4. ヴィクトリア州ヤラ・ヴァレー 〜ゴールドラッシュとフィロキセラとブルゴーニュ品種〜
19世紀、オーストラリアのワイン生産の中心は、メルボルンを州都とするヴィクトリア州でした。写真の「イエリング・ステーション」は、メルボルンの北東(車で1時間ほどの距離)に位置するヤラ・ヴァレー最古のワイナリーで、その歴史は1838年にまでさかのぼることができます。
現在ヤラ・ヴァレーは、ピノ・ノワールとシャルドネで成功を収める産地となっていますが、その道のりは平坦なものではありませんでした。1850年代にイエリング・ステーションを引き継いだスイス人、ポール・ド・カステーラは、シャトー・ラフィットの穂木(ほぎ)を2万本ほど植え、1889年のパリ万国博覧会では“南半球のワイン”として唯一のグランプリを獲得。現在でも、素晴らしいボルドー・スタイルはあるのですが、19世紀の主流はカベルネ・ソーヴィニヨンだったのですね。
19世紀半ばのゴールドラッシュでは多くの移民を受け入れた結果、人口の激増と現在につながる多様な文化の礎を形成し、質量ともに、ヴィクトリア州はワイン産業の隆盛の時代を過ごした時期の出来事でした。ところが1870年代に、メルボルンの対岸ジーロングを始まりとしたフィロキセラ(害虫)禍によって壊滅的な被害を受け、生産者の帰国やブドウ畑の牧場への転用といったワイン産業の逆風のなかで、ヤラ・ヴァレーのブドウ畑は1920年代までに多くが失われてしまいました。
この地域のワイン生産が復活を遂げるのは1960年代以降のこと。当初は、以前と同じように高品質なボルドー・ブレンドが主流でしたが、1980年代には挑戦的な造り手によって、それまでにはない高品質なピノ・ノワールが、オーストラリアワインの地図に描き出されます。イエリング・ステーションは、この産地の盛衰を表すかのように幾度となくオーナーが変わり、現在のオーナーが購入したのは1996年のことです。
現在、世界で一番住みやすい都市のひとつとして名前の挙がるメルボルンは、多様な価値観を許容し、さまざまな困難を乗り越えてきた歴史があります。それは、オーストラリアワインの長くはない歴史のなかでの幾多の困難とも重なり合うように思えるのです。メルボルンからのワインツーリズムといえば、ヤラ・ヴァレーが真っ先に候補に挙がる銘醸地ですが、そう思って手に取ると、ヤラ・ヴァレーのワインにはこれからも変化し続けるという気骨やバイタリティを感じるのは、私だけでしょうか?
21世紀になってからも、再度のフィロキセラ禍、地球温暖化と、この地域の試練は枚挙にいとまがありませんが、より冷涼な畑での新しいスタイルのワインなど、これからの可能性にも満ちた魅力的なワイン産地です。
Yering Station(イエリング・ステーション)
「Village Pinot Noir2015(ヴィラージュ・ピノ・ノワール2015)」
3200円
輸入元=ヴィレッジ・セラーズ
最後に紹介する産地は、プレミアムワインを産む美しいワイン観光地、西オーストラリア州マーガレット・リヴァーです。