乗り物
2016/10/8 20:00

“ちん電”の名で親しまれるナニワの名物電車ーー国内で最もレトロな路線「阪堺電気軌道」

全国を走る路面電車の旅 第12回 阪堺電気軌道

 

大阪の街中と堺市の浜寺駅前を結んで走る阪堺電気軌道。この路面電車を正式名称である「阪堺電気軌道」と呼ぶ人はめったにいない。「阪堺電気」「阪堺電車」……。いやいや、地元の人たちの多くは、“ちん電”と呼んでいる。

 

チンチン電車ならぬ“ちん電”とは、大らかというか、大阪らしいというか。最近では阪堺電気軌道の自社のホームページで「ちん電くんのイベント情報」というコーナーもあり、“ちん電”キャラクターまで登場している。ちん電くんは阪堺電気軌道のまさに“公認キャラ”! 阪堺電気軌道は大阪流の乗りの良さが“めっちゃ”出ている路面電車なのである。

 

地元の人たちに愛されてきた阪堺電気軌道。その歴史は古く一世紀以上の歴史を誇る。さらに、御年88歳となる現役最古の電車が、いまも元気に活躍している。 一方で超低床車両が導入された。住吉公園駅の廃止、天王寺駅前電停の改修も進む。著しい変貌を遂げつつある阪堺電気軌道“ちん電”のいまに迫ってみよう。

 ↑90年近い年月を走り続けてきたモ161形。年輪を重ね、威厳に満ちた表情には感服せざるを得ない
↑90年近い年月を走り続けてきたモ161形。年輪を重ね、威厳に満ちた表情には感服せざるを得ない

 

【歴史】路線開業してすでに一世紀以上

大阪市南部エリアと堺市とを結び、2路線を運行する阪堺電気軌道。大阪で特に“濃い”とされるエリアを走る、いわば“コテコテ”の路面電車である。

 

本線にあたるのが、恵美須町と浜寺駅前を結ぶ阪堺線であり、天王寺駅前〜住吉間を結ぶ上町線とは住吉停留場で合流している。ただ、路線として歴史が古いのは上町線の方で、開業は1900(明治33)年してからすでに116年になる。もっとも、新しい方の阪堺線も1911(明治44)年の開業だから、いかに古い鉄道会社であるかお分かりになるだろう。

 

ちなみに阪堺の親会社にあたり、阪堺線に並走している南海電鉄の開業は1885(明治18)年と、阪堺よりさらに古い。両鉄道はかつて、住吉大社の参拝客や浜寺公園のリゾート客をめぐって、争奪戦を繰り広げたライバル同士だった。現在の下町情緒あふれる沿線の雰囲気からは想像もできないが、当時は日本屈指の鉄道先進地域だったのだ。

↑モ161形の車内。博物館の保存電車が街中をそのまま走ってしまっている、そんな光景に出会える
↑モ161形の車内。博物館の保存電車が街中をそのまま走ってしまっている、そんな光景に出会える

 

↑「笑顔 ふれあい チンチン電車」。車内の表示も味があって気分が和らぐ
↑「笑顔 ふれあい チンチン電車」。車内の表示も味があって気分も和らぐ

 

【車両】古参電車はモ161形だけではなかった

阪堺の車両は、現在6形式。代表する車両といえば、やはりモ161形となる。モ161形は1928(昭和3)年と1931(昭和6)年に、合わせて16両が製造された。いまも4両が現役だ。すでに90年近い年月、走り続けてきたわけで、国内で定期運用される電車としては日本最古参ということになる。

 

モ161形のうち、モ161は昭和40年代の仕様に復元された電車で、レトロな内装が再現され、団体向けやイベント列車で使われるが、ほかの車両はごく普通に一般営業列車として運行されている。冷房装置がなく、また暖房装置も脆弱なため、夏と真冬には運行されていないが、それ以外の季節ならば乗車できるチャンスがある。

 

ラッシュ時などは、全車がフル稼働状態で走っている。決して“客寄せパンダ”的な扱いではなく、いまもしっかり戦力となっているところに、モ161形のすごさがあるといえるだろう。

↑モ161形の次に古い車両がモ501形。写真のモ502はかつて東京都電カラーで塗られていた
↑モ161形の次に古い車両がモ501形。写真のモ502はかつて東京都電カラーで塗られていた

 

