本・書籍
2023/3/23 21:30

「見えすぎる社会」のおかしさと生きにくさを改めて問う『過剰可視化社会』

ちかごろよく見聞きするようになったルッキズムという言葉。ごく簡単に定義するなら、人を外見で評価したり差別したりすることだ。

ルッキズムともやもや感

コンプライアンスとかポリティカル・コレクトネスにひもづけられる流れでよく使われるようになった感じがする。90年代半ばくらいまでは、アメリカのビジネス関連媒体の記事に「同じ能力ならば、背が高いなど外見のよい応募者が選ばれる傾向がある」といった文章があたかもコモンセンスであるかのごとく、ごく普通に綴られていた。こういう考え方は、当時の誰もが納得する世の中のスタンダードだったにちがいない。

 

しかし今の時代、見た目に関する発言はきわめてセンシティブなものとして認識されている。どういう過程を経て、いつからこうなったのか。うまく言葉にできないまま、筆者はしばらくの間もやもやしていた。しかしやっと、このもやもや感に答えを出してくれそうな本を見つけることができた。

 

SNSで急加速した「見えすぎ」状態

過剰可視化社会』(與那覇潤・著/PHP研究所・刊)は、世の中の様相がまったく異なる時代に人生のコアの部分を過ごした筆者にとって、今の時代の自分の立ち位置を確認するための一冊になりそうだ。

 

最初のフックとなるのは、コロナ禍だ。與那覇氏は、コロナ禍危機を長期化させた社会のあり方自体を根本から問い直すことに本書の立脚点を置く。まえがきに、命題的な響きの一文がはっきりと示されている。

 

ひとことでいえば、日本のコロナ禍をかくも深刻化させた最大の背景は、2010年代以降に本格化してきた「過剰可視化社会」の弊害である。それが本書を貫く、基本的な視点になります。

『過剰可視化社会』より引用

 

第一の要素として挙げられるのは、2010年代から利用者が爆発的に増えたSNSだ。與那覇氏は、こうした新媒体の発達によって特に親しいわけではない人にまつわる情報がプロフィール欄の記述だけでわかるようになったと語る。

 

過剰可視の定義

與那覇氏は、過剰可視という言葉をどのように定義しているのか。これもコロナ禍を軸にした話になる。

 

たとえばマスクをつける形で防疫への協力を「誰の目にも見えるように」表さなければ、社会から排除され、かつそうした風潮に誰も違和感を持たないという事態でした。マスクをしない理由を、「実は呼吸器に疾患があって、息が不自由だから」のように説明する形で、本来なら他人に知られることを望まない情報まで「見せなければ」ならなかった例も、少なくなかったでしょう。

『過剰可視化社会』より引用

 

極論と感じる人は多いはずだ。ただ、著書のニュアンスは十分に伝わると思う。冒頭で触れたルッキズムの台頭も、異常なペースで進んだ「見える化」によって、きわめて短い時間枠の中で起きたものではないだろうか。

 

基本を踏まえた上での実践的対談

章立てを見てみよう。

 

第1章 社会編—日本を壊した2010年代の「視覚偏重」
第2章 個人編—「視覚依存症」からはこうしてリハビリしよう
第3章 「見える化」された心と消えない孤独—心理学との対話
第4章 「新たなるノーマル—哲学/文学との対話」
第5章 健康な「不可視の信頼」—人類学との対話



第2章までで社会レベルおよび個人レベルでの「見えすぎ」な状態が語られ、3章以降は著者と各分野の専門家との対談という構成になっている。

 

「実体なきシュミラークル」「資本主義スターリニズム」「悪いローコンテクスト」といったちょっと読込みが必要そうなワードも頻出するが、その一方で「SNSで大学デビュー」「出会い系」「ファスト動画」などぐっと身近なもの挙げられている。人によってはかなり強いクセを感じるかもしれないが、それも静かな書き口で中和され、第2章までの概論部分をきっちり読んだ上で、第3章からの対談にすっと入って行くことができる。

 

「見える」と「良くなる」は比例しない

第3章のパートナーである東畑開人氏は臨床心理学と精神分析、そして医療人類学の専門家だ。第4章の千葉雅也氏は立命大学大学院先端総合学術研究科教授。第5章の磯野真穂氏は文化人類学と医療人類学の専門家だ。専門家3人がそれぞれのフィールドで「見えすぎ」の状態についての考察を展開する。

 

あとがきに記された與那覇氏の思いをシェアしておきたいと思う。

 

本文を読んでくださった方には自明と思うが、本書はファクトやデータを「可視化」さえすれば自ずと世の中がよくなるといった、ナイーブな発想には強く批判的だ。しかしそこから導かれる結論は、視覚以外の感覚を誰もが取り戻そうというものであって、決して物事をいたずらに「不可視化」し、世の庶民は由らしむべし知らむべからずで統治せよと主張する書物ではない。

『過剰可視化社会』より引用

 

「言わぬが花」とか「沈黙は金」なんていう言葉もある。可視化ということを根本から総合的に、俯瞰的に考える姿勢が整う一冊である。

 

 

【書籍紹介】

 

過剰可視化社会

著者:與那覇潤
発行:PHP研究所

目に見えないウイルスの感染者数が日々「可視化」されたコロナ禍の後に残ったのは、一人では安心感を得られず、周囲にも疑いの目を向けあう日本人の姿だった。SNSで自らプライバシーを発信し、政治信条や病気・障害までを社会に公開しても、最後は安易なルッキズム(見た目偏重)ばかりが横行する「すべてが見えてしまう社会」を、どう生き抜くのか? 歴史学者から評論家に転じた著者が、臨床心理士の東畑開人氏、哲学者/作家の千葉雅也氏、文化人類学者の磯野真穂氏と白熱した議論を交わし、人文学の方法論の壁を超えて「見えない信頼」を取り戻す方法を提言する!

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