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2022/6/18 21:00

路面電車なのに地下鉄!? 不思議「京阪京津線」満喫の旅

【京津線に乗る④】びわ湖浜大津駅付近は電車撮影の聖地

ここからは京津線の路線の紹介をしていこう。京津線の現在の起点は御陵駅となっているが、本原稿では、石山坂本線との接続駅であるびわ湖浜大津駅から旅を楽しみたい。

 

大津市は日本最大の湖、琵琶湖に面して街が広がっている。びわ湖浜大津駅は琵琶湖の観光船などが発着している大津港の近くにある。この琵琶湖畔に沿うように路線が敷かれるのが石山坂本線で、京津線はこの石山坂本線から、ほぼ直角に分岐して京都方面へ向かう。

 

びわ湖浜大津駅は1面2線の構造で、ホームは1番線が坂本比叡山口方面、三条京阪・太秦天神川方面、2番線が京都膳所(きょうとぜぜ)、石山寺方面となっている。京津線と石山坂本線の電車が1つのホームを共用しているわけだ。駅の東側、上り下り線の中央に留置線があり、2番線に到着した京津線の電車は、この留置線を利用して折り返し、1番線に入線して、同駅始発電車として三条京阪・太秦天神川方面へ向かう。

↑びわ湖浜大津駅を発車した太秦天神川駅行電車。ほぼ直角に曲がり併用軌道区間の県道558号線へ入る

 

さて、びわ湖浜大津駅の造りだが、東側は石山坂本線の専用軌道区間となるが、一方の西側は、駅の目の前からすぐに併用軌道区間に入る。駅前には大きなT字路交差点があり、多くの車が通行している。京津線、石山坂本線の電車とも、このT字路の信号に従い出発する。この交差点は併用軌道区間を走る両線の電車を撮影するのにうってつけで、電車にカメラを向ける人の姿を多く目にするポイントでもある。

 

京津線と石山坂本線とも現在は上部が濃緑色、下部が白色、中間に黄緑色の帯を巻いて走る。こうした〝京阪カラー〟に混じって石山坂本線には特別色、またはラッピング車が走っていて、この貴重なカラー塗装の車両を、びわ湖浜大津駅前で撮影しようと集まる鉄道ファンも多い。

↑石山坂本線の標準色で塗られた700系。同線では上部が濃緑色、下部が白色という標準カラーの車両が多くなっている

 

↑石山坂本線には1934(昭和9)年に天満橋〜浜大津間を直通運転した「びわこ号色塗装」の600系といった特別色の電車も走る

 

【京津線に乗る⑤】通りの真ん中を4両編成の電車が走る

びわ湖浜大津駅前を発車し、駅前で左急カーブを曲がる京津線の800系。平行して走る車に注意しながらやや坂となった県道588号線を上がって行く。

 

併用軌道区間の距離は600mほどで、その間に京町1丁目という交差点があり、この交差点の左手にかつての終点、札ノ辻駅があった。旧東海道はこの京町1丁目でカギ型に曲がっていた。京津線の併用軌道はこの先、旧東海道を進んでいく。

↑びわ湖浜大津駅を発車した京津線の電車はすぐに併用軌道区間へ入る。その距離600mほど

 

旧東海道筋を走る京津線の電車。このあたりは旧大津宿があったところで、街道筋には大塚本陣跡もあった。現在、大塚本陣跡には明治天皇が休憩されたとする碑が残るのみとなっている。

↑旧東海道の大津宿があった付近を走る800系。車体下に注意を促すリフレクターが装着されていることが分かる

 

【京津線に乗る⑥】上栄町駅の手前で専用軌道へ入っていく

併用軌道区間を登りきったところには、信号が取り付けられている。この信号が赤になり車が停止するのに合わせて、京津線の電車は道路を抜け専用軌道へ入っていく。間もなく上栄町駅に(かみさかえまちえき)に到着する。

↑信号に合わせて京津線の電車は道路を通過する。加えて踏切(写真左)設備もあり警報灯で電車の通過をドライバーへ伝えている

 

↑専用軌道を走るびわ湖浜大津駅行き電車。左に見えるのが上栄町駅の上り線用ホーム

 

上栄町駅付近から路面電車の趣は消え、郊外線の趣が強まる。左右には民家が建ち並び、先に小高い山が見えるようになる。こちらが逢坂山(おうさかやま)だ。かつてこの山は、京都と大津の往来を困難にした難所でもあった。

 

【京津線に乗る⑦】大谷駅まで急勾配&急カーブが続く難路を走る

↑上栄町駅〜大谷駅間ではカーブ区間にスプリンクラー(左上)が設置されている

 

