おもしろローカル線の旅95〜〜JR東日本・青梅線(東京都)その2〜〜
先週に引き続き青梅線の旅をご紹介。今回は青梅駅から終点の奥多摩駅を目指して旅を続けたい。「東京アドベンチャーライン」という愛称を持つ青梅駅〜奥多摩駅間は、全線が多摩川沿いで、自然に囲まれて走る。山景色、渓谷美とともにアウトドアレジャーも楽しめるワイルドな路線だ。
*取材は2019(令和元)9月〜2022(令和4)年7月10日に行いました。一部写真は現在と異なっています。
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【青梅線はワイルド①】レトロな青梅駅の雰囲気を楽しみつつ
路線距離37.2kmの青梅線のちょうど中間にあるのが青梅駅。今週は残り18.7kmの青梅駅〜奥多摩駅間を中心に紹介したい。
青梅線を敷設した青梅鉄道(後に青梅電気鉄道と改称)の元本社ビルがある青梅駅。同駅は17年前に「レトロステーション」としてリニューアルした。駅の案内や待合室など、レトロな造りがアクセントとなっている。
この青梅駅までは、立川駅もしくは中央線からの乗り入れ電車があるが、奥多摩駅方面へは青梅駅での乗換えが一般的となる。なお平日朝は立川駅〜奥多摩駅間を、また週末には東京駅や新宿駅と奥多摩駅を結ぶ上り下り「ホリデー快速おくたま」が本数は少なめながらも運行されている。
青梅駅は1・2番線ホームがあり、立川駅方面から到着する電車のちょうど向かい側ホームから奥多摩駅行きの電車が発車する(2番線ホームからの発車が多い)。奥多摩駅行き電車の発車まで時間があるようならば、駅地下道の映画看板をじっくり見て、レトロな待合室で時間を過ごすのもいいだろう。
青梅駅から奥多摩駅方面行き電車の時刻は平日と週末でかなり異なっている。平日は1時間に1〜2本の列車本数。一方、週末は本数が増え、朝6〜8時台は1時間に3〜4本で、日中は約30分おきに発車する。その一方で15時以降は列車の間隔がやや空くようになる。ハイキング客やレジャー客に合わせたダイヤ設定なのである。
ちなみに、奥多摩駅発の電車は平日が1時間に1〜2本で、週末は6時台と15・16時台が1時間に3本と列車の運行が増える。増える列車の一部が快速電車で、そのうち「ホリデー快速おくたま」は奥多摩駅〜青梅駅間の停車駅が、御嶽駅のみになるので注意したい。
【青梅線はワイルド②】青梅丘陵の自然林を見ながら宮ノ平駅へ
青梅駅から青梅線の旅を始めよう。青梅駅を発車すると間もなく北側、進行方向右手に丘陵地帯が連なり、電車は樹林を眺めて走るようになる。この丘陵は青梅丘陵と呼ばれ、先週取り上げた青梅鉄道公園から先、尾根をたどるようにハイキングロード(栗平林道)が続いている。ちょうど青梅線に平行した丘の上部には、複数の休憩所やトイレも設けられ、青梅線の軍畑駅(いくさばたえき)に降りるコースが設けられている。
そして次の駅、宮ノ平駅へ。北側は丘陵が続くが、南側は青梅街道、そして蛇行して流れる多摩川沿いまで民家が広がっている。
宮ノ平駅の次は日向和田駅(ひなたわだえき)で、ここは吉野梅郷(よしのばいごう)の最寄り駅だ。駅の南、多摩川を渡った徒歩15分ほどのところに梅の公園がある。残念ながら2014(平成26)年に公園内の梅がウィルスに感染、園内の梅が全部伐採された。その後にNPO法人が立ち上げられ梅の再生を目指す活動が行われている。見ごろは東京都内の梅よりは遅く2月下旬〜3月中旬とされている。
【青梅線はワイルド③】誰が利用するの?不思議な石神沢踏切
