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2021/11/21 6:00

金沢市と郊外を結ぶ「北陸鉄道」2路線−−10の謎解きの旅

おもしろローカル線の旅76 〜〜北陸鉄道石川線・浅野川線(石川県)〜〜

 

ローカル線の旅を楽しんでいると、なぜだろう? どうして? といった謎が多く生まれてくる。そうした謎解きしながらの列車旅がおもしろい。

 

今回は石川県金沢市とその近郊を走る北陸鉄道の石川線と浅野川線の旅を楽しんだ。両線を乗っているとなぜ? という疑問がいくつも湧いてきた。

 

【北陸謎解きの旅①】そもそも北陸鉄道はどこの鉄道会社なのか?

北陸鉄道は石川県の鉄道会社なのに北陸鉄道を名乗っている。北陸の隣県でいえば「富山地方鉄道」、福井県では「福井鉄道」がある。現在は元北陸本線の石川県内の路線が三セク鉄道の「IRいしかわ鉄道」となっているものの、なぜ、北陸鉄道と規模の大きさを感じさせる会社名を名乗ったのだろう?

 

下記の路線図は北陸鉄道の太平洋戦争後、最も路線網が広がった時代の路線図である。この当時の北陸鉄道の路線本数は計13路線にも広がり、路線の総距離は144.4kmにも達した。

↑昭和30年代初期の北陸鉄道の路線図。ピンク色の路線すべてが北陸鉄道の路線だったが、今は白ラインで囲む2路線のみとなっている

 

創業当時から北陸鉄道という会社名だったわけではない。1916(大正5)年に発足した金沢電気軌道という会社が大本だった。金沢市内の路面電車を運行していた会社が北陸鉄道となっていったのである。

 

1942(昭和17)3月26日に北陸鉄道を設立。翌年の1943(昭和18)年10月13日には石川県内7社の交通会社が合併した。太平洋戦争後の1945(昭和20)年10月1日には、浅野川電気鉄道(現浅野川線)を合併し、北陸地方最大規模の路線網が形作られたのだった。名実ともに北陸地方を代表する私鉄会社となったのである。

 

しかし、〝大北陸鉄道〟時代は長くは続かなかった。モータリゼーションの高まりとともに、鉄道利用者は次第に減っていき、1950年代から路線の縮小が始まる。1987(昭和62)年4月29日に、加賀一の宮駅〜白山下駅間を走っていた金名線(きんめいせん)が正式に廃止されたことにより、北陸鉄道の路線は石川線、浅野川線の2線、路線距離20.6kmとなっている。

 

【北陸謎解きの旅②】なぜ2路線は結ばれていないのか?

石川線の始発駅は金沢市内の野町駅、また、浅野川線の始発駅は北鉄金沢駅となっている。両線はつながっていない。しかも歩いて移動すると約3km強の距離がある。なぜ両線はつながらず、また両駅は離れているのだろう。

↑金沢市の繁華街、昭和初期の尾張町通りを金沢電気軌道の電車が走る。市内線は1967(昭和42)年に全廃 絵葉書は筆者所蔵

 

かつて、金沢市内には北陸鉄道金沢市内線という路面電車の路線網があった。この路面電車は全盛期には市街全域に路線が敷かれていた。路線の中で白銀町〜金沢駅前〜野町駅前という〝本線系統〟があり、路線距離はちょうど金沢駅前から野町駅前まで3.6kmだった。

 

路面電車が走っていたころは、この電車に乗れば、金沢駅から市の繁華街である武蔵ヶ辻(金沢駅から1.1km)、香林坊(金沢駅から2.2km)に行くのも便利で、野町駅へも繁華街経由で行くことができた。

 

この金沢市内線は、国内の多くの都市と同じように、モータリゼーションの高まりで、邪魔者扱いされるようになっていった。そして1967(昭和42)年2月11日に廃止された。

 

北陸三県では富山市、福井市が、路面電車の新たな路線を整備し、低床の車両を導入するなどして、路面電車を人にやさしい公共交通機関として役立て、また市内を活性化させている。対して金沢市は廃止し、バス路線化の道をたどった。まさに好対照と言って良いだろう。

