1946年、40歳で本田技術研究所を設立した本田宗一郎は、当時、朝礼で20人の社員を前にみかん箱の上に乗って「世界的なメーカーになるんだ」と声高らかに宣言したそうだ。その突飛さには噴き出した人もいたようだ。しかし、やれば出来ると信じて突き進んだ結果、ホンダは世界のHONDAとなったのだ。
人間は言ったとおり思ったとおりになる
『史上最高の経営者 本田宗一郎は何故マン島TTレースに挑戦したのか? ホンダ最大の決断』(浜本哲司・著/ゴマブックス・刊)によると、マン島TTレースへのチャレンジが表明されたのは、1954年の春、ホンダ倒産の危機の最中だったという。まさか? 当然周囲はそう思ったに違いない。
マン島TTレースはアイリッシュ海に浮かぶマン島で1907年から行われている、公道を走る世界最高峰の二輪レース。スピードが速く、一般道を走るため、ライダーは転倒したら運が良くてよくて重症、常に死の危険が待っているという過酷なレースだ。
「大変な目標だ。だからこそチャンレンジするんだ」。本田宗一郎の不屈の精神に社員たちも奮い立ち、倒産危機を脱し、参戦宣言から5年後の1959年には4台出場して全車完走の成功を収めた。さらにその2年後の1961年には125ccクラス、250ccクラスの両方で1位から5位を独占という快挙を成し遂げた。
「まるで時計のような精密さ、アイディアに満ち溢れた完璧なマシン」だと世界から絶賛されることとなった。
1パーセントの成功を信じる
『多くの人は皆、成功を夢見、望んでいますが、私は『成功は、99パーセントの失敗に与えられた1パーセントだ』と思っています。開拓者精神によって自ら新しい世界に挑み、失敗、反省、勇気という3つの道具を繰り返して使うことによってのみ、最後の成功という結果に達することができると私は信じています』
(『史上最高の経営者 本田宗一郎は何故マン島TTレースに挑戦したのか? ホンダ最大の決断』から引用)
このほかにも本田宗一郎の言葉は今の私たちに大きな勇気を与えてくれる。「人間やろうと思えばたいていのことができる」、「人間は楽しんでるときに最高の力を発揮する」、「日本一になろうなどと思うな、世界一になるんだ!」、「発明はすべて、苦しまぎれの智恵だ。アイディアは、苦しんでいる人のみに与えられている特典である」。
ピンチをチャンスに変える発想の転換、ぜひ見習いたいものだ。
最強のF1エンジンとアイルトン・セナ
ホンダは1964年に自動車レースの最高峰フォーミュラ・ワンへのチャレンジもはじめたが、黄金期は天才ドライバーのアイルトン・セナと共に戦っていた1980年代後半から1990年代はじめにかけてだろう。
私は5月が来るたびにセナを思い出す。1994年5月、イタリアのイモラサーキットでウィリアムズ・ルノーに乗ったセナが事故死してから、今年で22年が経つ。
当時の追悼テレビ番組でホンダF1のスタッフは「うちで走らせていたら、死なせることはなかった」と悔しそうに話していた。
F1最強のエンジンを作り、セナと共に勝ちまくっていたにもかかわらず1992年にホンダは突然F1撤退を表明した。ベストパートナーだったホンダと別れることになったセナはどれほど寂しかったことだろう。ホンダF1チームのスタッフでさえ、なぜやめるのかわからなかったそうだ。が、ここにも本田宗一郎の引き際の美学があったようだ。
「ヨーロッパの連中をコケにしていいのか?」と本田宗一郎は当時の社長の川本信彦にポツリと呟いていたそうだ。F1はショービジネスであり、ヨーロッパを客として商売をしている。だからこそ、圧倒的な技術力でホンダが勝ち続けることはF1の将来のためにならないと本田宗一郎は読んでいたらしい。
その後も、ホンダはF1への参戦、撤退を繰り返しながら、今年2016年もマクラーレン・ホンダとして戦い続けている。
本田のオヤジさんだって悩んだ
本田宗一郎の成功は、経営の全権を任せることが出来た藤島武夫氏がいたからともいえる。彼が技術の追求だけに専念できたのは、パートナーの藤島氏あってこそだったのだから。強運な人は、強力な味方を惹きつけるオーラもあるのかもしれない。
ところで、世界のホンダとなってからも、本田宗一郎は全社員から「社長」とは呼ばれなかった。
また、社長室というものも持たなかったという。ホンダの社員は皆、本田宗一郎のことを親しみや尊敬を込めて「オヤジさん」と呼んでいたそうだ。
最後に、たった今、人生や仕事に迷い苦しんでる人にオヤジさんのこの言葉を贈ろう。
『苦しい時もある。夜眠れぬこともあるだろう。どうしても壁がつき破れなくて、俺はダメな人間だと劣等感にさいなまれるかもしれない。私自身、その繰り返しだった』
(『史上最高の経営者 本田宗一郎は何故マン島TTレースに挑戦したのか? ホンダ最大の決断』から引用。
(文:沼口祐子)
【文献紹介】
本田宗一郎は何故マン島TTレースに挑戦したのか?ホンダ最大の決断
著者:浜本哲治
出版社:ゴマブックス
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