乗り物
鉄道
2021/1/27 19:15

最後の活躍!? 国鉄形通勤電車「201系」と「205系」の活躍を追う【前編】

〜〜希少な国鉄形電車の世界その3「201系」〜〜

 

武骨なスタイルで決しておしゃれとは言えないけれど、懐かしさ、愛おしさを感じてしまう国鉄形電車たち。今回は通勤形電車として一世を風靡した201系を【前編】で、205系を【後編】で追ってみたい。

 

201系と205系も今は徐々に減り、すでに201系は近々運行を終えるという情報も出てきている。ここ数年で見納めとなるのだろうか。

 

【はじめに】101系・103系・105系その後の107系は?

まずは、国鉄時代に生まれた通勤形電車の歴史を振り返っておこう。

 

太平洋戦争後しばらくの間に走っていたのが、旧形国電と一括して紹介される車両群である。戦前、戦中、戦後まもなくに造られた通勤電車で、資源の乏しい時代でもあり、また技術的にも、安全面でも問題を抱えていた。

↑筆者が国鉄時代の青梅線御嶽駅で撮影したこげ茶色の旧形国電。1970年代、ローカル線にはかなり多くの旧形国電が残っていた

 

そこで開発されたのが新性能電車と呼ばれる新形電車たちだった。まずは1957(昭和32)年に101系が登場した。1964(昭和39)年に誕生したのが、その後の国電の“顔”となった103系である。さらに後年となるが、1981(昭和56)年に地方の路線向けとして105系が開発される。このうち、103系と105系は今もわずかにだが、JR西日本で使われている。さて105系のあとはどのような通勤形電車が造られたのだろうか。今回はここから話を進めてみよう。形式名の数字順に見ると107系となるわけだが。

 

◆早くも形式消滅してしまった“JR東日本”の107系

実は107系は国鉄形電車には含まれていない。107系は国鉄の技術を引き継ぎ、JRとなった翌年の1988(昭和63)年にJR東日本により造られた。ちょうど境目となる年のすぐあとに生まれた電車だったわけである。

↑信越本線の群馬県内区間を走る107系。115系とともに北関東の路線の主力電車として活躍し続けた 2014年4月27日撮影

 

日光線、両毛線などの北関東の路線向けに造られた電車で54両が造られている。地方用ということで2両編成、“パンダ顔”と呼ばれた105系の正面に近いデザインを持つ。ロングシートで、失礼ながら個性がある電車ではなかったこともあり、あまり注目は浴びなかったように思う。

 

誕生してからちょうど30年を迎えるわずか1年前の2017年10月に運用終了。早過ぎる引退でもあった。この引退で107系という形式は消滅している。とはいえ、群馬県を走る上信電鉄に大量に引き取られ、今は主力電車として活躍をしている。ずっと走り続けてきた北関東の私鉄に引き取られて、“幸運な電車”だったと言えるかも知れない。

↑上信電鉄を走る元107系、現在は700形という形式名となっている。車体色は全編成が異なるが、元107系カラーの電車も走る

 

107系まで電車を紹介したが、109系という形式名はない。これは最後の「9」という数字が、横川〜軽井沢間を走った電車群に付けられた数字だとされるが、209系があるのに、109系がないというのはちょっと不思議でもある。

 

さて100という数字で、次は111系、113系、115系、117系という国鉄形電車としては、大きな存在だった形式があるのだが、こちらは次週以降のお楽しみということで、ひとまず、今回は通勤形電車の流れということで201系、205系という電車たちに触れておきたい。

 

【201系電車の登場】103系の後に登場した通勤電車たち

国鉄では101系の後に登場した103系が3000両以上の大所帯となっていた。103系は1984(昭和59)年までの20年にわたり製造され続けてきた。安定した性能で供給も安定したが、短所も生じてきた。大きな問題としては技術面で沈滞が生じてしまったのである。そうした中で開発が始まったのが201系だった。

 

◆国鉄として初の省エネルギー電車201系の登場

103系と201系の違いは、201系が省エネルギーを念頭に置かれて開発されたことである。時代背景に1973(昭和48)年にオイルショックが起ったことが大きかった。石油に依存していた世界は、石油の供給ひっ迫で原油高騰が巻き起こり、世界経済に大きな影響を及ぼした。

 

このことにより、鉄道にも省エネタイプの電車の開発という大きな流れが生まれる。すでに1970年前後から省エネタイプの電車の開発が始まり、実際に営団地下鉄や大手私鉄の電車が誕生していた。対して国鉄では103系を主力にしていたせいか、動きは遅れがちで、201系の開発から省エネ電車の導入にかじを切っている。1979(昭和54)年に国鉄初の省エネ電車201系の先行試験車が誕生した。

 

201系では国鉄初の電機子チョッパ制御(サイリスタチョッパ制御)方式が採用された。さらに電力回生ブレーキを装備している。

↑関西圏では京阪神緩行線に導入後,大阪環状線などで使われた。大阪環状線の201系は2019年に運行終了 2016年12月10日撮影

 

2年におよぶ試験が続けられ、1981(昭和56)年に量産車が登場した。201系は、首都圏の中央線快速、中央・総武緩行線に加えて、関西圏の京阪神緩行線用に投入された。製造期間は1985(昭和60)年までと短かったが、計1018両(試作車10両を含む)が投入されている。

