありません」
そんな日本の優秀なアプリを、楠田さんに紹介していただきました。
・検索結果からタクシーの配車も可能な「NAVITIME」
「NAVITIME」
無料(一部有料)
Android https://products.navitime.co.jp/service/navitime/android_sp.html
iOS https://products.navitime.co.jp/service/navitime/ios_sp.html
ナビタイムジャパンが提供する『NAVITIME』。経路検索サービスだけでなく、音声案内や時刻表の確認、現在地周辺のスポット情報など、私たちの移動を助ける機能が満載のアプリです。
「『トータルナビ』機能では、電車・バス・飛行機・フェリー・車・歩きだけでなく、シェアサイクルといった新しい移動手段を組み合わせたルート検索が可能です。さらに、検索結果から飛行機の予約やタクシー配車も可能となっています。MaaSにつながる、画期的な経路検索アプリです」
・日常も旅行も快適に。小田急線沿線の暮らしを支える「EMot」
「EMot」
無料(一部有料)
Android https://play.google.com/store/apps/details?id=jp.odakyu.emot&hl=ja
iOS https://apps.apple.com/jp/app/emot/id1472652885
「小田急電鉄の『EMot』は、日本の代表的なMaaSアプリのひとつです。鉄道・バスに加え、タクシーやシェアサイクルを組み合わせたルート検索が可能なだけでなく、旅行で使えるお得なフリーパスやテーマパークのチケットを購入できるなど、さまざまなサービスが展開されています」
最近では、月額7800円で対象店舗のそば・おむすび・パンといった食事を1日何度も楽しめる「EMotパスポート」というサブスクリプションサービスも登場しました。40を超える対象店舗の中には、飲食店だけでなくフラワーショップも含まれており、お得に買い物が楽しめます。
小田急線沿線を中心としたアプリではありますが、日常の移動だけでなく旅行や買い物など、より便利で快適な暮らしが実現できそうです。
高齢者も障がい者も“誰もが移動を諦めない社会”を目指す「Universal MaaS」
MaaSの新たなキーワードとして、2019年頃から「Universal MaaS」という言葉も生まれています。Universal MaaSとは、高齢者や障がい者、訪日外国人など、外出を躊躇して思うように移動ができない人に向けて、安心して移動ができるようなサービスを提供していこう、という動きです。
「例えば、車いす利用者は現在、移動をする際に事前に交通事業者に連絡を取って、介助を依頼しているのが現実です。これが移動を躊躇する要因の1つとなっています。
Universal MaaSは、アプリを活用することで利用者がバリアフリーな乗り継ぎルート情報を得ることができたり、事業者側もリアルタイムに利用者の動きや介助内容を把握できたりと、移動困難者の快適な移動を目指したサービスを展開していこうというもの。
現在は、全日本空輸株式会社(ANA)が旗振り役となり、京浜急行電鉄や横浜国立大学、横須賀市が連携して実証実験が行われています。移動困難者が躊躇することなく、快適に移動できるようになる社会に向けて、挑戦は続いています」
MaaSが描く、日本の未来像
「『車がなくても、誰もが文化的で持続可能な暮らしができるようになること』。これこそが、MaaSの描く未来像です。
しかし、そもそも公共交通が充実しておらずサービスを組み合わせて考えることができない地域があったり、道路整備や人材不足によりサービスを開始できなかったりと、MaaSを実現するための課題はまだまだ山積みです。海外の基準に囚われるのではなく、日本は日本の現状を見据えて、日本流のサービスを模索していく必要があるのではないかと思います」
【プロフィール】
モビリティジャーナリスト / 楠田悦子
兵庫県生まれ。心豊かな暮らしと社会のための移動手段・サービスの高度化や、環境問題といった社会課題の解決を目指し、モビリティジャーナリストとして活動を行っている。モビリティビジネス専門誌「LIGARE」創刊編集長を経て2013年に独立。国内外の取材やプロジェクトのコーディネート、国土交通省のMaaS関連データ検討会、SIP第2期自動運転ピアレビュー委員会などの委員を務めるなど、活動は多岐に渡る。
『60分でわかる! MaaS モビリティ革命』(技術評論社)