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2017/10/30 20:00

日本酒ブームの影で増加する酒蔵の廃業――「買収」という「ポジティブな手法」が蔵元を救う

多数のメディアで日本酒が特集される昨今、業界全体が盛り上がっているようにも見えますが、残念なことに廃業を余儀なくされた酒蔵は年々増えています。累積赤字、跡継ぎ不在、その理由はさまざま。現在も存続の危機にある酒蔵は少なくありません。南アルプスの麓の自然環境と良質な水に恵まれた土地で、地元の酒米を使った「今錦」を醸してきた米澤酒造も、そんな蔵のひとつでした。

 

トヨタ社長も注目する年商約200億円の企業が地方酒蔵を子会社化

「造り酒屋は村の大切な伝統であり、文化です」。そんな想いを持った企業が、米澤酒造の再生に名乗りを上げます。2014年、地元企業の伊那食品工業が米澤酒造を子会社化。伊那食品工業は、寒天の家庭用ブランド「かんてんぱぱ」などを展開する食品メーカーです。国内市場のシェアは約80%で年商約200億、1958年の創業以来48年間増収増益を達成してきた、長野県が誇る超優良企業です。

↑記者会見で熱い想いを話す、伊那食品工業株式会社取締役会長の塚越 寛さん。塚越さんが説く「年輪経営」は、日本を代表する企業「トヨタ」の豊田章男社長が注目し、各グループ会社のトップにその理念を学ぶように指示したことでも有名です
↑記者会見で熱い想いを話す、伊那食品工業株式会社取締役会長の塚越 寛さん。塚越さんが説く「年輪経営」は、日本を代表する企業「トヨタ」の豊田章男社長が注目し、各グループ会社のトップにその理念を学ぶように指示したことでも有名です

 

存続の危機にある酒蔵を再生しようとする動きは、いまや珍しくありません。複数の酒蔵を子会社化してグループ経営するケース、大手酒蔵が地酒蔵を買い取るケース、異業種から酒蔵経営に乗り出すケースなど、経緯や目的はさまざまです。酒蔵経営をしたいからといって新たに酒造免許を取得するのは困難なこともあり、この先「酒蔵買収」は日本酒業界のひとつの流れになるでしょう。その現状を知るために、「米澤酒造酒蔵全面リニューアル」に向けた記者見学会に参加してきました。

 

素晴らしい景観と文化を残すために造り酒屋を守る

明治40年に創業した米澤酒造が蔵を構えるのは、長野県上伊那郡にある中川村。「日本で最も美しい村」連合に加盟する、南信州・伊那谷のほぼ真ん中にある小さな村です。村の真ん中を天竜川が蛇行するように流れ、この蛇行と山脈の隆起によって形成された「河岸段丘」という特異な地形が中川村の風景。キノコ、野菜、ジビエ、そしてお米など、豊富な特産物に恵まれています。伊那食品工業が米澤酒造を子会社化した最大の目的は、この中川村の観光資源を守るため。「造り酒屋は観光資源」と、伊那食品工業株式会社取締役会長の塚越 寛さんは言います。

↑中川村の風景
↑中川村の風景

 

米澤酒造のラインナップには、定番の「今錦」ブランドのほかに、数量限定酒「おたまじゃくし」があります。このお酒は、中川村の飯沼地区の棚田だけで生産された酒造好適米「美山錦」を100%使用。地域を巻き込みながら、村民と酒蔵が一体となり、田植えから稲刈りまでを行なっています。減少しつつある日本の原風景、棚田。この素晴らしい景観と文化を残すために醸されてきたお酒が「おたまじゃくし」です。地域を守る、地域の雇用を守る。それは、かつて造り酒屋が担っていた使命でした。この「おたまじゃくし」の取り組みが、会長の塚越 寛さんが言った「造り酒屋は観光資源」という言葉の真意です。

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↑米澤酒造のラインナップ

 