↑今回紹介の北陸鉄道石川線(左)と浅野川線(右)の路線図。両線は離れていることもあり、一日で巡るには乗り換えが必要

 

地元に住む人たちはバスでの移動に慣れてしまっているのであろうが、観光で訪れた時には市内電車があれば、駅から金沢の繁華街へ行く時にも、より分かりやすいかと思われる。何より市内電車があったならば、石川線の始発駅・野町駅も今ほどの〝寂れ方〟はなかったようにも思う。

 

外部の者がそんな感想を持つぐらいだから、地元の人も危機感をもっていたようだ。実は今年の春に市内にLRT(ライトレールトランジット)路線を設けて北鉄金沢駅と野町駅を結ぶ計画が検討され始めていた。2021年度中には方向性を決め、導入に向けて環境を整えていくべきとしている。もし金沢市にLRT路線が生まれるとなれば、より便利になり、観光にも有効活用されそうである。期待したい。

 

【北陸謎解きの旅③】走っている車両は東急と京王の元何系?

ここからは石川線の概要と走る車両に関して見ていきたい。

 

◆北陸鉄道石川線の概要

路線と距離北陸鉄道石川線/野町駅(のまちえき)〜鶴来駅(つるぎえき)13.8km
全線単線直流600V電。
開業1915(大正4)年6月22日、石川電気鉄道により新野々市駅(現新西金沢駅)〜鶴来駅間が開業、1922(大正11)年10月1日に西金沢駅(後に白菊町に改名、現在は廃止)まで延伸。1927(昭和2)年12月28日に神社前駅(後の加賀一の宮駅)まで延伸開業。
駅数17駅(起終点駅を含む)

 

石川電気鉄道の路線として開業した石川線だったが、開業8日後には「石川鉄道」という会社名となっている。石川鉄道を名乗る会社が大正期にあったわけだ。

 

現在、北陸鉄道石川線を走る電車は2種類ある。

 

◆北陸鉄道7000系電車

↑石川線の主力車両7000系。正面の下には大きな排障器(スカート)が取り付けられる。小柳駅付近では写真のように水田が広がる

 

北陸鉄道の7000系は、元東急電鉄の7000系(初代)だ。東急7000系(初代)は日本の鉄道ではじめて製造されたオールステンレス車両で、1962(昭和37)年に誕生した。

 

当時、日本ではステンレス車両を造る技術を持っておらず、アメリカのバッド社と技術提携した東急車輌製造によって134両が製造された。東急では東横線、田園都市線などを走り続け、北陸鉄道へは1990(平成2)年に2両編成5本が入線している。導入前には石川線に合うように電装品が直流1500V用から直流600V用に載せ変えられている。

 

今も石川線の主力として走る7000系。初期のオールステンレス車両らしく、側面には波打つコルゲート板が見て取れる。また正面下部には、東急時代には無かった大きな排障器(スカート)が付けられている。

 

7000系は、細かくは7000形、7100形、7200形と分けることができる。その中の7200形は中間車を先頭車に改造した車両で、正面に貫通扉がなく、凹凸のない顔のため他の7000系との違いが見分けしやすい。

 

◆北陸鉄道7700系電車

↑鶴来駅の車庫に停まる7700系。元井の頭線の3000系の初期型を利用した車両で、3000系の後期車とは正面の窓の形が異なる

 

元東急7000系以外に石川線を走るのは7700系。こちらは元京王電鉄の井の頭線を走っていた3000系で、東急7000系と同じく東急車両製造で製造、また誕生も1962(昭和37)年と、東急7000系と同じ時代に生まれたオールステンレス車両だ。要は同時代に同じ東急車輌製造で作られたオールステンレス車両が北陸の地で再び出会ったという形になったわけである。

 

なお、石川線が直流600Vで電化されていることから、2007(平成19)年の入線時に7700系の電装品は変更されている。石川線に入った編成は2両×1編成のみで、7000系に比べると沿線で出会うことは少なめだが、変更予定はない模様で、この先しばらくは走り続けることになりそうだ。ちなみに石川線も、市内のLRT路線計画に合わせてLRT化しては、という声も出てきている。そうなれば、現在の石川線の車両も大きく変わっていきそうだ。

 

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