第25回 下北沢のヴィレヴァンが好きだった人/燃え殻「もの語りをはじめよう」連載

ink_pen 2026/9/17
  • X
  • Facebook
  • LINE
第25回 下北沢のヴィレヴァンが好きだった人/燃え殻「もの語りをはじめよう」連載
燃え殻
もえがら
燃え殻

1973(昭和48)年神奈川県横浜市生まれ。2017(平成29)年、『ボクたちはみんな大人になれなかった』で小説家デビュー。同作はNetfliexで映画化、全世界に配信、劇場公開もされ、大きな話題に。小説の著書に『これはただの夏』、『湯布院奇行』エッセイ集に『すべて忘れてしまうから』『夢に迷って、タクシーを呼んだ』がある。

第25回 下北沢のヴィレヴァンが好きだった人

 下北沢の再開発について、思うところはある。いや、思うところしかないが、もう、あーなっちゃったんだから仕方がない。

 太古の昔に付き合っていた彼女が、下北沢という土地を好きな人だった。

「ねえ、おもちゃ箱みたいな本屋知ってる?」彼女はそう言って、誇らしげにヴィレッジヴァンガード、略して「ヴィレヴァン」の存在を僕に教えてくれた。

 もちろん、ヴィレヴァンの存在は知っていたが、せっかくなので、派手に驚いたフリをした気がする。最初に一緒に行ったときのことは詳しく憶えている。彼女は、宝探しでもするように店内をくまなく回る。「まだ見落としているところがあるかもです」彼女は何度もそう言って、ぐるぐると店内を行き来し、最後に、缶バッジと水木しげるの漫画を二冊、それにスター・ウォーズの『PEZ』を買った。『PEZ』はもしかして、グミだったかもしれない。そこだけ記憶が定かではない。

 彼女と別れるまでに、何度下北沢のヴィレヴァンに行ったかわからない。というか、下北沢のヴィレヴァンくらいにしか、彼女はわざわざ出かけなかった。

 たまに新宿へ映画を観に行くことはあったが、あとは部屋にいて、よくわからない裁縫をしたり、部屋の柱をペンキで塗ったり(賃貸なのに)、カーテンに油性ペンで落書きをしていた(賃貸なのに)。

 僕は僕で、テレビの下請け仕事が忙しくて、不規則極まる毎日を送っていた。たまの休みは、日がな一日寝てばかりいた。

 傍から見たら、まったくもってよくわからないふたりだったと思う。

「本当は、女の子は全員、『anan』でコスメ特集のモデルをやりたいんだと思うの。男の子は全員、バンドを組んで、ニューアルバムを『CDTV』で披露したいんだと思うんだ」彼女はよく、そう力強く語っていた。本当によく語っていた。そうかなあ……、と言いつつ、「『CDTV』をご覧の皆さん、こんばんは〜」なんて彼女の前で披露すると、ケラケラとよく笑ってくれた。

 彼女の考えはかなり偏っていたが、わからないでもなかった。「でも、そんなのは無理だから!」と彼女はつづけて言い、「だからさ、早くおばあさんになりたいなあ〜」と静かに言葉をこぼす。そこまでが、よくある流れだった。

 将来なりたいものも、行きたい場所も大してない、と語っていた彼女が、ほぼ唯一と言っていいくらい気に入っていた場所が、下北沢のヴィレヴァンだった。調べ物でもしているかのように、じっくりと立ち読みをしていたかと思えば、眉間にシワを寄せて真剣な表情で、インドのお香を箱の上からクンクンと嗅ぐ。

 そんな彼女はあるとき、蒸発するように僕の前から消えてしまう。理由はいまだにわからないが、ただただ僕がつまらない人間だったからだと思う。

 ずいぶんと月日が流れ、下北沢の駅前も、再開発ですっかりキレイになった。再開発に関して、思うところはもちろんある。でも、もう、あーなっちゃったんだから仕方がない。

 もう下北沢は下北沢じゃない、と誰かがXのポストで嘆いていた。たしかにそうかもしれない。ただ、個人的には、ヴィレヴァンさえあれば、僕にとって、下北沢はいつまで経っても特別な場所だ。

 昨日、久々に下北沢で降りて、ヴィレヴァンに立ち寄ってみた。僕はバンドを組んで、ニューアルバムを出すことはなかったが、小説やエッセイを書くようにはなった。何冊か自分の本を棚の中から見つけて嬉しかった。若い男の子や女の子が、まるで宝探しでもするかのように、店内を見て回っていた。じっくりと立ち読みをしている女の子。この場所に、この世の真理のすべてがあるかのように、しゃがみ込んでなにかを探している男の子。傍から見たら、あの頃の僕と彼女も、あんな風だったのかなあとふと思った。

【燃え殻「もの語りをはじめよう」】アーカイブ

イラスト/嘉江(X:@mugoisiuchi) デザイン/熊谷菜生

Related Articles

関連記事

もっと知りたい!に応える記事
Special Tie-up

注目記事

作り手のモノ語りをGetNavi流で