ライフスタイル
2021/3/13 17:00

高層ビルと下町…玉袋筋太郎が語る、変化し続ける街「西新宿」の2つの顔と変わらない魅力

“下町”だった西新宿に、突如登場した高層ホテル

↑1971年、建設当初の京王プラザホテル ※写真提供/京王プラザホテル

 

———1971年当時、下町だった西新宿の街に、突如として登場した京王プラザホテル。日本一高い建設物として、東京だけでなく日本全国から注目を集めていたそうですが、当時地元の人々からはどのような反応があったのでしょうか?

 

当時を知るお客様からは、「今で言う『ディズニーランド』と『東京スカイツリー』が組み合わさったような衝撃があった」というお言葉をいただきました。建設中から「一体何が建つんだろう?」と皆さん思われていたそうなのですが、それがご自身が利用されるかもしれないホテルだということを知り、とても期待してくださっていたようです。

↑ゲストリレーションズの吉城亜紀さん

 

私が伺った中でとても印象的だったのは、近隣に住む子どもたちが、自転車で京王プラザホテルを目指して走って来たというエピソードです。西新宿よりももっと遠く、杉並周辺に住んでいた子たちだったらしいのですが、「あのホテルを目印にして走ろう!」と出発したそうなんです。

 

しかし、いざ到着して来た道を振り返ってみると、帰り方がわからなくなってしまったそう。これは京王プラザホテルが建設された当時、周囲に高い建物がなかったということがわかる象徴的なエピソードだと思います。

 

西新宿の発展の一端を担うという、ホテルの使命

———2021年で50周年を迎えられるということですが、この50年間の街の変化は、ホテルにどのような影響を与えましたか?

 

そもそもホテルが建つとき、創業社長の井上定雄には「街の発展にはホテルが必要」という想いがあったんです。この新宿という街、そして東京というエリアが発展していくには、人が集うホテルという広場が必要不可欠、というのが彼の考えでした。「新宿新都心開発協議会」とのミーティングにも我々ホテルのメンバーが参加していましたし、街の変化に影響されるというよりは、街の発展の一端を担うという思いが強かったと思います。

 

———街の発展を、自ら手伝っていたというわけですね。

 

その通りです。設立前にはヨーロッパやアメリカなど、海外のホテルの視察も積極的に行なっていたのですが、とくに米国・ロサンゼルスのセンチュリーシティにある「センチュリープラザホテル」を研究したときに、やはりホテルは街の核となっていると、確信したといいます。

 

京王プラザホテルにも広場という意味の“プラザ”という言葉が入っていますが、そこには人々が集い、憩い、人と人との交流が行われる中心部になってほしいという想いが込められています。

 

実際、ホテルは新宿という街だけでなく、東京の入り口のような存在になれたと思っています。今や最寄駅も増えてどこへでも電車で行き来できるようになりましたし、ホテル発着のバスも多いので、ホテルを拠点にさまざまな観光地へお出かけなさる方も多くいらっしゃいます。まさに、人々が集まる中心部になれているのではないでしょうか。

 

これからも西新宿のシンボルであり続けるために

↑現在の京王プラザホテル ※写真提供/京王プラザホテル

 

———50年間変わらず人々に愛され、西新宿のシンボルであり続ける京王プラザホテル。愛されるホテルであり続ける秘訣とは何でしょうか?

 

私どものホテルには“接客のプリンシプル(原則)”というものがいくつかあるんですが、その中に“親しみやすさ”という言葉がありまして、社員一同心がけております。

 

もちろんホテルですから、ゴージャスさや高級感も大切だとは思いますし、お召し上がりいただくものやお使いいただくアメニティには、最上級のものを選んでいます。しかし、提供する空間として、お客様を緊張させてしまったり、おくつろぎいただけないホテルではいけないと思っているんです。

 

たとえば、できるだけ多くの人が利用しやすい“ユニバーサルデザイン”というのを心がけていて、サインひとつとっても、スタイリッシュにデザインするよりも、文字をなるべく大きくしたりして、読みやすさにこだわっています。室内の照明に関しましても、雰囲気よりも過ごしやすさを重視して、明るめに設定しています。

 

接客においても、もちろん従業員の服装や髪型など身だしなみを整えることは当然必要ですが、お声がけさせていただくときのトーンですとか、表情ですとか、お客様に親しみやすさを持っていただけるよう心がけております。リピーターの方々には、そういった親しみやすさや過ごしやすさを支持していただけているのかな、と感じています。

 

———2020年は、コロナ禍によりホテル業界もこれまでにない変化を強いられることになったと思います。50周年を迎えるにあたり、今後の展望をお聞かせいただけますでしょうか?

 

今年は私どもだけでなく、皆さまにとって本当に大変な年だったと思います。私たちホテルマンにとって、マスクを装着してお客様の前に立つのはこれまでご法度でしたが、現在ではお客様をお守りするために必要なものとなりました。32年間ホテルに勤めてきた私にとって、これは初めてのことです。

 

これまで大切にしてきたことも、“お客様の心に寄り添うサービス”でしたので、そこは忘れないでいきたいと思います。それに加えて、これからはお客様に安心していただける環境をご提供することが重要だと考えております。

 

救急車などで採用されている強力な空気清浄機を導入したりなど、徹底した感染対策はもちろんですが、ホテルでの移動時にエレベーターなども貸切にできる『キレイプラン』というサービスもご好評いただいております。今後とも、お客様の心に寄り添うサービスを展開してまいります。

 

ゲストリレーションズ/吉城亜紀

1988年、京王プラザホテルに入社。社内のさまざまな部署を経験しつつも、ベテランゲストリレーションズとして現在も最前線で活躍している。
https://www.keioplaza.co.jp/

 

こうして50年間、発展を続けてきた西新宿の街。生まれも育ちも西新宿の玉袋さんは、現在の西新宿について何を思うのでしょうか?

 

西新宿という街の運命に、身を投じてみてほしい

———ほかの街にはなく、西新宿にしかない魅力とは何だと思いますか?

 

これから入ってくる人にとっては、交通の便もいいし、治安もいいし、言うことなしの住みやすい街でしょ。過去の景色を覚えてたりとか、街を出なきゃいけなくなった人たちとは違って、何のしがらみもないしね。

 

でもさ、西新宿には、街としての運命があるからね。たとえ今から更地になったとしても、きっとまた何か建設される。その運命を背負い続けている街なんだよ。だから、この街がどんなところなのか知りたいって人には「運命の中に身を投じてみな!」って言いたい。そしたら多分、「こういうことだったのか」ってわかると思うよ。「人の出入りが多いってこういうことなのか」ってね。

 

それにさ、東京駅の周りなんかは、もうほとんど人住んでないでしょ? 品川駅なんかも、もうバンバン新しいものが建っちゃって、当時のニオイを感じられるものはほとんどない。でも、新宿はこれだけ発展しても、まだ当時のニオイがかすかに残ってるんだよ。

 

「こんなキレイな街に、そんなものないだろ」と思ってても、自分のセンサーを研ぎ澄ませてると見つけられるよ、芳しいニオイがね(笑) 「かつてこんなところだったのか」って思いながら住んでみるのも、またおもしろいかもしれないよ。

 

取材・文/藤間紗花 写真/柴崎まどか

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