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2017/6/24 19:00

熊本地震で被災した九州の鉄道事情ーー豊肥本線は1年前とどう変わったのか

2016年4月に起きた「熊本地震」。鉄道の路線も大きな被害を受けた。なかでも、熊本県阿蘇地区を走るJR九州の豊肥(ほうひ)本線と南阿蘇鉄道が受けた被害は深刻で、1年過ぎたいまも一部区間の運休が続いている。

 

震災前、阿蘇地区では阿蘇岳を眺めつつ、カルデラを列車が走る姿が楽しめた。さらに、外輪山の傾斜地を走るスイッチバック路線がここにはあった。運休が長引くなか、こうした路線はどうしているのだろうか。震災が起きてほぼ1年という春の終わり、筆者は阿蘇地区を訪れて被害の状況を見て回った。各所で出会った光景には、それこそぼう然とせざるをえなかった。

 

いまも震災の傷跡が残る豊肥本線

美しい棚田のなかを走る線路をガレキが覆ったまま、レールはすでにさびついていたーー。豊肥本線は現在、肥後大津駅と阿蘇駅間の27.3kmが不通のまま。この区間では、18か所で地震による被害が報告されている。

↑立野駅から赤水駅へ向かう途中の一コマ。棚田の中をゆっくり登る様子が絵になった
↑(震災前)立野駅から赤水駅へ向かう特急「あそぼーい!」。棚田の中をゆっくり登る様子が絵になった
↑震災後、棚田の中を走る線路は、いまでは見る影もない状況になっている
↑(震災後)1枚目の写真とほぼ同じ位置で撮影。棚田の中を走る線路は、このように悲惨な状態になっている

 

現在、不通となっている区間で最も変化に富んだ景色が楽しめたのが立野駅〜赤水駅の間。名物はスイッチバックだった。立野駅の標高は277.4m、ひとつ先の赤水駅は467.4mだ。距離にして約6kmしかない区間を一気に190mも登る。

 

同区間が開通したのは1918(大正7)年。最短距離で線路を敷いては、非力な蒸気機関車では登ることができない。そのため、立野駅で一度折り返して走り、折り返し線を登る。登った先で再び折り返して走り標高を稼いだ。そんな歴史的な遺産にもなっているスイッチバックを、特急「あそぼーい!」などの車内から楽しむことができた。

↑(震災前)特急「あそぼーい!」の展望席から見た立野駅〜赤水駅間のスイッチバック。この区間は、特に乗客の「注目度」が高かった
↑(震災前)特急「あそぼーい!」の展望席から見た立野駅〜赤水駅間のスイッチバック。この区間は、特に乗客の「注目度」が高かった
↑(震災後)スイッチバックのポイントからやや下った立野踏切の現状。遮断棒は外され、線路上に草が生い茂る
↑(現在)スイッチバックのポイントから少し下った位置にある立野踏切。遮断棒は外され、線路上に草が生い茂る

 

変わり果てた立野駅の現状

立野駅〜赤水駅間の棚田の中のルートを見たあとに訪れたのが立野駅。見たところ、駅の入口などに被害はない。ところが、駅構内に一歩足を踏み入れると、ホームは崩れ、屋根もなくなっていた。なにより、1年以上列車が走らずにレールがさびついていたのが痛々しい。

 

駅の一角から南阿蘇鉄道の列車も発着していたが、こちらのホームはJRのホームほどの被害はないものの、長い間使われていない寂しさが感じられた。駅構内の賑わう光景を見知っていただけに、言葉が出ない。

↑(震災前)立野駅ホームでは、特急「あそぼーい!」の到着で賑わう様子が良く見られた
↑(震災前)立野駅ホームでは、特急「あそぼーい!」の到着で賑わう様子が良く見られた
↑(現状)立野駅のホームは大きく崩れ、ホーム上にあった屋根も解体されていた
↑(現状)立野駅のホームは大きく崩れ、ホーム上にあった屋根も解体されていた

 

崩落現場にも生々しい傷跡が……

立野駅は阿蘇岳とカルデラを取り巻く外輪山の西側に位置する。この駅付近のみ、阿蘇山をほぼ一周する外輪山が途切れている。途切れた狭隘(きょうあい)な土地にカルデラの水を集めた白川が、深い峡谷となって流れる。この白川の北側傾斜地に集落、そして鉄道路線、国道などが密集している。

 

そんな狭隘な地に造られた立野駅周辺の道路は、いたるところで寸断されていた。熊本と阿蘇カルデラを結ぶ大動脈、国道57号も阿蘇大橋が架かっていた付近で崩落、立野駅から阿蘇カルデラ方面へは抜けることができない。豊肥本線は立野駅の北側にある集落付近から国道57号沿いに線路が敷かれていたが、阿蘇大橋があった近くで国道57号と共に線路が崩落してしまっている。