 

そんな201系も誕生してすでに40年がたった。JR東日本の201系は長らく走った中央線からは2010年10月で、また最後まで残った京葉線201系は2011年6月で運用終了している。残る201系はJR西日本のみとなった。

 

【201系が残る路線①】大和路線の普通列車として活躍中

今や国鉄形電車の聖地となりつつあるJR西日本。多くの国鉄形電車が更新され、大事に使われてきた。しかし、さすがにというか、徐々に新しい電車を入換えが進みつつある。201系が大半を占めていた大阪環状線とゆめ咲線(桜島線)も、3扉車への統一を図るため、後進の323系が増備され2019年に姿を消した。オレンジ一色の姿で長年、大阪で親しまれていた電車もすでに過去のものになっている残る201系はウグイス色の大和路線(関西本線)と、おおさか東線を走るのみとなっている。

 

◆車両の現状:残り201系はあと132両となった

↑大和路線を走る201系は2006年暮れからの運行。ウグイス色一色の車体に、正面のみ白帯(警告帯)が入る。側面はかなり改造されている

 

残る201系はすべて吹田総合車両所奈良支所に配置されている。残存する車両数は132両で最盛期の13%まで減ってしまった。

 

貴重な201系がまず走るのは大和路線のJR難波駅と王寺駅間で、同駅間の主に普通列車に利用されている。頻繁に走っているので、まだまだ大丈夫だろうと思っていたら……。2020年2月19日発表のJR西日本のプレスリリースによると、この残りの201系も「運行を終える」ことが発表された。「中期経営計画2022」と名付けられたプランによると、225系が144両、新規投入されることが発表されている。

 

225系はJR京都線、JR神戸線への投入ながら、両線を走っていた221系が大和路線へ移される。予定では225系の導入が2020年から2023年度にかけてとされる。となると3年以内には置き換えに? すでに大和路線では221系が主に快速列車などに使われているが、3年後には走る電車の大半が221系となりそうだ。

 

◆撮影するならば:緑の多い高井田駅〜三郷駅間がおすすめ!

↑三郷駅近くで大和川を渡る。第三大和川橋りょうは、橋の上の構造物がワーレントラスなど複雑な造りでなかなか面白い

 

筆者は国鉄形電車が好きなこともあり、大和路線を何度か訪れて、乗車している。201系が走る区間には、ちょうど大和川が平行して流れている区間がある。通勤電車が走る路線としては、非常に風光明媚な区間で、乗車していても車窓風景の展開がおもしろい。

 

もし撮影するとしたら、やはり大和川の流れと並行する区間がおすすめだろう。高井田駅から三郷駅(さんごうえき)間まで、途中に一駅・河内堅上駅(かわちかたかみえき)があるのみだが、ぜひともお気に入りのスポットを探していただきたい。

 

【201系が残る路線②】おおさか東線の主力として活躍中だが

◆運用の現状:大和路線と共通運用のため2023年度には消えることに

新大阪駅と久宝寺駅(きゅうほうじえき)を結ぶおおさか東線。2019年3月16日に全線開業した路線だが、この主力として走るのが201系だ。普通列車のすべてに201系が使われている。大和路線へ乗り入れる快速電車(新大阪駅発は日に4本のみ)を除く列車以外はすべて201系なので、同路線で201系が見放題、乗り放題というわけだ。

 

とはいえ大和路線と共通運用で、配置されるのが吹田総合車両所奈良支社。そのため2023年度までには消える運命となりそうだ。

↑新大阪駅近くを走るおおさか東線の201系。同線の久宝寺駅行き普通電車は現在のところすべて201系で運転されている

 

おおさか東線は全線がほぼ高架線が連なり、もし駅間で撮影するとしても好適地があまり無いのが残念なところ。貨物専用線だった淀川橋梁(赤川鉄橋)も今は歩行者が渡れなくなっている。駅間で撮るとしたら新大阪駅近辺や久宝寺駅周辺ぐらいかも知れない。

 

◆車両の特徴:車体側面や行先表示器は大きく変更されている

JR西日本には国鉄形の古い車両が残っている一方で、体質改善工事と称する改造工事を大がかりに行っている。残る201系の変更点をここで確認しておこう。まずはオリジナル車両にくらべて側面が大きくかわっている。雨どいの位置が上げられ、屋根の張上化、乗降扉が入り込む戸袋部分の窓が消された。ガラス窓の周囲などもステンレスにされている。上部にある前照灯もガラス内に収納されている。

 

行先表示器は方向幕からLED表示器にされている。ちなみにLED表示器の撮影を試みたが、きれいに撮影できるシャッター速度をいろいろ試してみて60分の1以下が望ましいことが分かった。なかなか難度の高いLED表示器である。走行時の撮影はかなり難しいように感じた。

↑行先表示器は現在LEDとなっている。このLEDをきれいに撮るのが結構難しい。作例はシャッター速度60分の1で撮影したもの

 

いろいろな変更点がある201系ではあるが、国鉄初の省エネ電車であることは確かだ。歴史にその名を刻んだ“名車”をしっかり目に焼き付けておきたい。