↑田んぼとアルプスが調和する飯沼棚田。ここで村人と蔵人が育てた美山錦を使って醸す酒が「おたまじゃくし」です。地域と醸す酒。正真正銘の地酒です
↑田んぼとアルプスが調和する飯沼棚田。ここで村人と蔵人が育てた美山錦を使って醸す酒が「おたまじゃくし」です。地域と醸す酒。正真正銘の地酒です

 

子会社化により、最新設備が整ったまったく新しい酒蔵に変貌

米澤酒造が伊那食品工業の子会社になったことで、蔵や酒はどう変わるのか。蔵見学で目の当たりにした現実は、想像をはるかに超えていました。「いい酒にはいい設備が必要」という考えのもと、伊那食品の寒天作りで培った氷温設備、最新の瓶詰機械などを導入。食品会社が指導する徹底した衛生管理のもと、米澤酒造はまったく新しい酒蔵として生まれ変わりました。製麹室も新設され、リニューアルというよりも「新蔵が建った」という表現のほうが的確かもしれません。蔵内の空調管理も徹底され、仕込み蔵、槽場、瓶詰場すべてにおいて低温環境を実現。火入れのラインには超高額機械「パストライザー」を導入するなど、お酒に負担をかけずに高い品質をキープするための設備が整っています。今後、従来の「今錦」よりもフレッシュ感を残した酒質に変化していくことは明確。長野県を代表する「真澄」から新杜氏を迎え、完全新設備のもと29BY(平成29年酒造年度)から新生「今錦」がスタートします。

↑近代設備を備えた
↑近代設備を備えた蔵の内部

 

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↑火入れの工程

 

ただし、大半の設備が一新されましたが、槽搾り(ふなしぼり)製法だけは踏襲。ゆっくりと上から圧力をかけて搾るので、お酒に負担がかからず、きれいな酒質に仕上がります。米澤酒造では、全量をこの槽搾りで造っています。棚田米を使った「おたまじゃくし」の取り組みを含め、中川村の酒蔵として守り続けてきた本質は変えず、新たに変化を重ねていく「不易流行」というスタンスを、生まれ変わった米澤酒造から強烈に感じました。

↑槽搾りの光景。発酵した醪を布袋に入れ、ひとつひとつ槽の中に並べ、ゆっくりと上から圧力をかけて搾る方法。手間がかかるため、この方法で搾る蔵は全国的に減っています
↑槽搾りの光景。発酵した醪を布袋に入れ、ひとつひとつ槽の中に並べ、ゆっくりと上から圧力をかけて搾る方法。手間がかかるため、この方法で搾る蔵は全国的に減っています

 

単なる酒蔵から中川村の観光拠点へ

「酒蔵買収」と聞くと、何やらネガティブに感じる人も多いと思います。かくいう筆者もそうでした。でも、「中川村の観光資源を守るため」という伊那食品の大義を理解して物事を見つめると、非常にポジティブなことばかりです。今後、大手食品会社の研究機関を利用することで、発酵食品としての日本酒の魅力を科学的に実証していくことも可能でしょう。そういったデータをもとにした酒造りも、新生「今錦」に期待したいアプローチのひとつです。また、2017年11月下旬には日本酒造りの様子を見学(事前予約制・無料)できる観光蔵としてオープン予定。江戸から明治期に作られた徳利250本をディスプレイした店舗で、お酒の購入も可能に。単なる酒蔵ではなく、地元アーティストの作品や特産品も販売し、中川村の観光拠点として訴求していくそう。飯沼地区の棚田がある「日本で最も美しい村」の景観や文化を、未来のために維持・発展させていくことが、米澤酒造の夢。キャンプ場も温泉もある中川村に足を運び、その風景を前に、地元の食材と共に「今錦」や「おたまじゃくし」をいただく。それが極上においしい、地酒の味わい方です。

↑田んぼとアルプスが調和する飯沼棚田。ここで村人と蔵人が育てた美山錦を使って醸す酒が「おたまじゃくし」です。地域と醸す酒。正真正銘の地酒です