↑(現状)立野駅周辺の道路の多くが立入禁止。向かいの山肌にも土砂の崩落箇所が見られる
↑(現状)立野駅周辺の道路の多くが立入禁止。向かいの山肌にも土砂の崩落箇所が見られる

 

この大規模な崩落箇所には工事中で入ることができなかったが、その手前の崩落箇所を下から眺めることができた。現地で感じたのは土壌のもろさ。この地区の外輪山は長年の侵食で土壌がもろい。手に触れると“かさかさ”とした状態で、土壌のやわらかさを確認することができた。

↑(現状)立野駅の北側にある集落すぐそばの崩落箇所。下を豊肥本線の線路が走っていた。実際に訪れてみると想像以上に山は険しく、斜度は絶壁に近い
↑(現状)立野駅の北側にある集落すぐそばの崩落箇所。下を豊肥本線の線路が走っていた。実際に訪れてみると想像以上に山は険しく、斜度は絶壁に近い

 

素朴な佇まいの赤水駅舎は消滅

立野駅付近をあとにして、次に阿蘇カルデラの内部へ向かった。現在、国道57号は土砂の崩落で全面通行止め。熊本から阿蘇カルデラへ行く場合は、国道57号の肥後大津付近から迂回して県道339号線、通称「ミルクロード」を走らなければならない。

 

ミルクロードは外輪山を上り下りする道路で、観光道路としては眺めも良く走って楽しい。そんな観光道路が、国道57号が不通になったいま、熊本と阿蘇を結ぶ大切な生活道路となっている。このミルクロードが再び国道57号と交わる交差点の近くに、豊肥本線の赤水駅がある。

↑(震災前)赤水駅を通過する「あそぼーい!」の車内からは、外輪山が美しく望めた
↑(震災前)赤水駅を通過する「あそぼーい!」の車内からは、外輪山が美しく望めた

 

赤水駅は震災前まで1938(昭和13)年に造られた木造の駅舎が建ち、素朴な味わいを醸し出していた。ホームからは外輪山が間近に見え、阿蘇カルデラのなかにある駅らしい趣が魅力だった。そんな赤水駅の駅舎は震災で壊れ、解体され、駅舎跡は更地となっていた。豊肥本線では、ほかに内牧(うちのまき)駅の駅舎も震災後に解体されている。

↑(震災前)豊肥本線赤水駅には、太平洋戦争前に建てられた素朴な駅舎が建っていた
↑(震災前)豊肥本線赤水駅には、太平洋戦争前に建てられた素朴な駅舎が建っていた
↑(現状)赤水駅の駅舎があった場所は更地となっており、いまでも列車は走っていない
↑(現状)赤水駅の駅舎があった場所は更地となっており、いまでも列車は走っていない

 

危ぶまれる豊肥本線の完全復旧

やや駆け足気味で見てまわった豊肥本線の被害状況。素人目にも路線を完全復旧するためには、かなりの歳月と資材が必要だと感じた。豊肥本線は険しい阿蘇を越えて走る路線だけに、災害の影響を受けやすい。2012年7月には、九州北部を襲った豪雨の影響で1年間の列車運休を余儀なくされた。そして、今回の熊本地震の影響である。

 

JR九州では2017年4月に復旧事務所を設け、本格的な調査を開始。運転再開の期日は明確にされていないが、肥後大津駅〜立野駅間の先行的な復旧工事を進めるとしている。比較的被害が少なかったこの区間は、確実に運転再開されるだろうと予想される。

 

問題は立野駅〜阿蘇駅間だ。既存の路線を復旧して列車を走らせることは、かなり難しいように見て取れた。外輪山特有のもろい土壌の影響で、復旧させても再び土砂の崩落などの影響を受けかねない。平行して走る国道57号も同区間の早期復旧を諦め、北側に迂回ルート(トンネルで外輪山を抜ける)を造り始めている。JR九州でも、そうした現状を考慮しつつ、一部ルートの変更などを含め全線復旧への道を探っているようだ。

↑震災前まで「ななつ星in九州」の3泊4日コースでは、早朝の阿蘇駅でモーニングを楽しめた。なお、2018年3月から大分駅〜阿蘇駅間の運行は復活する予定
↑(震災前)「ななつ星in九州」の3泊4日コースでは、早朝の阿蘇駅でモーニングを楽しめた。なお、2018年3月から大分駅〜阿蘇駅間の運行は復活する予定

 

震災前まで、JR九州のクルーズトレイン「ななつ星in九州」(3泊4日コース)が立野駅付近のスイッチバックを通り走った。豊肥本線を走り、阿蘇で過ごす時間がなによりも魅力だった。JR九州の“宝物”でもある豊肥本線。復旧にどんなに時間がかかろうとも、輝きを取り戻す日が来ることを切に願いたい。