モ161形の次に古い車両はモ501形で1957(昭和32)年生まれ。この電車ですら、もう60年近く稼働している古参である。使えるうちは徹底して使おうという“節約観念”が阪堺らしさなのかも知れない。

 

ほかにも、1962(昭和37)年生まれのモ351形、1987(昭和62)年に登場したモ701形、1996(平成8)年に登場したモ601形が走る。

 

さらに、2013年から3編成が導入されたのが1001形だ。地元・堺市の阪堺線活性化支援策のひとつとして、堺市と国の補助により計3編成が造られた。超低床型、3車体連接固定編成の車両で愛称は“堺トラム”である。

↑2013年に登場した1001形はそれぞれの編成に呼称が付く。1001号車の呼称は「茶ちゃ」
↑2013年に登場した1001形はそれぞれの編成に呼称が付く。1001号車の呼称は「茶ちゃ」

 

最新型の1001形。地元・大阪のアルナ車両製で、なかなか愛嬌のある顔立ちをしている。そして、それぞれの編成には呼称が付く。1001号車は「茶ちゃ」、1002号車は「紫おん」、1003号車は「青らん」だ。茶々といえば、豊臣秀吉の側室、淀君の本名(いみな)とされる。路面電車の車両の呼称が「茶ちゃ」とは、なんとも大阪らしくおもしろい。

↑モ701形同士がすれ違う。写真の住吉大社付近は、阪堺を代表する併用軌道の区間だ
↑モ701形同士がすれ違う。写真の住吉大社付近は、阪堺を代表する併用軌道の区間だ

 

【路線】もう一度訪れたかった、いまはなき住吉公園駅

阪堺電車の路線に関してもふれておこう。大阪市内の起点は恵美須町と天王寺駅前の2つの停留場。恵美須町は通天閣のある新世界に位置していて、その昔は大阪有数の繁華街として賑わったが、近年はターミナル駅としての機能は失われつつある。一方、天王寺駅前から乗車する人が多く、天王寺駅前~浜寺駅前間が事実上の本線となっている。

 

併用軌道区間は阪堺線の東玉出〜住吉鳥居前付近と、堺市の綾ノ町〜御陵前停留所間だ。とはいえ、後者の堺市内は紀州街道の中央部がほぼ完全にセパレートされ、線路が敷かれていることから厳密には併用軌道とは呼びにくい区間である。よって、住吉大社(最寄り停留場は住吉か住吉鳥居前)の付近が、路面電車らしい光景が楽しめる場所となる。

↑2016年1月に廃駅となった住吉公園駅。駅表示が戦前のままというレトロな駅だった
↑2016年1月に廃駅となった住吉公園駅。駅表示が戦前のままというレトロな駅だった

 

併用軌道区間がある住吉大社そばにあった住吉公園駅が2016年1月31日に廃止された。住吉公園駅は上町線の終点でもあり、南海本線の住吉大社駅に隣接、乗り換え駅でもあった。1913(大正2)年の開業と駅の歴史も古い。

 

とはいえ、地図を見るとわかるが、阪堺の住吉鳥居前停留所が住吉公園駅のすぐ目の前にあり、直線距離にすれば100mもない。乗降客も少なく、最晩年は朝8時24分(平日の場合)が“終電”というほとんど使われない駅になってしまっていた。

 

著者も数年前に訪れたことがある。南海の高架橋横に埋もれるように存在していた駅で、乗換駅にも関わらず、閑散としていた。記憶に残るのはホーム上の水槽。金魚が数匹泳いでいた。あの金魚たちは廃止後、どこへ行ってしまったのだろうか。廃止前にもう一度、訪れてみたい駅だった。

↑廃止された住吉公園駅のホームには水槽があり、金魚が飼われていた。なんとも不思議な光景だった。
↑廃止された住吉公園駅のホームには水槽があり、金魚が飼われていた。なんとも不思議な光景だった。

 

【TRAIN DATA】

路線名:阪堺線(恵比寿町〜浜寺駅前間)、上町線(天王寺駅前〜住吉公園前)

運行事業体:阪堺電気軌道

営業距離:18.5km

軌間:1435mm

料金:210円(全線均一)

開業年:1900(明治33)年

*大阪馬車鉄道が天王寺南詰〜阿倍野(現・東天下茶屋)間を開業、1911年に阪堺電気軌道(初代)が恵比寿町〜大小路を開業。