プロレスファンは、しばしば「誰が最強か?」という議論を交わす。特に、総合格闘技がメジャーになってきたころから、プロレスラー最強は誰なのかという話は、よくしていた。
プロレスが大好きだった僕は、常に「最強のプロレスラーはジャンボ鶴田だ」と言い続けていた。その気持ちは今でも変わらない。
プロレスに就職した新世代のプロレスラー
ジャンボ鶴田は、1951年山梨県生まれ。高校まではバスケットボール選手でインターハイに出場。その後オリンピック出場を目指し中央大学に進学して、レスリングを始める。そして1972年のミュンヘンオリンピックにグレコローマン100kg以上級の代表として出場。大学4年時に全日本プロレスに入団。そのときの鶴田のコメントが話題となった。そのとき「全日本プロレスに就職します」というコメントを残し、それまでの泥臭いプロレスラーとは違う、爽やかさとスポーツマンシップを感じさせた。逆に言えば、プロレスラーらしくないプロレスラーだった。
その後アメリカ修行を経て、全日本プロレスのエースとして活躍。一流外国人レスラー相手にいい試合を重ねるものの、スマートな試合運びが災いして「善戦マン」などというありがたくないニックネームを付けられていた時期もあったが、その強さは徐々に知られていくこととなる。
全日本プロレスが日本人対決にシフトチェンジしてからは、下の世代との対決でその無類の強さを発揮。当時テレビで全日本プロレスを見ていた僕は、「鶴田はめちゃくちゃ強い」というイメージがあった。
しかし、1991年にB型肝炎を発症し一線を退き、大学院でコーチ学を学んで教授レスラーに。その後全日本プロレスにスポット参戦をしながら、母校の中央大学などで教鞭を執っていた。
1999年にはポートランド州立大学の客員教授に就任したが、2000年5月13日、フィリピン・マニラにて肝臓移植手術中に大量出血により死去。享年49。早すぎる死だった。
底が見えない強さ
『永遠の最強王者 ジャンボ鶴田』(小佐野景浩・著/ワニブックス・刊)は、プロレス週刊誌『週刊ゴング』の記者だった著者が、「ジャンボ鶴田は何者だったのか?」を、鶴田の家族や関係者のインタビュー、そして当時の試合記録や雑誌のインタビューなどから考察していく内容だ。
一般的に、ジャンボ鶴田が最強と言われている理由は「強さの底が見えない」というところ。鶴田は幼いころから培われた生来の運動神経と豊富なスタミナがあり、プロレスの試合でも本気で戦っているように見えないところがあった。
実際、他のレスラーたちも「強かった」と口を揃えて言う。どんなに動いても息が上がらず、60分戦っても平然としている。相手のレスラーは疲労困憊で歩けないくらいなのにだ。その上、アマレス仕込みの各種スープレックスや、ジャンピングニーパッドなどの技を的確に決めてくる上、バックドロップは相手の力量によって落とす角度を変える技術も持ち合わせている。
やっぱり最強じゃん。
一方、お酒のあまり飲まず、オフは趣味に没頭(ギター弾き語りでライブをしたりレコードを出したりもしている)。ヘビーな練習をしているという印象もなく、常に飄々としているため、プロレスファンからは感情移入がしづらいという面もあった。
要は、「本気出してないのに強い」のが鶴田。それだけに、「本気だったらどれくらい強いんだろう」という想像をさせてくれるレスラーだった。そこが僕は大好きだった。
もし、ジャンボ鶴田が総合格闘技に出ていたら
あまり「たら、れば」の話はしたくないのだが、ジャンボ鶴田に関してはいろいろ考えてしまう。
日本での総合格闘技ブームの火付け役となった「PRIDE 1」は、1997年に開催された。ヒクソン・グレイシーに高田延彦が負け、「プロレスラー最強は誰だ?」とファンは考え始めた。
鶴田はそのころは完全にプロレスラーを引退していたが、やはり「鶴田がいればな」という声は多かった。鶴田は純プロレスラーで格闘技経験はないが、全盛期の鶴田ならもしかしたらヒクソンに勝てるんじゃないか。そんな風に思っていた。
鶴田の性格からして、実際に総合格闘技の試合をすることはなかっただろう。しかし、鶴田なら涼しい顔してヒクソンの攻撃をすべて受け流して、拷問コブラツイストでねじ上げたり、えげつない逆エビ固めを仕掛けたり、ジャンピングニーパッドで吹っ飛ばしてくれるんじゃないか。そんな夢を見てしまう。
そして試合が終わったら、「オー!」を10連発ぐらいして控え室に帰って、ニコニコしてビールかけをしている。そんな光景が見えてくる。まあ、全部僕の妄想なのだが。
ジャンボ鶴田が残してくれたもの
ジャンボ鶴田は、「プロレスに就職した」と言ってはいるが、心の中ではプロレスを愛していた。ただ、いわゆる豪快なレスラーというタイプではなく、リングの上ですべて語るタイプだったため、誤解されていた面がある。相撲や柔道、空手のように伝統的な格闘技は精神論や主従関係、道を究めるといった側面があるが、バスケットボールからスポーツの世界に入った鶴田には、その感覚が薄い。また、努力している姿を人に見られることもあまり好まなかった。
プロである以上、根性とか闘魂は絶対に言わないようにしている。努力して当たり前なんだからさ。
(『永遠の最強王者 ジャンボ鶴田』より引用)
常にプロレスラーであるためにオフのときも豪快に飲み歩いたりする昔気質のレスラーとは違うプロ意識を持っていたのだ。今のレスラーは、鶴田よりもさらに洗練された考え方が多いと思う。
本書を読んでみてもやはり鶴田は最強だと思うが、一方で「どのくらい強いのか」というのはわからずじまい。もうその答えが出ることはないのだが、鶴田は僕らに「鶴田最強説」というお土産を置いていってくれたんだと思うことにしている。
【書籍紹介】
永遠の最強王者 ジャンボ鶴田
著者:小佐野景浩
発行:ワニブックス
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