上栄町駅を過ぎると、京津線の路線は険しさを増し、急カーブも続く。そんなカーブ区間でスプリンクラーを使って散水ししている光景を見かけた。この散水装置は何のためにあるのだろう。

 

急カーブ区間を電車が走ると、キッ、キッといった金属同士が擦れて音が出ることがある。これは車輪の外周の出っ張ったフランジと呼ばれる部分と線路がこすれて生まれる音で、通称〝フランジ音〟と呼ばれる。散水することにより、フランジ音を減らす効果があるとされる。民家が多い区間なので、騒音防止という役目もあるのだろう。

↑上栄町駅付近ですれ違う800系。専用軌道区間ではスピードアップして走る。とはいっても800系の最高速度は75km/hと抑えられている

 

多少寄り道になるが京都と大津の間の明治以降の鉄道建設に関して触れておこう。

 

今でこそ、京都〜大津間を走る東海道本線は複数のトンネルにより、スムーズに行き来することができる。しかし、トンネル掘りの技術が未熟な時代の路線造りは難航を極めた。当時、神戸〜京都間は1877(明治10)年に開業させたものの、東側の路線造りは遅々として進まなかった。

 

京都は四方を山に囲まれている。まずは東山を避けるべく明治政府は、大きく迂回するルートを選択した。京都駅から南へ向かい現在の奈良線の稲荷駅を経て、山科を通り大谷に向かった。だが、大谷と大津の間には逢坂山があり行く手を阻んだ。

 

この逢坂山はトンネルで貫かざるをえず、1878(明治11)年に掘削を開始。1880(明治13)年7月15日に開通したのが逢坂山隧道(664.76m)だった。同トンネルは日本初の山岳トンネルであり、日本人技師のみで着工された最初のトンネルだった。この逢坂山隧道は40年後の新線開通で役目を負えたが、東口が今も遺構として残されている。

↑京津線の下を抜ける東海道本線。写真の上関寺トンネルの先に新逢坂山トンネルがありスムーズな通り抜けが可能となっている

 

東海道本線の逢坂山隧道よりも、短めながら京津線も逢坂山を250mのトンネルで越えている。当時の旧東海道本線が迂回していて不便だったことに加えて、開設された京都駅が繁華街の三条、四条から遠かったことも京津線が計画された理由だった。トンネル掘りで官営路線造りに苦しんだことが、結果として京津線の開業にも結びついていたわけだ。

 

【京津線に乗る⑧】大谷駅は40パーミルの勾配区間にある

京津線の逢坂山トンネル付近には京津線最大の61パーミルという急勾配がある。このあたりは国道1号と平行して走る区間となる。大谷駅はその駅名通り、大きな谷にある駅だ。

 

大谷駅はなかなかユニークな駅だ。開業当時には旧東海道本線の大谷駅が近くにあり、乗換駅となっていたが、今はそちらの大谷駅はない。現在は乗降客も少ない静かな駅だが、じつは軌道法に準じた路線の急勾配日本一の駅でもある。「軌道法に準じた」としたのは、普通、鉄道は鉄道事業法という法律で管理されており、そちらの最急勾配駅は明知鉄道の飯沼駅だからだ。管理される法律は違うものの、飯沼駅の勾配は33.3パーミルであり、京津線の大谷駅は日本一の急勾配駅と断言してしまって良いだろう。

↑急勾配にある大谷駅。ホームに置かれるベンチ(左上)の足は拡大して見ると左右で長さが異なる、ホームは右肩あがりとなっている

 

ちなみに、軌道法の線路建設には規程があり、駅(軌道法の場合には停留場)は10パーミル以下であることが必要とされる。大谷駅の場合は当時の内務大臣の許可を得て特例として設けられた。急勾配の途中にある駅だけに不思議なことも。下り線上り線ともホームに木製のベンチが置かれているのだが、足の長さが左右で異なるのだ。計ってみると傾斜が低い側は40cm、高い側は30cmと10cmの違いがあった。

 

三条方面行きのホームから下り線ホームを見ると、ホームの右側が明らかに上がっていることが分かる。昨年、大リーグの大谷翔平選手がMVPに輝いた時に、京阪電気鉄道ではTwitterで大谷駅のホームとベンチの写真を掲載してお祝いしたそうだ。右肩上がりの意味を込めたそうで、なかなか粋なお祝いだったように思う。ちなみに同Twitterでは、大谷選手の二刀流に対して、「京津線は地下鉄・登山電車・路面電車の三刀流です」とPRしている。

↑大谷駅を発車する太秦天神川駅行き電車。京津線と並行するのは国道1号。四宮駅(しのみやえき)まで長い下り坂が続く
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