日向和田駅の次は石神前駅(いしがみまええき)だ。この駅、名前がこれまで3回変わっている。駅が開業した1928(昭和3)年10月13日の名前は楽々園停留場だった。楽々園とは青梅鉄道が設けた遊園地で、東京の西多摩唯一の遊園地だったとされる。現在、遊園地跡は大手企業の保養施設となっている。
1944(昭和19)年に青梅鉄道から国鉄の路線となった時に三田村駅となり、さらに3年後の1947(昭和22)年3月1日に、現在の石神前駅と名が変更された。
現在の石神前駅は、駅の東側100mにある石神社(いしがみしゃ)の名前にちなむ。創建時期は不明という古社で、境内に立つ大銀杏は幹周りが6.6mもあり、乳信仰の対象になっている。樹皮を煎じて飲むと母乳がよく出るようになると言い伝えられる。
この石神社の目の前を青梅街道が通る。この街道沿いを青梅側に行くこと数分。ちょっと不思議な踏切がある。踏切の名前は「石神沢踏切」。森に包まれていて、この踏切を通る人はほぼいない。踏切を渡った山の入口には「通行禁止・青梅市森林組合」とあり鎖錠(さじょう)されている。林業関係者の車しか走ることのできない踏切なのである。
青梅線沿線には警報器の付かない第四種踏切がある。対して石神沢踏切には警報器+遮断器が付いている。森林組合の関係者もあまり使っていないようで、ちょっと過分な設備に感じた。ちなみに、踏切があるのは石神入林道と呼ばれる林道で、先に進むと前述した青梅丘陵ハイキングコースにつながっている。そのためハイカーなどの利用がごくわずかにあるようだ。
【青梅線はワイルド④】軍畑はやはり古戦場との縁が深かった
石神沢踏切付近では青梅丘陵がせり出し、青梅線は多摩川のすぐ間近を走るが、次の二俣尾駅付近は平地となり住宅地が広がる。多摩川の両岸に住宅が建つのはこの二俣尾駅付近まで。この先、急に山深くなっていく。
次の駅が軍畑駅だ。「いくさばた」という名前は、やはり戦いに関係が深いのだろうか。駅名案内にそのヒントがあった。
駅名案内には駅の名前とともに、兜のイラストの下に「辛垣(からかい)の合戦」の文字。調べてみると、戦国時代の合戦であることが分かった。簡単に触れておこう。戦国時代初頭に青梅から現在の飯能にかけて治めていたのが三田氏だった。当初は小田原の北条氏の傘下に入っていたが、その後に上杉謙信の側につく。二俣尾駅と軍畑駅間の北側に築かれた山城「辛垣城」で北条軍を迎え撃った。
その時に戦場となったのが軍畑駅付近だったという。北条軍は多摩川を渡り攻め入り辛垣城は落城、三田氏は滅んだとされる。軍畑駅の駅名の上に丸い「三つ巴(みつどもえ)」のデザインが描かれるが、このデザインこそ、戦国の世に青梅を治めた三田氏の家紋だったのである。
軍畑駅付近では、ぜひとも見ておきたい構造物がある。軍畑駅の東側を流れる平溝川にかかる鉄橋で、奥澤橋梁と呼ばれる。橋脚が末広がりで組まれ、鉄骨で強化されている。この構造の橋はトレッスル橋と呼ばれる。アメリカから導入された技術で、国内では山陰本線の余部橋梁(あまるべきょうりょう)が代表的な橋だったが、老朽化などへの対応のため余部橋梁は2010(平成22)年に新しい橋に架け替えられている。
国内のトレッスル橋は現在、道路橋を含め11か所しかなく貴重になりつつある。多くが大正末期から昭和初期にかけて造られた橋で使用部材量が少なくて済むことが長所だとされる。青梅線ではこの奥澤橋梁がトレッスル橋だが、御嶽駅から先、戦時中に造られた橋とは構造が大きく異なるところがおもしろい(詳細後述)。